【第26話】 冷たい唇 3



 お父様とお母様が炭鉱から戻ったのは、翌日のお昼過ぎだった。


 「ミュシャ、シャール! 戻ったよ」

 「お帰りなさい! お父様、お母様!」


 お父様とお母様に挨拶と抱擁を交わす。二人とも屋敷を発つ前とは見違えるほどに明るい表情をしていた。


 「ヴィーリア殿にも留守をお任せしてしまいました。感謝いたします」


 「どうぞお顔を上げてください。私は婚約者として当然の義務を果たしたまでです」


 ヴィーリアは男爵夫妻の前でも、ブランドたちの前でも、非の打ちどころもない完璧な婚約者を演じていた。


 こんなにも男爵家に溶け込んでしまったヴィーリアも、願いの成就を見届ければ去ってしまうのだ。皆の記憶からはきれいさっぱりと消えて、記憶は細かく修正されながら本来の日常に戻ってゆくのだろう。


 そこにわたしを除いては。


 お父様とお母様は報告があると、屋敷の者全員を食堂に集めた。


 「みんなよく今日まで耐えてくれた。このライトフィールド家を支えてくれたことを本当に……本当に感謝する」


 お父様がそう前置きをして語ったことは――。



 炭鉱から掘り出された鉱石を詳しく調べた結果、緑柱石ベリルであることがわかった。掘り出された緑柱石ベリルは色によって、それぞれに呼ばれ方が変わるものらしい。


 青色の緑柱石はアクアマリン。緑色の緑柱石はエメラルド。黄色の緑柱石はヘリオドール。桃色の緑柱石はモルガナイト。赤色の緑柱石はビクスバイト。無色の緑柱石はゴシェナイト。


 今回、炭鉱で発掘された鉱石は、緑色とも青色ともつかない色彩で高い透明度を持っていた。研磨し鑑定した結果、かなり上質のエメラルドだと判明した。現在発掘されている緑柱石の色彩の具合を見ると、鉱脈からはもしかしたら全ての色の緑柱石が発掘される可能性があった。それはとても珍しいことで、さらに鉱脈自体が非常に大きいものである可能性が技師たちの調査で示唆された。


 炭鉱の別の箇所からも、黒瑪瑙くろめのう琥珀こはくと思われる原石が見つかっていた。こちらはまだ調査中とのことだった。


 そしてヴィーリアの仲介で、翡翠ひすいを産出するクリムス領を持つアロフィス侯爵家から、発掘から宝石として加工するまでの技術や資材や人員などの全面的な協力を得られたこと。

 アロフィス侯爵家が取引をしている商会を通じて流通網を確保し、公国や大陸全土に商品として出荷できること。一連の事業が軌道に乗れば、男爵家の財政は大幅に改善され、新たな事業の発展に伴う関連事業も誘致される。領民の経済活動なども潤うであろう。と、そういったことだった。



 「旦那様……本当にようございました」


 ブランドは片眼鏡モノクルをそっと外して目尻を拭った。コディはそんなブランドを見て鼻をすすり、ケインは顔を真っ赤にして言葉を詰まらせている。ベルとフェイはお互いに手を取り合って、瞳を潤ませていた。わたしもシャールと肩を抱き合った。



 その後でわたしとシャールが執務室に呼ばれた。執務室にはお父様とお母様、ヴィーリアが揃っていた。


 お父様とお母様が座ったソファの向かいにシャール、わたし、ヴィーリアの順で腰を下ろす。


 「まずヴィーリア殿、このたびのこと改めて誠に深く感謝申し上げます」


 お父様が頭を下げた。


 「男爵様、どうぞお顔を上げてください。先ほども申し上げましたが、ミュシャ様の婚約者として当然のことです。礼には及びません」


 ヴィーリアがこれでもかというように慈愛たっぷりの微笑みを浮かべる。お母様はハンカチで目尻を拭った。そのついでにハンカチの陰から、ほら、ミュシャもお礼を言いなさいとの目配せをされる。


 「あの、ヴィーリア様。本当になにからなにまで、ありがとうございます」


 ヴィーリアに向き直り頭を下げる。


 「ミュシャ様まで……。私は貴女のお役に立てたのならそれだけで……」


 冷たい両手でわたしの手を取り、うっとりとした微笑みを浮かべる。

 どうしてもヴィーリアのふっくらとした唇に視線がいってしまう。逃げるようにうつむいた。


 お父様とお母様は、はたから見れば仲睦まじく手を取り、いたわり合う婚約者同士に目を潤ませていた。


 本当はなにを考えているのか解りはしないヴィーリアの微笑みは、わたしにとっては胡散臭いことこの上ない。だけど、感謝だけは本当に心の底からしている。


 「……それからミュシャ、シャール」


 お父様はコホンとひとつ咳払いをした。握られていた手をぱっと引っ込める。


 「私たちが留守の間、よく補佐をしてくれた。ありがとう」


 「本当に頑張ってくれたわ……。今までも……」


 「これからはもっと忙しくなる。しかし、お前たちにもやっと、報いることができるだろう」


 お父様もお母様もずいぶんと顔色が良くなった。思わず目頭に熱いものがこみあげそうになったが、隣からも熱い視線を感じて引っ込んだ。おちおち感動もできない。


 「それから先日の嵐の被害については、すでに指示を出して処理を始めているから心配はいらない。それで……ベナルブ伯爵様と司祭様の件だが……」


 シャールが隣でぴくりと肩を震わせた。


 「司祭様は巡礼の旅で、伯爵様の領地から我がリモール領に足を運ばれる。この屋敷に滞在してもらうことになるだろう。以前の巡礼が十年ほど前だ。ひと月ほどいらっしゃったはずだ。それを考えると、今回は十年ぶりということもあって……それ以上の滞在になるかもしれないな」


 ひと月以上も同じ屋敷で生活するというのは大丈夫なのだろうか? 傍に寄ると物理的に弾かれるということだが、具体的にはどれくらいの距離でどのように弾かれるのだろう。


 それに、司祭様の件とは別に……後できちんと確認しておかなくてはならないこともある。そのときに一緒に訊いてみよう。


 ヴィーリアをちらりと見ると、司祭様を鬱陶しがっていたことなどおくびにも出していない。なんでもないというように澄ましていた。


 「……伯爵様のことだが……シャール」


 突然、名前を呼ばれてシャールがはいと緊張した声をあげた。


 「実はお前に言っていなかったことがある。手紙を読んだのなら気が付いたかもしれないが……ベナルブ伯爵はお前に求婚の申し入れをしていたのだ」


 「わたし……知っていたわ」


 シャールの言葉にお父様とお母様はうなだれた。


 「すまない……。どうしても言えなかった」


 「不安にさせてしまっていたわね……。ごめんなさい。シャール」


 「いいのよ」


 シャールが微笑むと、お母様がハンカチで目頭を押さえた。


 「しかし、緑柱石の鉱脈が発見されたことで伯爵様に全額返済できる目途はついた。今回、こちらに司祭様を伴っていらっしゃるというのはいい機会だ。伯爵家からの申し入れとはいえ……この縁談は担保の要素が強い。シャールとの縁はなかったことにしていただこう」


 お母様が隣で肯く。


 シャールは、はいとも、いいえとも返事をしなかった。





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