【第16話】 雷嵐の夜 2



 「……また貴女は。そんな声を出して」


 飛び起きて寝台の上にへたり込んだ。

 はぎ取ったブランケットを持ったヴィーリアは、寝台の脇から見下ろしていた。


 心臓の鼓動がこれ以上はないというくらいに早鐘を打っている。雷も怖い。けれどもこれは……心臓が口から飛び出るほどに驚いた。いや、少し飛び出しかけていたような気もする。なんなら髪の毛が全部、栗のいがのよう逆立っていてもおかしくはない。


 ひとりきりの部屋で名前を呼ばれて、くるまっていたブランケットをいきなりはがされれば、誰だってこんな声も出るというものだ。決してわたしが悪いわけではない。絶対にヴィーリアのせいだ。


 「な、な、なんでヴィーリアがいるの?」


 驚きすぎて胸が苦しい。胸に手を充てて早すぎる鼓動をなだめる。本当に寿命を縮めようとしているのじゃないだろうか? それともまさか、この時間に依代を徴収しにきたのだろうか。夜間では歯止めがきかないというから早朝にしたのに。


 とっさにもう片方の手で左耳をかばう。出血多量で連れてかれるのには、まだ早い。


 「貴女に呼ばれたような気がしたものですから」


 「呼んでないよ!?」


 呼んではいない。確かに呼んではいないけど、ヴィーリアは今どうしているのだろうとは考えた。


 ……あれ? なに? 

 わたしたちなにか心が通じ合っているの?


 ヴィーリアは寝台に膝を乗せて上がり込み、勝手に隣に身体をおいた。肘をついてこちらを向いて横になる。窮屈そうに、タイの結び目を片手で弛めている。紫色の瞳はうっすらと燐光を放っていた。白銀色の艶やかな髪が寝台にこぼれて広がっている。長い指をぱちんと鳴らすと、いつかの青い蝶が部屋の中を舞い始めた。


 「……雷が怖かったのですか?」


 「そんなこと、ないわ」


 「嘘が下手ですね。ブランケットに包まって震えていたくせに」


 「……それは……」


 早鐘のようだった鼓動は、ヴィーリアの穏やかな口調と、しっとりとした声にあやされるように落ち着いてきた。


 「まったく。私を呼び出すような大胆さがあるかと思えば、雷などが怖いとは……」


 呆れたように、からかうように哂われて顔に血が集まってゆく。


 「そんなこといったって……怖いものは怖いんだから仕方がないじゃない」


 「貴女の妹の方が度胸はありそうです」


 「シャールは昔から雷が好きなのよ」


 「……雷のことだけではないですが」


 強烈な白い閃光と同時に、轟然ごうぜんたる雷鳴が響く。


 「――!」


 反射的に身がすくんだ。

 近くに落ちている。雨が降っているから心配はないとは思うが、山火事のことが頭をよぎる。


 「大丈夫です」


 ヴィーリアの腕が寝台にへたり込んだままのわたしの腰に回された。そのまま強く引き寄せられ、ヴィーリアの隣に倒れ込む。さらに深く引き込まれて、温度を感じない胸元に顔が埋まりそうだ。タイを弛めたときに、シャツのボタンも外していたらしい。ヴィーリアの白い肌が襟元から覗いていた。


 「ちょっと!」


 「いい子にしていなさい」


 腕を突っ張って囲いから逃れようとしたが、やはり力では敵わない。


 暴れても仕方がなさそうなので、言われた通りにヴィーリアの胸の中に囲われていた。


 白い肌が覗く襟元から視線を逸らして、おとなしくしている。安心させるように、背中をぽんぽんと優しい調子リズムで叩かれた。まるで、ミルクを飲んだあとの赤子をあやしているようだ。


 左耳に口づける気配もない。

 これは……依代の徴収ではなく、心配して様子を見に来てくれたのだろう。……それにしてもいい子にしていなさいだなんて、まるきり子ども扱いだ。


 一向に止む気配もない閃光は、断続的に室内を青白く浮き上がらせる。雷鳴も鳴り止まない。

 そんな夜の中でヴィーリアに抱き寄せられていると、不覚にもまもられているという安心感を覚えてしまう。


 ……恐ろしい雷の夜に一緒にいてくれる。それはとても心強い。背中に回された手の重みが心地よい。ヴィーリアが心配してくれたことが嬉しい。揺りかごの中で、絶対的な安心感に包まれて微睡まどろんでいるようだ。


 悪い夢のような雷の夜に、室内を優雅に翔ぶ青い蝶。そのままヴィーリアに身体を預けて瞼を閉じる。早く雷も嵐も去ってしまえばいいと思う。その反面、嵐が続けばこのままでいられるのにとも思う。すべては刻印された影響なのかもしれないが、魔法陣を刻まれた召喚者は、魂の契約をした『人の理の外の者』にこのような気持ちを抱くのが常なのだろうか?





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