【第21話】 甘く薫る 2



 「私に出来ないことのほうが少ないのは事実ですが、魂はまったく別の問題です。もっと繊細でいろいろと複雑な条件がありますので」


 乙女心のほうが繊細で複雑なことに気が付かない上に、さりげなく自身の優秀さを誇示する慇懃無礼な口で繊細云々を語ってほしくはない。


 「……ヴィーリアはなんでもできるかもしれないけど、女の子のことはなにもわかっていないわ」


 恨みがましくじっと見つめる。ヴィーリアだってわたしのように、顔から火を噴くのを通り越して、火山が大噴火したかのような思いをすればいい。そうすれば絶対に今のような涼しい顔はしていられるはずがないのに。


 「ほう……。言いますね。ミュシャ。その歳になっても初恋もまだの小娘のくせに」


 紫色の瞳が眇められた。


 「なっ!? そんなことヴィーリアに関係ないでしょ?」


 なぜそんなことを知っているの? まさか記憶まで読まれているの? 


 仲の良い幼馴染や従兄弟いとこはいたが、友人以上には考えられなかった。

 なんでもお見通しだというようにヴィーリアは鼻で哂った。


 「そのようなことは貴女を見ていればすぐにわかることです。……お望みならば私が教えて差し上げますが?」


 柔らかく形の良い唇から、いつも以上に甘く、しっとりとした声で紡がれた言葉が鼓膜に注がれる。紫色の瞳がいっそう艶を帯びた。


 あまりにも妖艶な雰囲気に飲まれて一瞬、魅入られたようにほうけてしまった。


 テーブルの上のランプの炎がゆらりと震える。影が大きく揺れて、そのおかげではっと我に返った。


 危ない! まんまとうっかり、話をすり替えられるところだった!


 「……そ、その手には乗らないんだから! 誤魔化さないで。元にもどしてよ」


 ヴィーリアはくっと喉を鳴らして、愉しそうに笑った。


 「本当に貴女は……退屈しませんね」


 「わたしはヴィーリアの玩具おもちゃじゃないわ。ふざけないで」


 ふてくされ気味に軽くいさめると、ヴィーリアはふっと笑うのをやめた。


 「今は……まだ、ね」


 「……」


 その言葉は胸の奥に意外にも重く沈んだ。


 解っていることなのに。ヴィーリアとの契約を、実感として思い知らされたようだった。


 「また、泣きますか?」


 「泣かないよ!?」


 なぜそんなことを訊くのだろう。そうだと肯定したらまた、眦に唇を寄せて舐めとろうとするつもりなのだろうか。しかも以前のあれは目から汗をかいただけだ。


 「そう見えたので」


 「……」


 からかう口調から、心配するように声色が変わった。

 言葉が出てこなかった。

 ヴィーリアから視線を逸らしてしばらく下を向いて黙っていた。


 「……このようなことは初めてです」


 その言葉に顔を上げる。ヴィーリアは耳からほつれた長い前髪をかき上げ、腕を軽く組み、ため息をついた。


 「魂の一部が溶け合うことなど、今までにはなかった。ミュシャ。貴女には……」


 今までにない様子のヴィーリアに緊張して次の言葉を待つ。


 「やはり……諦めてもらうしかありません」


 「――は!?」


 一周回ってもとに戻ってしまった。堂々巡りにしかならない。


 「そんなぁ……」


 力が抜けて、情けない声がでてしまう。


 「ああ。またそんな顔をして」


 ヴィーリアは意地悪く口角を上げた。


 「ねえ、本当にどうにもならないの? そうだ! 試しにもう一回、わたしの魂に触れてみるとかは? もしかしたらそれで元にもどるかもしれないわ」


 「……それで、さらに融合されたらどうするつもりですか?」


 その可能性もある。だけど、だけど。もしかしたらという思いで今は藁をも掴みたい。


 「でも、とりあえずこの際、可能性があるならなんでもやってみないと」


 「もしかしたらなどという不確実さは可能性ではありません。無謀と言います。たったいち度、ほんの少し触れただけでこの状態ならば、再び私が貴女の魂に触れてごらんなさい。さらに大きく溶け合う可能性の方が高いでしょう」


 ヴィーリアは冷静に、そう判断したようだ。

 正論のような気がする。そういわれてしまうとぐうの音も出ない。


 確かに今以上に溶け合ってしまったら、強い思考や情動だけが筒抜け状態どころではすまないだろう。今でさえ、すこしヴィーリアの事を考えただけで彼は呼ばれたような気がしてしまうのだ。


 「……諦めろといわれても諦められないけど、わかったわ」


 未練を全面的に押し出して、気落ちしたように肩を落とす。


 ヴィーリアが罪悪感を覚えるのかどうかはわからない。しかし、ほんのひと握りでもわたしに申し訳ないという気持ちがあるのなら、この哀れな姿が胸にちくりと刺さればいい。


 これは事故のようなものだからヴィーリアも被害者なのかもしれない。でも被害の大きさが違う。思考と感情がダダ洩れの筒抜けと、甘い芳香。八つ当たりだとわかってはいるがそうせずにはいられない。


 ……でも、ヴィーリアの立場で考えてみると、知りたくもない思考や感情が流れてくるなんて……嫌、よね? それでもヴィーリアは、そんな時にも気にして様子を見に来てくれていた。優しい……のかもしれない。


 今まで自分の事ばかり考えていたけど……。


 なんだかわたしの胸に、ちくりと棘が刺さってしまった。


 「ミュシャ。対処方法を教えましょうか?」


 「! あるなら教えて」


 ヴィーリアは唇の端を上げて、穏やかに微笑んだ。


 「簡単ですよ。貴女が私に欲情しなければよいのです」


 はい! 前言撤回!! 





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