【第15話】 雷嵐の夜 1


 玄関ホールにシャールたちが駆け込んでくるのとほぼ同時に、大きな雨粒が空から落ちてきた。最初の雨粒が庭の敷石を叩き、黒くあとをつける。瞬く間に雨は景色を白く染め上げた。雨の匂いが濃く立ちこめる。


 図書室は裏庭に面している。

 窓からシャールたちが小路を走って戻ってくるところが見えたので、玄関ホールへと向かった。


 「シャールも皆も大丈夫? 濡れなかった?」


 「ありがとう、お姉さま。大丈夫よ。それよりもほら。これを見て」


 シャールは背負っていた藤籠の中味を得意そうに見せる。藤籠の中には、まるでついばんでいるかのような小鳥のくちばしがついた、丸くて紅い柘榴がたくさん入っていた。


 「今年は豊作だったの。ケインが砂糖漬けをつくってくれるって」


 シャールはケインに嬉しそうに微笑んだ。ケインはたっぷりとした白い口ひげを蓄えている、気のいいコック長だ。先代のころから男爵家の厨房で働いていた。


 柘榴を砂糖に漬けて出来たシロップは、水で割って飲む。子どもの頃からのシャールとわたしの好きな物のひとつだった。

 砂糖は貴重品だ。ケインは食材費の予算をうまくまわして、毎年そのための砂糖を購入してくれていた。


 ヴィーリアは遠慮するベルの藤籠を持った。


 「雨の前に収穫できてよかったですよ」


 たっぷりとした口ひげと同様のお腹をさするケイン。雨が降り出す前にと、走って戻ってきたために切れた息を弾ませていた。


 皆で柘榴がいっぱいに詰まった藤籠を厨房へと運ぶ。 


 大粒の雨はすぐに本降りになった。激しい雨音を立てて屋根や窓を打ちつける。風が強いため、雨が流されて横から降っているようだ。

 秋の始まりには、激しい風と雨をともなった嵐が稀にくる。


 「この風雨だと果樹園や作物が心配ですね」


 ベルは厨房の窓から雨で白く煙った外を眺めた。実りの季節にこの嵐は痛手となる。 


 自然相手ではどうにもならないのがもどかしい。嵐が早く治まるように祈ることしかできないが、もう祈る資格も持たないわたしは、ヴィーリアにでも願えばいいのだろうか。


 「今夜は荒れそうですね」


 振り向くと、執事のブランドがコディとフェイと一緒に厨房の入り口に立っていた。ブランドとコディは古びたシーツを抱えている。フェイはバケツと雑巾を持っていた。


 「念のために雨が当たる窓は水が入らないよう塞いでおきますが、お嬢様たちのお部屋もお気をつけください。なにかありましたらすぐにお呼びください」


 「わかったわ。ありがとう」


 ここ数年は屋敷の修繕が充分とはいえなかった。目に見えて傷んでいる箇所はないが、このような嵐の日は注意が必要だ。なにが起こるかわからない。


 ……お父様とお母様は大丈夫だろうか。


 ちらりとヴィーリアを見上げると、まるで心を読んだかのようにうなずいてみせた。

 すっと耳元に顔を寄せて心配はないと囁かれる。わかりやすく不安が表情にでていたらしい。


 ヴィーリアは好青年とはかくあるべしといった、にこやかな微笑みを浮かべている。ブランドたちにも愛想がいい。わたしと二人きりのときの、尊大で慇懃無礼な態度はみじんもない。外面はとにかくいいのだ。

 屋敷で働く者たちにもヴィーリアはすっかり受け入れられていた。


 夕食の頃には、樹々の枝葉を大きくしならせ、落葉らくようのときを待たずして葉を散らせていた強風は、おおかた治まっていた。


 雨はまだ降り続いていたが、次第に雨脚は弱まっている。風が弱くなるにつれて雷鳴が聞こえてきていた。獲物を狙う獣の低いうなり声のように、遠くから徐々に、まるで屋敷を目指して近づいてきているようだ。


 食事を終えると早々に部屋に戻った。こんな夜は早めに寝てしまうに限る。


 寝台に横になり目を閉じていても、カーテン越しに雷の閃光が瞼を刺激する。少しの間をおいて、空間を無理やりに裂くような轟音が鳴る。お腹の底にまで響いてくる。


 雷は苦手だ。


 反対にシャールは幼い頃から、雷が鳴ると窓に張り付いて稲妻を観察していた。


 怖いからやめなよと、シャールの小さな手を引っ張った。雷鳴で大気が震え、びりびりと振動する窓から離そうとしたが、頑として動かなかった。とてもきれいだから一緒に見ようよと、無邪気に笑っていた。


 シャールは柔和な可愛い顔立ちに似合わずに、幼いころから意外と豪胆な面がある。部屋で遊ぶことよりも、野原を走りまわって草木や虫を観察することが好きだった。新型の耕作機の展示会や、蒸気機関車のお披露目にも目を輝かせていた。今夜も窓辺で、雲間から幾重にも走る雷光を楽しそうに眺めているに違いない。


 「―――!」


 瞬間、ひときわ白い閃光が弾けたかと思うと、ほんの少しの間をおいて、轟くような雷鳴が耳をつんざいた。


 素早くブランケットに潜りこんだ。膝を丸めて両腕を抱え縮こまる。


 怖い。

 雷は歳を重ねても慣れない。昔よりも苦手になっているような気もする。これは本能的な恐れだから理由なんてない。苦手だから苦手。嫌いだから嫌い。怖いものは怖い。そういうことだ。


 ブランケットの中で背中を丸めて震えていた。ヴィーリアが昼間に厨房で、心配ないと囁いた微笑みが思い出された。今夜、ヴィーリアはどう過ごしているのだろう。まだ食堂で、お気に入りのリモール産の紅茶でも楽しんでいるのだろうか―――。


 「ミュシャ」


 「ぎゃああああああああああ―――!?」


 わたしの絶叫はタイミングよく鳴り渡った轟音の雷鳴にかき消された。そうでなければ屋敷にいる者たち全員が、何事かと部屋に駆けつける事態になったはずだ。





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