【第18話】 まさか!? 1



 今朝も左耳の熱と疼きで眠りから覚めた。


 昨夜は雷鳴と閃光を遮るように、ヴィーリアの胸の中に顔を埋めていた。護られるようにして眠りに落ちたのは、雷がようやく治まった頃。


 今は背中側が暖かい。お腹にヴィーリアの腕が回されている。後ろから抱えられていて、左耳を甘噛みされていた。


 カーテンの隙間から漏れる光もない。外はまだ暗い。きちんとした眠りについてから、そんなに時間も経っていなかった。身体がだるくて、眠い。だけど……左耳から広がる熱と疼きでおちおち眠ってもいられない。


 「ヴィーリア?」


 「……お目覚めですか?」


 「まだ眠い……」


 「気にしないでおやすみなさい」


 「……ムリ」


 身じろいで、幼い子どもが駄々をこねるように頭を振ってみたが、ヴィーリアは意に介さなかった。仕方がないのでそのまま目を閉じていた。今朝はいつもよりも甘噛みされている時間が長い気がした。とっくに熱も疼きも眠さも限界だった。


 「……もう、本当にムリ!」


 ヴィーリアの額を両手で押し返すと、意外にあっさりと唇を離した。熱と疼きは掻き消えるように、すっと溶けていった。


 「……昨夜は私がいなければ眠れなかったくせに」


 珍しく、拗ねたような物言いのヴィーリア。


 「でも、眠いの」


 依代の提供も契約のうちなので申し訳なくも思うが、今朝は眠さがさった。


 目を閉じれば、すぐに眠りに落ちてゆきそうだった。


 ヴィーリアになにか耳元で囁かれた。なにを言われたのかは解らなかったし、覚えてもいない。眠りに引き込まれる寸前だった。ただ、うん、うんと肯いていたような気がする。




 二度目の眠りをベルのノックで起こされると、隣にはすでにヴィーリアはいなかった。


 嵐が去った翌朝は雲ひとつない晴天で、空は高く澄みきっていた。

 昨夜の嵐が雲をひとつ残らずどこか彼方へと運び去ってしまった。


 急いで顔を洗い、着替える。髪も梳かして食堂へと向かうと、すでに涼しい顔をしたヴィーリアは紅茶を楽しんでいた。


 「おはようございます。ミュシャ様」


 「おはようございます。ヴィーリア様」


 穏やかに微笑むヴィーリアに負けないように笑みをつくる。


 「よく眠れましたか?」


 「……おかげさまで」


 髪を梳かしているときに鏡を見ると、目の下にうっすらと隈ができていた。昨夜は浅い眠りを繰り返していたせいだ。

 

 夜半過ぎに眠りについたが、明け方にいつも通りに依代を徴収されて目が覚めてしまった。本当はまだ眠い。


 ヴィーリアもそんなに眠ってはいないはずだ。雷鳴で眠りから引き戻されるたびに、ヴィーリアは心配ないと囁いてくれていた。それなのに、大丈夫なのだろうか。滑らかな肌には寝不足のあともないけど。


 「それはよかったです」


 「ヴィーリア様もよくおやすみになられましたか?」


 皮肉半分、心配半分で訊いてみた。ヴィーリアはこれ以上はないというくらいの、慈愛に満ちた笑顔をよこす。朝の眩しい陽光の中にいるヴィーリアは、人好きのする爽やかな好青年のようだった。


 ベルとフェイの頬が桃色に染まった。あの慇懃無礼さはどこに隠したのやらと逆に感心してしまう。


 ベルが紅茶のポットを持ってきてくれた。カップには自分で注ぐ。赤みがかった琥珀色の紅茶は瑞々しい果物のような香りがした。しばらくゆっくりとその香りを楽しんだ。


 シャールを呼びに行ったフェイが戻ってきたが、シャールの姿はない。


 「シャールは?」


 「それが……昨夜、遅くまでお休みになられなかったようです。まだ起きられないと……今朝は朝食もいらないそうです」


 「わかったわ。ではヴィーリア様とわたしでいただきましょう」


 シャールらしいと言えばシャールらしい。心の底から楽しそうに窓辺に張り付いている様子が浮かんでくる。苦笑してしまう。わたしはあんなにも雷が怖いのに。


 今日はゆっくりと寝かせておいてあげよう。

 もしかすると夕方くらいまでは起きてこないかもしれない。




 朝食後に裏庭の菜園に行った。先日、シャールと二人で秋蒔きの葉物野菜を植えた畑だ。


 庭はぬかるんでいたが、一面水たまりということもなかった。小さい水たまりはいくつもあるが夕方までには消えるだろう。リモールの土壌は水はけがよい。


 種を蒔き、盛り土をした場所は強い雨で土がえぐられていた。小さな芽は倒れたものや、流されて水の溜りに浮かんでいるものもある。手早く植え直していく。


 完全に水がはけたら落ち葉も片付けなければならない。昨日の強い風で、赤や黄色に色づく前の葉も、残念なことにだいぶ散ってしまっていた。裏庭の楓や銀杏の樹は、秋が深くなると鮮やかに葉の色を変えて目を楽しませてくれるのに。 


 スコップを片手にしゃがんで作業をしていた。

 物珍し気にあちこちを見廻して裏庭を散策していたヴィーリアは、シャツの袖をまくって隣に腰を下ろした。


 「手伝います」


 「……ありがとう。でも、できるの?」


 「失礼ですね」


 わたしからスコップを奪う。水の溜りに浮いた小さい緑色の芽を手際よくつまんで植え直し、崩れた土も盛っていた。


 大きな背中を丸めて一生懸命に作業をする様子に、なぜだか獰猛な肉食獣がお行儀よくテーブルについて、フォークを器用に使いながら野菜サラダを食べる姿を想像してしまった。なんだか大きな背中が可愛らしくみえた。


 ヴィーリアが手伝ってくれたおかげで、考えていた時間の半分もかからずに作業が終わった。


 魔術で片付けないのかと訊くと、面白そうだったのでやってみたくなったとのことだった。好奇心は旺盛なようだ。


 ブランドからは屋敷の状況報告があった。被害は考えていたよりも少なかった。雨が強く吹きつけた窓から染み入った雨水で、屋根裏部屋の床に水が溜まったとのことだった。 


 「地下室の浸水はありませんでした」と報告したブランドは、誰がいつの間に片づけたのやらと呟いて首を傾げていた。





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