【第30話】 伯爵と司祭様 2


 

 「ヴィーリアは司祭様の近くにいたけど、大丈夫なの?」


 なぜか当たり前のように、わたしの隣に腰を下したヴィーリア。なんだかんだと思いつつ、この距離に違和感なく慣れつつあるのが怖い。


 「問題はありません。私は普段は力を抑えていますので……」


 そういえば……ヴィーリアを召喚したときには、本能的な恐れを感じて全身が総毛立つような寒気がした。しかし願いを叶えてくれるとわかった途端に、そこまで気にならなくなった。我ながら現金なものだと思っていたのだが、実際はヴィーリアが魔力を抑えていたということなのか。確かに今は、ヴィーリアに触れても禍々まがまがしい悪寒などみじんも感じない。


 ヴィーリアはパチンと指を鳴らす。

 テーブルの上のティーポッドの細い注ぎ口から、白い湯気が上がった。しばらく茶葉を蒸らすと、カップにお茶を注いでくれる。香りを楽しむと満足そうに肯いていた。前回よりも上手く淹れられたようだ。そういえば、ベルがお茶の美味しい淹れ方を尋ねられたと言っていた。カップに口をつける。香りも良く出ている。ベルの淹れてくれる紅茶の味に近かった。


 「美味しいわ」


 当然ですというようにヴィーリアの口角が上がった。


 「神殿の者が力を抑えることができなくても、弾くようなことはありません」


 「そういうものなの?」


 「……磁石というものをご存じですか?」


 「知っているわ」


 「神殿の力と我々の力は、例えるなら……磁石の同じ極同士のようなものです」


 家庭教師がいた頃に磁石を触らせてもらった。違う極同士は吸着し、同じ極同士を近づけるとまるで見えない壁があるように反発し、弾き返していた。前にヴィーリアが言っていた弾力のある空気の壁のようだった。


 「私の力を抑えていれば反発はしないので、弾くこともないということです」


 なるほど。わかった……ような気がする。


 「……司祭様も気にしていないみたいだったわ」


 緊張したのは司祭様が馬車から降りた後すぐに、こちらを見ていると感じた一瞬だけだった。お父様たちと歓談する司祭様は、ヴィーリアにもわたしにも注意を向けているようには思えなかった。


 「気が付いてないのかしら?」


 「あり得ませんね」


 確信を持って答える。


 「基本的には神殿の者も魔術師と同じです」


 司祭様が魔術師と同じ? 


 司祭様は原初の輝きと呼ばれる光をまつり、ヴィーリアは朔の晩の闇の中から現れた。白いローブの司祭服姿の司祭様と、いつも黒を基調とした服を身にまとっているヴィーリア。印象イメージとしても正反対だ。


 「貴女は……またそんな顔をして」


 ヴィーリアが苦笑しながら手を伸ばした。眉間を軽く指で押される。


 ミュシャにでも解るように、簡単に説明しますと前置きをされた。以前にも同じことを言われたのは気のせいじゃない。


 ヴィーリアの説明によれば、魔術師が契約をするために必要なのは魔力だが、司祭になる者は信仰心で契約をするという。つまり信仰心が依代であり、対価となる。報酬は奇跡のわざとも呼ばれる神聖術だ。


 信仰心が強い者ほど効果の高い神聖術を使うことができる。しかし、魔術師と同じく無限ではない。魔術師と司祭は依代と対価は違うものでも、報酬を受ける契約の仕組みは同じようなものだということだった。


 「本当はもっと複雑ですが、要約するとそういうことです」


 司祭様たちがほどこす治療や、さずける祝福も神聖術だ。


 司祭様個人の力にもよるが、治療院に通わなければならない怪我や病気も、治療を受ければ一回で治ることもある。治療や祝福を受けるにはそれなりの謝礼が必要だが、小さい傷や怪我は、巡礼の旅に出ている司祭様なら無償で癒してくれる。祝福というのは、災いを避けることができるようにというお祈りだ。


 魔力と神聖力は反発するものだから、魔術師と神殿もりが合わない。知らずに近くにいてもお互いになにかしらの気配を感じる。だから司祭様が気が付いていないということは絶対にないと、ヴィーリアは言った。


 「貴女のように魂を対価とした契約者を近くに感じれば、関りを持とうとするはずです。……貴女はなにか感じませんか?」


 観察されるように、紫色の瞳でじっと見つめられる。


 そう言われても……司祭様が近くにいても特に変わったことはなにも感じなかった。もう少し近づけばなにかを感じることがあるのだろうか?


 「……首をどうかしましたか?」


 「え?」


 無意識に首の後ろに手を充てていた。また、ちりちりとひきつれているような感じがしていた。


 「ああ、今朝から少し皮膚が引っ張られるような感じがあるの」


 「……見せてください」


 「でも、ずっと続いているわけじゃなくて」


 黒檀色の髪をひとつにまとめて掬いあげる。そのまま頭の後ろでまとめてから、身体の向きをずらした。


 「少し触れますよ」


 首の後ろ、ちょうどうなじのあたりを指でなぞられた。冷たい。


 「……う」


 髪を上げて外気にさらされたうなじに、さらに冷たい指が這わされたために、背筋がきゅっと縮こまるような冷たさとくすぐったさを感じた。思わず口をついてへんな声を出しそうになるが、かろうじて耐える。地下室の二の舞はしない。わたしだって学習している。


 指先はそのままなにかを確かめているように、皮膚を探っていく。


 「あの……もう大丈夫よ。ずっとちりちりとした感じがあるわけじゃないから……ひゃう」


 今度はおかしな声をあげてのけ反ってしまった。ヴィーリアが指を充てている場所の、ひきつれた感じが急に強くなったのだ。


 「ミュシャ。……動かないで」


 「……はい」





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