【第32話】 密会 1



 歓迎会に出席するためにドレスに着替えるのをベルに手伝ってもらっていた。


 社交界に縁がない辺境底辺貴族なのでパーティーやお茶会への招待はほぼない。そのために着飾る機会もそうそうない。衣装棚には、着回しの利く簡素シンプルなデザインで落ち着いた色彩のドレスを数着ほど残してあるだけだ。

 小物次第で印象が変わるので、簡素シンプルな仕立てのものが一番使いやすいと個人的には思っている。


 お母様やベルには、若い娘らしくもう少し華やかなドレスを着てはどうかと言われる。でも、わたしにはレースやリボンのついたドレスは似合わない。飾りつけられた甘いお菓子のような可愛らしいドレスは、ふんわりとした雰囲気を持つシャールにこそよく似合う。


 鎖骨がぎりぎり見える程度の浅い切れ込みの胸元に七分丈の袖、腰からくるぶしにかけて広がりながらもかさが出ない濃紺のドレスを選んだ。腰の部分は締まっていて右側の腰から斜めにドレープがはいっている。ヒールの高い銀色の靴を合わせれば、背の低いわたしでも重くならずになんとか見栄えた。

 

 髪は上げられない。自分で耳を隠すように弛く左耳の下で一つに結んだ。ドレスと揃いの濃紺の薔薇の髪飾りをベルにつけてもらう。何年も着まわしているドレスだけど、とりあえず袖を通せるのでよしとする。身長も体型も変わっていないので良いのか悪いのかはわからないがドレス代の節約にはなる。


 「忙しいのに頼んじゃって悪いわね」


 背中のボタンをベルに留めてもらう。


 「大丈夫です。伯爵様がお手伝いの者を何人も寄こしてくださいましたから」


 「……」

 「……」


 ベルとお互いに顔を見合わせてしまった。

 伯爵のひととなりはなにも知らない。聞きかじってつなぎ合わせた情報では、社交界では黒い噂のある悪名高い人物。実際、ライトフィールド男爵家を没落寸前にまで追い込んだのは伯爵だ。我が家は断崖絶壁の崖っぷちに立たされた。おかげでわたしは絶体絶命の男爵家をどうにかして救いたいがため、ダメで元々と魔術古文書グリモワールを用いて『人の理の外の者』を呼び出し、願いを叶えてもらうことを決意した。


 しかし一方では、五年前の異常気象が原因でどうにも立ち行かなくなったリモール領に、救いの手を差し伸べてくれたのも紛れもなく伯爵だ。我が家の財政状況を見越して、こうやって手伝いの者を寄こすという気遣いもみせる。自身を含めて伯爵家の従者や司祭様たちが滞在する間以上の食材や雑貨類を何台もの馬車で運んできた。


 救った者をまた突き落とす。ベナルブ伯爵はなにを考えているのかわからない。

 一体、どういう人物なのだろう。

 男爵家が破産寸前、没落寸前まで追い込まれたことだけを考えたのなら、伯爵は憎むべき悪役に違いない。その反面、リモール領に手を差し伸べて救ってくれた伯爵は、感謝するべき大恩人になる。当時、伯爵の援助がなかったらリモールは飢える者や困窮者で溢れ、農業や畜産に壊滅的な被害を受け、とても三年では持ち直せなかったと、お父様は言っていた。


 途中で手ひどい裏切りを受けたにもかかわらず、お父様が伯爵に敬意を忘れず丁寧に接するのは家格のこともあるが、やはり本当にどうにもならなくて苦しかったときに、リモール領を救ってもらったという恩義を多大に感じているからなのだ。


 ……悪役ならば悪役らしくしてくれていればわかり易い。傲慢に高飛車にふてぶてしく高笑いでもしていればいいのに。そうすれば、余計なことを考えずに心置きなく大嫌いになることができるのだから。




 ささやかながらも歓迎会は予定通りに始まった。お父様の挨拶が済むと伯爵は、お父様や招待客たちとグラスを交わしていた。司祭様と見習い司祭様はさっそく信徒の代表者たちに囲まれている。


 お父様と一緒にいるヴィーリアは光沢のある黒の上着と揃いのスラックス、黒いシャツに薄黒うすぐろ色のタイという装いだった。タイには銀色のピンを刺している。どれだけ黒が好きなのかとも思うが、白銀色の長い髪と深い紫色の瞳には黒がよく似合う。


 お母様はご婦人たちと談笑していた。シャールは腰から裾にかけてふわりと広がった、鮮やかなレモン色のドレスを着ていた。若々しい色のドレスを着たシャールは会場を華やかせた。 

 年配の招待客が多かったために、ご婦人方のドレスの色は落ち着いたものが多かったから。


 わたしとシャールは面倒なことにならないうちにと、歓迎会の会場になった食堂を後にした。なにも食べずに出てきたので、ケインになにか食べさせてもらいたい。厨房に寄るとケインとルウェインが忙しく動き回りながら、伯爵家からつかわされた手伝いの者たちに指示を出している。気後れして声をかけそびれていると、気付いたケインがわたしとシャール用に準備されていた夕食の皿を渡してくれた。


 厨房にいては仕事の邪魔になりそうなので部屋に戻って食べようとシャールを誘ったが、「ごめんなさい。お腹が空いてないから、あとで食べるわ」と自分の部屋に戻ってしまった。

 ケインが心を込めて作ってくれた料理の味は申し分なく美味しかった。でも、部屋に一人で食べる食事は味気なく感じてしまった。


 夕食が済むと特になにもすることがない。図書室に行こうにも司祭様と廊下で鉢合わせをしたらと思うと迂闊うかつに部屋からは出られない。さて、どうしようかと寝台に腰をかけて窓硝子越しに夜空を眺めた。空のなかほどに満月から少しだけ細くなった月が昇っている。静かに輝く月はもの柔らかな光を地上に落している。澄んだ月明りが寝台の足許まで差し込んでいた。


 ……ヴィーリアが現れたあの朔の晩から、目まぐるしくいろいろなことが変化した。まるで都合のいい夢の中にいるようだった。今が夢の中で、ある朝目が覚めたらヴィーリアが召喚よばれる前の現実に戻っているという夢を見て夜中に起きることがある。


 ランプの灯りを消した。


 窓を少しだけ開けてみる。

 冷たい秋の空気は夜の匂いを室内に運んだ。もの寂しい虫のが時折聞こえてくる。秋が深まってきたのだろう。


 庭に目をると、柔らかな月明りに照らされた樹木の蒼い影が落ちていた。その影の中にふと、白っぽいなにかが揺れたような気がした。

 見間違いだろうかと目を凝らす。

 確かに、庭の樹の影の間に白くひらひらと揺れるものがある。定かではないがドレスの裾のようにも見える。


 招待客が美しい秋の月に誘われて庭を散歩でもしているのだろうか。もしくは庭に出て酔いでも覚ましているのだろうか。だけど……招かれた客の中に明るい色のドレスの女性はいたか……。

 そこまで考えてはっとした。


 ……シャール? もしかしてあれは、シャールが着ていたレモン色のドレスの裾?


 まさかと思いしばらく様子を見ていると、もうひとつ現れた影が迷うことなく白い影に近づいていく。


 ……もしや、伯爵……では? 


 

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