【第23話】 高台の秋桜 2



 昼食を終えて、午後からはシャールと仕事を交代しようとしたが断られた。


 「ダメよ。今日はお姉さまのお仕事はお休みです。ヴィーリア様とゆっくりしてね」


 「でも、シャールも疲れたでしょう?」


 「昨日は休ませてもらったから大丈夫」


 こうなった時のシャールは頑固だ。絶対に譲らないし折れない。


 「あ! ヴィーリア様」


 シャールが手を上げた。振り返るとヴィーリアが廊下を歩いてこちらへと向かってくる。


 「どうかしましたか?」


 人畜無害そうな爽やかな笑顔を浮かべて、ヴィーリアは首を傾げた。


 「お姉さまと遊んであげてください」


 シャール、貴女ってば……。


 ヴィーリアは一瞬の間を置いてから、はい。喜んで。と微笑んだ。




 「……ということですが、なにをして遊びましょうか?」


 シャールが図書室に入って扉を閉めてしまうと、ヴィーリアが面白そうに訊いてきた。


 「遊ばないわよ」


 「まだ機嫌が悪いのですか?」


 「機嫌は悪くないわ」


 「今朝から……いえ、昨夜から少しへんですね」


 「……」


 「ほら、黙る」


 「……」


 「ミュシャ?」


 「――!?」


 すっと顔を寄せてきて、耳元で名前を呼ばれる。まったく油断も隙もない。


 「世話が焼けますね。大方おおかたなにも考えないようにしているのでしょうけど」


 「……平常心でいようと思って」


 「それはそれは。是非がんばってくださいと言いたいところですが……」


 「そうやって、からかっていればいいわ」


 もう絶対に、ヴィーリアになんか心を動かされたりしないと決めたのだ。


 「……まだまだ解っていませんね」


 ヴィーリアはこれ見よがしにため息をついた。


 「どういう意味?」


 「そんなことをすれば、余計になかせてみたくなるものですよ」


 久しぶりに背筋を冷たいものが駆け抜けた。


 これほど台詞とかけ離れた優雅で上品な微笑みは見たことがない。だからかえって得体が知れなくて恐ろしく感じる。似合う背景は、昼間の明るい陽の中ではない。薄暗い夕闇の、蝙蝠が飛んでいるような人気ひとけのないうらぶれた墓地だ。絶対に。


 「……いや、遠慮させてもらうわ」


 人をあえて泣かそうとするなんて、とんだ悪趣味だ。どんな目に合わせようというのか。考えただけで恐ろしい。今のうちにきちんとお断りをしておこう。何回も言うが目から出るのは汗だけど。 


 「そうですか? 残念です」


 「もう行くわ。ベルの手伝いをしてくるから」


 待ってくださいと、ヴィーリアに腕を掴まれて引き止められた。


 「ところで貴女は馬には乗れますか?」




 ライトフィールド男爵家は、リモールの町並みを見渡すことができる小高い丘の上に建っている。屋敷の奥には湖があり、後方にはリモール山脈とユーグル山脈が連なっている。


 屋敷の門を出て町にくだる道をそれる。横路よこみちに入り進んでいくと見晴らしの良い高台の平野へと続く。


 横路は一昨日の嵐のせいで、小枝や葉があちらこちらに落ちていた。

 道はすでに乾いていた。水はけの良い土地なのだ。


 『コディがライトとフィールドを運動させたいと言っていましたので、少し散歩にでも行きませんか?』


 そう言って乗馬に誘われた。


 ライトとフィールドは、かなり安直に名付けられた男爵家の馬だ。他にリモールとユーグルの二頭がいるが、今はお父様たちの馬車をいている。


 名付けたのはすべてお父様だ。名付けの感性センスは壊滅的だった。


 馬も半分以上手放していた。残っているのは早馬と馬車を引くためのこの四頭だ。


 『少しなら』と答えたが、実は乗馬は得意ではない。馬は可愛いのだが、背中に乗ると高さがあるので少し怖い。運動不足のせいで体力もあまりもたない。乗馬はシャールの方が得意だった。


 『まあ、今日のところは私と乗ればいいでしょう』


 『一人で行けばいいじゃない』


 『貴女は私を、慣れない土地に一人で放り出すのですか?』 


 『そういう訳じゃないけど……』


 『確認したいこともありますので。付き合ってもらいますよ』


 半ば無理やり強引にヴィーリアに抱えられて、ライトの背に乗せられた。


 ゆっくりと歩を進めるライトに揺られて、背中をヴィーリアに預けていた。


 ヴィーリアが二頭の手綱を引く。フィールドも後ろからついてきていた。


 秋の陽が色づき始めた葉の間から、木漏れ日となって降り注ぐ。すがすがしい空気の中で、深い樹々の匂いや土の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。これはこれで悪くはなかった。


 しばらく進むと樹々が途切れて、展望がひらける。高台の上に平野が広がった。


 一面の秋桜コスモスが咲いている。濃い桃色から、白に近い色まで濃淡もさまざまに、波のように風に揺られていた。嵐でも花びらは散らなかったようだ。


 眼下にはリモールの町並みが一望できる。その先にきらきらと光っているのはミゼル河の水面みなもだ。


 「なかなかに美しい光景ですね」


 ヴィーリアに褒められて得意な気分になった。


 「そうでしょ? 朝はミゼル河の向こうから陽が昇るの。夕方にはリモール山脈に沈んでいくわ。その時の景色もとても美しいわよ」


 だから絶対に守りたい。朝日にひらく窓や夕闇に灯る明かりの中に、それぞれの生活がある。歴代の領主が大切に守ってきた土地だ。ベナルブ伯爵には渡せない。


 ヴィーリアはしばらくなにも言わずにその光景を眺めていた。風が髪を巻き上げて吹き抜ける。一面の秋桜も大きく花びらを揺らす。


 「ミュシャ。私がこちらに渡った日に話した事を覚えていますか?」


 見上げると、ヴィーリアはリモールの町の遥か先、ミゼル河の向こうを見つめているようだった。


 「いろいろと言われたから。どのことかしら?」


 皮肉っぽく返すと、ちらりと視線を向けられた。


 「神殿には近づくなと言ったことです」


 「もちろん。覚えているわ」


 「それはよかった」


 「ヴィーリアたちと契約すると、神殿にも司祭様にも祝福にも弾かれて治療も受けられないって教えてくれたわよね?」


 ヴィーリアを召喚した、あの朔の夜に話をしたことだ。


 なぜ今、突然そのような話をするのだろうか。


 「その通りです……来ます」


 「なにが?」


 「……嫌な気配をここ数日の間で感じていたのですが……」


 「気配?」


 「……まったく、鬱陶うっとうしい」


 呟いてからヴィーリアが舌打ちした。いつもは慇懃無礼ながらも紳士然としているのに、珍しいこともあるものだ。


 「ヴィーリア?」


 ヴィーリアは紫色の瞳でしっかりとわたしを捕らえた。


 「ミュシャ。約束は忘れないように」


 ん? だから、なんのこと? 






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