【第22話】 高台の秋桜 1
「お姉さま、ヴィーリア様と喧嘩でもしたの?」
朝食が終わった後に、シャールがこそこそと囁いた。
「そんなことないわよ」
「……そうかしら?」
「そうよ」
ヴィーリアとわたしが朝の挨拶を交わしただけで、なにも会話がないのをおかしく思ったようだ。
話さないというか、話せない、話すこともない。
昨夜、図書室であんなことを言われたとあってはこちらにも意地がある。平常心を保つために極力、なにも考えないようにすることにした。特にヴィーリアの前では。するとなにも考えないようにすることに精いっぱいで、必然的に話すことができなくなる。なにも考えないようにしているので話す話題もない。
今朝に依代を徴収されるときにも、できるだけ心を無にしていた。心頭滅却すれば火もまた涼しと、遠い国の僧侶も言っていた。とにかく平常心。いつでも無念無想。
「でも、ヴィーリア様は気にしていたみたい」
「そんなことないわよ」
「……そうかしら?」
「そうよ」
「なにか、今朝からお姉さま……へんよ?」
「そんなことないわよ」
「……」
シャールがため息をついた。
「お姉さま、きっと疲れているのよ。今日のお仕事は休んで。わたしがやるから」
……。
シャールに気を遣わせてしまった。なにも考えないようにするのは難しい。考えないようにすることを考えてしまう……。
それに……よく考えてみると、平常心を保つのと心を無にするのは似ているようで違う気もする。
「……ごめんなさい。シャール。大丈夫よ。ちょっと、考え事をしていて……というか、考えないようにしていたというか……」
「……? でも、お姉さまは今日のお仕事はお休みするのよ。昨日、わたしがさぼった分、今日はがんばるわ」
「本当に大丈夫だから……」
「ダメ! ヴィーリア様とのんびりお茶でもしてね!」
シャールに図書室を追い出されてしまった。
思いがけず仕事の予定が空いてしまう。ヴィーリアとのんきにお茶を飲む気にもなれない。それならと、屋敷の仕事をすることにした。男爵家はいつだって人手不足だ。
廊下の窓から庭を眺めると、コディが先日の嵐で折れてしまった木々の枝を集めているのが目に入った。ヴィーリアも一緒にいる。
なんだかんだと、すっかりと男爵家に馴染んでしまったヴィーリア。
リューシャ公国でも指折りの侯爵家の次男を騙っているのはどうかとは思う。
しかし、庶子という触れ込みのために、家格が釣り合わない辺境男爵家の養女の婚約者という立場でも世間的には通用するだろう。
侯爵家の皆様には、御家名をお借りして非常に申し訳ないと思う。
願いの成就を見届けてヴィーリアがここを去るまで、リモール領のような片田舎中の片田舎の辺境の地の噂が、公都の侯爵家に届かないことを願うばかりだ。
ケインを手伝うことにして厨房へと足を運んだ。玄関ホールではベルとフェイが拭き掃除をしていた。
ケインは昼食と夕食のスープを仕込んでいる最中だった。
なにか手伝うことはないかと訊くと、ジャガイモの皮むきと柘榴の仕込みを頼まれた。
かなりの量のジャガイモをむき終えると今度は柘榴だ。
丸い柘榴の表面を布でこすり汚れを落とす。それからへたから少し下を切り取る。中は白い房で実が分かれているので、皮の外側から房に沿って切り込みを入れる。それに沿って柘榴を開く。あとは赤紫色の小さい柘榴の実をボウルの中に落として取り出していく。
「大分手際が良くなりましたね」
ケインがグリルにこれから焼くパンの生地を入れた。
「上手になったでしょ?」
「いい事なのかどうかはわかりませんがね」
ケインが笑いながら複雑な
柘榴の入ったボウルに水を張る。きれいに洗った実を、テーブルの上に広げた布巾に取り出して水気を切る。ガラス瓶の中に柘榴とその半分ほどの砂糖を入れる。軽く混ぜて仕込みはおしまい。時々、ガラス瓶の底に溶け残った砂糖をかき混ぜれば、あとはシロップが完成するのを待つだけだ。
柘榴の砂糖漬けの仕込みが終わったのは、ほぼお昼時だった。そのままケインと昼食の準備をした。途中からベルとフェイも加わり賑やかになった。厨房には、焼きたての小麦のパンの芳ばしい香りと食欲をそそるスープの匂い、砂糖と柘榴の甘くて酸っぱい匂いが混ざり合い漂っていた。
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