【第29話】 伯爵と司祭様 1



 ベナルブ伯爵家の馬車が屋敷に到着したのは、午後の陽が傾き始める少し前だった。


 屋敷の者が総出でベナルブ伯爵と司祭様を出迎えた。


 お父様はヴィーリアに、アロフィス家は家格が上の侯爵家なのだから出迎えの必要はないと伝えた。しかし、『ミュシャ様と離れていたくないのです』と何喰わぬ顔をしてのたまったヴィーリアは、伯爵と司祭様を出迎えるためにわたしと並んで立っていた。


 一緒にいてくれるのは心強い。でもお父様とお母様の前でそれを言われるわたしの身にもなってほしい。愛おしそうにわたしを見つめて、はにかんだ微笑みを浮かべたヴィーリアに合わせるために照れた笑顔を返したが、心中は穏やかではない。『あら、まあ』とか『おやおや』とか、いろいろな含みを込めたお父様とお母様のぬるい眼差しが恥ずかしくてたまらなかった。


 シャールと一緒にお母様の背中に隠れるようにして、馬車から降りてくる人物を待っていた。 


 ちりちりとした違和感を首の後ろに覚えてそっと手を充てる。朝からうなじのあたりの皮膚が、髪の毛を強く結び過ぎたときに皮膚を引っ張られるように、つれる感覚があった。その感覚はずっと続いているわけではないのだが、気が付くとちりちりとつれるような感じがして、また気が付くと治まっているというような具合だった。痛くはないが……少し気になっていた。


 馬車から最初に降りてきたのは、柔らかそうな生地の深緑色の外套がいとうを羽織った長身の男性。


 少しの風が吹いても流れるような、さらりとした栗色の髪を耳にかけていた。涼やかな切れ長の目許めもとがこちらを向いた。瞳は髪と同じ栗色だった。口元に黒子ほくろがある。ベナルブ伯爵だ。


 お母様の背中に隠れるようにして立っていたにもかかわらず、伯爵の視線はすぐにシャールをとらえて微笑んだ。

 隠れて覗いていたシャールに淡い憧れをいだかせるのには十分な、情に満ちた優しさが溢れ出すような微笑みだった。


 次に姿を見せたのは、伯爵よりはいくぶんか背の低い男性。


 肩までの濃い金色の髪は強めに波をうっている。分厚く大きな丸眼鏡をかけていて顔がよくわからない。白いローブの司祭服に身を包んでいるので、彼が司祭様なのだろう。


 司祭様は馬車から降りるなり、こちらに顔を向けた。首の後ろの皮膚がまた、ちりちりとひきつれた。


 ヴィーリアは背が高いので隠れようもないが、わたしはお母様の背中に隠れるようにしていたのに、分厚い眼鏡越しに見られているという感覚があった。司祭様との距離は半径一メートルどころではない。もっと離れている。だけど、やはりなにかわかるのだろうか。


 別の馬車からは伯爵家の従者たちや、見習い司祭様とおぼしき、白いローブ姿の少年が旅の荷物を抱えて降りてきていた。


 「ベナルブ伯爵様、司祭様、よくおいでくださいました」


 「お久しぶりですね。ライトフィールド男爵様。皆様も」


 伯爵はお父様、お母様、シャール、わたしと順番に視線を移して目礼し、最後にヴィーリアで止めた。

 お父様は伯爵をヴィーリアに紹介した。


 「……そうですか。アロフィス侯爵家の……お初にお目にかかります。ミカロス・ベナルブです」


 「ヴィーリア・アロフィスです」


 ヴィーリアはいつも通りに、柔らかい物腰で対応していた。伯爵はヴィーリアと挨拶を交わすと、後ろで待っていた司祭様を紹介した。わたしはさらに数歩後ろに下がって適当な距離を確保する。ヴィーリアは司祭様のかなり近くにいるが大丈夫なのだろうか。


 「ルークス神殿司祭のフィリップ・ロロスと申します。今回の巡礼ではリモール領に立ち寄らせていただきます。ご面倒をお掛けすることと思いますが何卒よろしくお願いいたします」


 ロロス司祭様は丁寧に挨拶をし、礼をした。いつのまにか後ろに控えていた見習い司祭様もそれに追従する。


 「ようこそおいでくださいました、ロロス司祭様。リモール領を治めておりますハリス・ライトフィールドです。我がリモール領にもルークス教の信徒はおります。お立ち寄り下さったことを領民に代わりお礼申し上げます。どうぞ遠慮なくご滞在ください」


 ロロス司祭様は挨拶を終えた後は、一切こちらを気にしていない様子だった。お父様と伯爵とにこやかに談笑している。

 ヴィーリアにかなり脅かされて気にしすぎたのかもしれない。油断は禁物だが、警戒し過ぎるのも疲れてしまう。


 お父様とブランドは、伯爵とロロス司祭様と見習い司祭様を応接室へと案内した。後からお母様も応接室へと向った。


 シャールは早々に部屋へと返された。伯爵も数日は屋敷に滞在することになっている。話し合いがこじれれば、それ以降も逗留する可能性がある。伯爵が滞在している間はなるべく部屋でおとなしくしていなさいと、シャールもわたしもお父様に言われていた。


 ベルたちは伯爵が連れてきた従者たちの対応に掛かりきりになり、ケインとルウェインは歓迎会の準備のために大急ぎで厨房に戻っていった。


 「ミュシャ、貴女の部屋でお茶でも飲みませんか?」


 「いいわよ」


 気が付くと、いつものお茶の時間はとっくに過ぎていた。





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