【第19話】 まさか!? 2


 午後からは陳情があれば、不在の男爵夫妻に代わって嵐の被害状況も受け付けなくてはならない。場合によっては領地の視察も必要になる。


 昼食にもシャールは起きてはこなかった。心配したフェイが部屋に行くと、気持ちよさそうに眠っていたので起こせなかったと困っていた。


 三時のお茶の時間の前にシャールの様子を見に行った。


 「シャール? 起きたの?」


 ノックの後に「はあい」と、なんとものんきな返事が返ってきた。


 部屋に入ると、着替えを済ませたシャールが机に向かって書き物をしていたようだった。ちらりと視線を向けると遮るようにシャールが立ち上がった。


 「起きたのなら何か食べないと。昨夜はずっと雷を見てたの?」


 「ごめんなさい。……だってとっても綺麗だったから」


 シャールは緑色の大きな瞳をうっとりとさせた。


 「フェイも心配してたわ。お茶の時間になるし、焼き菓子を用意してもらったから行きましょう?」


 「はあい。ところでお姉さまは……昨夜は大丈夫だったの?」


 「大丈夫よ」


 雷が苦手なことはシャールにも話していない。それは姉の沽券こけんに関わる問題だ。


 「ふうん。まあ、ヴィーリア様もいるし、ね?」


 「なに?」


 「ふふ。なんでもない。お腹が空いちゃったわ」




 夕方までに領内の村と町から、早馬で三件の嵐の被害と状況の報告があった。


 雨が降る前に収穫が終わらなかった果樹園の林檎が、大風で落ちてしまったこと。山から切り出した木材を運ぶ林道の一部が崩れてしまったこと。リモール領と伯爵領の間を流れるミゼル河の水位が上がっていること。幸いなことに人的な被害は上がっていなかった。


 報告されていない被害はまだあるだろうが、大きなものは今日のところは以上だった。 


 お父様にもすでに報告されているかもしれないが、炭鉱のある村まで早馬で使いを送った。


 夕食の後にベルたちと一緒にお風呂の準備をした。

 さっぱりとしてから図書室に向かう。少し残ってしまった書類の確認を終わらせておきたかったためと、林道の補修のための資料の確認をしたかった。


 ランプを片手に灰暗い廊下を歩いていると、手前で図書室の扉が開いた。


 「シャール?」


 「あ、お姉さま……」


 「どうしたの? こんな時間に」


 「遅い時間に起きたから……まだ眠くならなくて」


 綿菓子のような金色の髪をくるくると指で巻いて、恥ずかしそうに笑う。午後も遅い時間まで寝ていたのなら当然だろう。


 「明日の朝食は一緒に食べましょう。今夜は眠くなくても早く横になってね。夜更かししちゃだめよ」


 「はあい。……お姉さまはどうしてここに?」


 「資料を探しにきたの」


 「お仕事の?」


 「昨夜の嵐で林道が崩れたでしょ? 補修工事が必要になるだろうから、昔の工事の記録とか図面があればと思って」


 「……お姉さまばかりに押し付けてしまって………ごめんなさい。わたし……」


 シャールがうなだれた。


 「いいのよ」


 仕事は嫌いじゃない。どちらかと言えば好きだ。書類の作成や資料の収集、整理などの事務仕事も性格的に向いている。


 反対にシャールはそれらに全く興味がない。机に向かうよりは野外で視察や行動することを好む。


 男爵家の財政が立ち行かなくなる前に授業を受けていた家庭教師は、自然科学の専門だった。授業時間外でも、暇さえあればシャールと外に出て、植物や樹木、虫の観察などをしていたことを思い出す。


 「シャールも知っているでしょう? わたしは机仕事が得意なの」


 「お姉さま……」


 「さぁ。もう戻って。わたしも遅くならないようにするから」


 「はい」


 シャールを見送ってから半刻ほどで書類の整理を終わらせた。資料を探して、書架の間をランプを片手に行き来した。目当ての図面は棚の上方に見つけた。


 秋の虫の音色だけが忍び込んでくる図書室に、きぃ、と扉の開く音がした。


 「ミュシャ?」


 ヴィーリアの声に本棚の間から顔を出す。今日はいきなり部屋の中に現れるのではなく、扉から入ってきた。いつもそうしてくれると心臓も安泰だ。


 「ここよ。どうしたの?」 


 「まだ仕事は終わりませんか?」


 「来てくれてちょうどよかったわ。あとこの棚の上の、図面が取れれば区切りがつくの……」


 さっきから思い切りつま先を立てて背伸びをしているのだが、もう少しのところで届かない。指先は背表紙に触れるのに掴めないでいた。


 椅子を持ってくるのもしゃくに思えて、なんとかしようと腕を精一杯伸ばしていた。指にひっかけようとしていたところにヴィーリアが現れた。そう、ヴィーリアの身長なら、上の棚にある書物も楽に取れるのだろうと考えていた……。


 うん……?


 「これですか? どうぞ」


 背後に回ったヴィーリアは、わたしの肩に手をかけて腕を伸ばした。薄い茶色の表紙の図面にゆうゆうと手が届く。


 「ありがとう……」


 図面を受け取り、紫色の瞳をじっと見つめる。


 「それで、どうしてここに来たの?」


 ヴィーリアは顔色ひとつ変えずに、唇の端を上げた。


 「貴女に呼ばれたような気がしたものですから」 





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