【第31話】 伯爵と司祭様 3



 動きたくて動いたわけではないが、珍しく真剣な声だったのでおとなしく従っておく。

 ヴィーリアの手のひらでうなじをおおわれる。ちりちりとしたひきつれるような感覚は、さっきよりも徐々に強くなっていく。痛みはないが強い違和感があり、首の後ろすべてが痺れているようだ。


 「……どうですか?」


 「ひきつれている感じが強いわ。……痺れているみたい」


 「痛みはありますか?」


 「痛くはないわ。でも、へんな感じがする」


 「では、これは?」


 ふっと、強いちりちりとしたひきつれ感が治まった。痺れも消えていく。


 「……ちりちりしたひきつれる感じもなくなったわ」


 「……なるほど」


 ヴィーリアが首筋から手を離した。


 「もう髪を下ろしてけっこうですよ」


 「なにをしたの?」


 「……抑えている力を加減してみました」


 ヴィーリアは軽く腕を組みながら顎に指を置いた。なにかを考えているようだ。


 「つまり……?」


 「なにしろ初めてのことなので……」


 そう前置きしてヴィーリアが推測したことは――。


 魂を対価とした契約者は、司祭様の近くにいて、程度の差こそあれ、特になにも感じないということはない。

 うなじのちりちりとしたひきつれ感は、やはり司祭様の力の影響ではないか。

 わたしとヴィーリアの魂は一部分が混ざり合ってしまっている。そのためにヴィーリアの力の影響を、自覚はなくても多少なりとも受けているはずだ。

 うなじにひきつれ感を覚えたり、覚えなかったりするのは、ヴィーリアの抑えている力との繋がりが不安定に揺らいでいるからではないか。

 先ほど力を少しだけ解放した時に、ちりちりとしたひきつれ感が強くなり痺れたのは、司祭様の力に反応したあかしなのではないかと、いうことだった。


 「私の力を抑えていると、貴女に刻んだ紋章の気配も弱くなるようです。ですから神殿の力にもそこまで反応しないのでしょう。……まあ、貴女が人並外れての鈍感でさえなければの話ですが」


 口角を上げて余計なひと言を添えるのを忘れなかった。


 結果的にヴィーリアと魂の一部が混ざったおかげで、司祭様の力にそれほど反応しなくなったらしい。しかしもしも、魂が混じっていなければ司祭様に近づくと弾かれ、先ほどの首の後ろが強くひきつれる痺れのような感覚がずっと続いていたということだろうか。


 魂を対価とした契約を薬とするならば、その副作用みたいだ。そういうことも前もって教えておいてほしかった。


 「ですから、私から離れなければいいと申し上げていたはずです」


 そういえば……初めて転移魔術でヴィーリアの膝の上に移動させられた夜に、そんなことを聞いたような気がしないでもない。あのときは転移魔術に興奮してしまい、それどころではなくなって、その意味を訊かなかった。


 「私の傍にいれば神殿の力の影響は受けにくくなりますので」


 紫色の瞳が細められた。


 ……うう。ヴィーリアもあの魔術古文書グリモワールと同じだ。肝心なことを言わない。それに、うなじのひきつれ感は今朝からあった。司祭様がまだ遠い距離にいるときでも反応していたということだ。鈍感などとは言わせない。


 「まあ、そういうことにしておきましょう」


 お代わりをいかがですか? と温かい紅茶をカップに注いでくれた。


 「しかし、初めてのことですから……。貴女も充分に注意はしていてください」


 「わかったわ。やっぱり、司祭様とはできるだけ顔を合わせない方がいいわね」


 そうは言っても、同じ屋敷にいる限りまったく出くわさないという保証はない。


 今夜だって、伯爵と司祭様たちの歓迎会がささやかながら行われる。リモール領の有力者たちとその伴侶、領内のルークス教の信徒代表数名を屋敷に招待している。

 シャールとわたしは最初の挨拶だけで部屋に下がることになっていた。ヴィーリアは今後のために、招待客とも親交を持つようにとお父様から言われている。


 お父様はヴィーリアを婿に取って男爵家を継がせる心づもりだ。


 ヴィーリアは次男で庶子という設定のために、アロフィス侯爵家を継ぐことはない。男爵家に婿に入ってライトフィールド男爵を継ぐ。


 契約の成就を見届ければいなくなる存在なのだから、本当はそれ以前の問題なのだ。しかし、世間的には、今はそういうことになっている。


 これから伯爵とシャールの結婚は白紙に戻る予定だ。それならば男爵家の正当な後継者はシャールになる。ヴィーリアやわたしではない。どのみちヴィーリアはいなくなってしまうのだから、シャールが婿を取るか爵位を継げばいい。幸いにリューシャ公国では娘が爵位を継ぐことを禁止しているわけではない。前例があまりないだけだ。


 「またうれいごとですか?」


 「そういう訳じゃないけど」


 カップに口をつける。ヴィーリアの淹れてくれた二杯目の紅茶も、ベルと同じくらいに美味しかった。すっかり美味しいお茶の淹れ方を心得たようだ。


 「明日の伯爵との話し合いには私も同席します。アロフィス侯爵家が、ライトフィールド男爵家の事業に全面的に協力することを伝えますので。侯爵家の人間である私から説明して差し上げたほうが納得しやすいでしょう」


 「お願いね。シャールの件もうまくいくようにお父様に協力してね」


 「……お望みとあらば」


 紫色の瞳でじっと見つめられると、最近はなんだか落ち着かない気持ちになる。こちらは常に平常心を保てるように意識しているのだが、ヴィーリアは至って普通に平然としているのが余計に悔しい。


 「なにかあれば私を呼んでください」


 「そうするわ」


 実際に声に出さなくとも、心の中でヴィーリアを呼べばすぐに駆けつけてくれるのだろう。

 それに安心感を覚えてしまったのは良いのか、悪いのか。刻印の影響なのか、そうではないのか。だんだんと……わからなくなっていた。





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