【第12話】 炭鉱の鉱石 1



 慌ただしい朝食が終わると、お父様はお母様とヴィーリアを伴って執務室にこもった。


 昼食の前には炭鉱の責任者たちが数人の客人を伴い屋敷を訪れた。執事のブランドが執務室へと案内する。ブランドにそれとなくくと、商会の筆頭や輸送責任者、宝石、鍛冶、装飾分野の関係者だという。


 ブランドの家系は代々ライトフィールド男爵家の執事を務めている。先代執事はブランドの父親だった。 


 ブランドはお父様が産まれた頃には、執事見習いとして屋敷で働いていたという。

 片眼鏡モノクルを掛けている、真面目で忠誠心のあつ好々爺こうこうやだ。孫のコディも見習い兼下働きとして屋敷に残ってくれていた。


 昼食の時間になってもお父様たちは執務室から出てこなかった。


 シャールと午前中に書類の整理をして、昼食は二人で取った。午後の仕事を始める前に、シャールと裏庭に秋蒔きの葉物野菜の種を植えた。


 空は高く澄んでいる。秋晴れの気持ちのよい日だ。


 「ねえ、お姉さま。炭鉱から出た鉱石って、やっぱり宝石だったのかな?」


 シャールは大きな緑色の瞳をさらに大きくした。畑仕事の邪魔にならないように、淡い金色の髪をひとつにむすんでいる。

 しゃがみ込み、種を撒いた溝に小さなスコップで土を盛っていた。


 その横顔を眺める。頬はまだほんの少し丸みを帯びている。そこにはあどけない少女の名残があった。


 「きっとそうよ」


 安心させるように笑う。心配しなくても、もう、大丈夫。


 「ふふふ。もし、そうだったら……そうしたらわたし……」


 シャールは緑色の瞳を潤ませた。声は小さく震えていた。


 腕を伸ばしてシャールを抱きしめる。ふわりと暖かい陽光の香りがした。


 「シャール。大丈夫。なにもかも全部うまくいく。わたしを信じて」


 「お姉さま……」


 「わたしの勘は当たるんでしょ?」


 優しく頭を撫でる。シャールが腕の中で小さく頷いた。


 「ベナルブ伯爵様には、シャールはもったいないもの」


 「……でも、お姉さま。実はわたし、伯爵様のお顔は嫌いじゃないのよ」


 シャールは眦を指で拭いながら、悪戯を告白するように微笑んだ。


 「ええ? いつ伯爵様にお会いしたの?」


 これには驚いた。

 お父様もお母様も、独身の伯爵と年頃のわたしたち姉妹を極力会わせないようにしていたからだ。お人好しの両親ではあるが、思うところはあったのだろう。


 わたしは過去に二回ほど偶然に庭で会ってしまい、挨拶だけは交わしたことがある。

 だけど、シャールが伯爵と会ったことがあるというのは知らなかった。


 二年前に伯爵からシャールへの申し出があって以来、お父様とお母様は伯爵領へと出向いて話し合いを持っていた。領地を出ないわたしたちは、伯爵と顔を合わせる機会はなかったのに。


 「お会いしたわけではないの。……うちの領地を助けてくれたと聞いて、どんな方だか気になって。屋敷にみえたときに陰からちょっと覗いてみたの。……そうしたら伯爵様と目が合ったような気がして……。微笑まれたお顔が優しそうで素敵だったのに」


 シャールが思い出すように目を閉じた。


 ……そうだったの。

 伯爵はシャールを気に入ったのだ。なにしろシャールは可愛い。


 陽に透けるふわふわの金髪は、綿あめのように柔らかくて甘そうだ。緑色の大きな瞳は、好奇心の塊のようでころころと表情を変える。ふっくらとした桃色の唇は鈴のように響く声を紡ぐ。いつも笑顔を絶やさない。シャールを嫌いになる人間はいないだろう。


 ベナルブ伯爵が借金のかたに男爵領を要求することを、今までは男爵家の正しい血統を持つシャールをめとることで正当化しようとしているだけだと思っていた。


 まあ、それも理由の一つではあるのだろうが……。


 「でも……お父様やお母様、お姉さまをこんなにも困らせることをなさるなんて……」


 困らせるどころの話ではない。

 領地を乗っ取られる上に、シャールまで婚姻という形でさらわれ、ライトフィールド男爵家は没落決定寸前まで追い詰められていたのだ。


 ベナルブ伯爵の顔を思い浮かべる。


 二年以上前にたったの二回、それもちらりと挨拶を交わした程度の伯爵の容貌はうっすらとしか思い出せない。


 肩までの栗色の髪に、切れ長の目をしていたように思う。瞳は確か……髪と同じ栗色だった。口元にあった黒子ほくろは、妙に印象的だったので覚えている。わりと細身だったとも記憶している。背はお父様よりもずいぶんと高かった。聞いていた歳よりも若いように見えた。


 窮地に陥った男爵領を助けてくれるという伯爵に、感謝と尊敬の念をいだいた。

 悪い印象など、みじんも抱きもしなかった。しかし、それがまさかこんなことになろうとは……当時は知る由もない。


 「シャールは伯爵様を好きだったの?」


 シャールの頬がみるみる赤く染まる。


 「声を聞いてみたいと……お話をしてみたいとは思っていたの。……今は、わからない……」


 「……」


 伯爵は、お父様の信頼とシャールの淡い憧れまで壊したのだ。


 小さくて薄い背中をなだめるようにさすった。 


 吹いてきた風が、裏庭に咲きこぼれる橙色の菊の花たちを揺らす。


 ベルがお茶を淹れましたと呼びに来た。





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