【第5話】 人の理の外のもの 1



 うやうやしく礼を取ったソレを、茫然と見つめる。ゆるくひとつに束ねた艶々とした白銀色の髪は、肩から流れて床につきそうなほど。


 ということは。

 ということは……。

 ということは…………!


 一応、成功? したの? わたしの願い、叶えてもらえるの?


 「は、ははは……」


 身体中から一気に力が抜け、床にへたり込んだ。安堵のあまり腰にも足にも力が入らない。まさか夢じゃないよね? 今さら夢とかいわないよね?


 「お嬢さん。どうかしましたか?」


 座り込んでしまったわたしに、ソレが手を貸して引き上げてくれる。やっぱり冷たい。腕は細い割には筋肉質だ。


 「……召喚は成功したのね? あなたがわたしの望みを叶えてくれる、悪魔なのね?」


 「……」


 「あの……早速、お願いしたいことがあるの」


 ソレに掴まれている腕からは、総毛立つような禍々しさが悪寒として伝わってくる。しかし我ながら現金なもので、願いを叶えてくれる救世主だと分かった途端に、あまり気にもならなくなる。


 これで、これでもうシャールが借金のかたに、悪名高いベナルブ伯爵に嫁がなくてもいいのだ。お父様は小さな領地を手放すこともない。少ない給金で残ってくれた屋敷の者たちにも報いることができる。万々歳ではないか!


 「なんなりと。……ですが、その前にひとつ」


 「なにかしら?」


 「私を“悪魔”と呼ぶのはやめていただきたい」


 ソレが無邪気そうに、優雅に美しく微笑む。薄暗い地下室に美しい花が咲いたようだ。まさに、こぼれるような微笑みだった。しかし、その微笑みとは裏腹にとてつもない悪寒が背中を駆けた。


 「魔術古文書グリモワールにはそう書いてあったのだけど……?」


 「それは人間たちが勝手にそう呼んでいるだけのこと。我々は人間のことわりの外に存在しているものです」


 「……そうなの? わかったわ」


 冷たい汗がたらりと背中を伝った。本当はなにもわかってなどいないが、もっともらしくうなずいてみせる。願いを叶えてくれるなら悪魔だろうと、妖精だろうと、あやかしだろうとなんだってかまわない。だけど、ソレがそう呼ばれたくはないのなら、気持ちよく契約を履行りこうしてもらうためにそうは呼ばない。


 では、なんと呼べばいいのだろう。……そもそも人間の理の外ってなんなの?


 「私のことはどうぞヴィーリアと呼んでください」


 「わかったわ。わたしはミュシャ。ミュシャ・ライトフィールド。ライトフィールド男爵家の一応、長女よ。よろしくね」


 ソレが自ら名乗ってくれたことにほっとしながら、改めてヴィーリアに手を差し出して握手を求める。


 ヴィーリアは紫色の瞳でじっとその手を見つめた。ナイフの傷のない右手を出したのだが、またいきなり指を舐められたら対処に困る。警戒はしておく。


 少しのをおいてその手を握り返したヴィーリア。やはり冷たい手をしている。


 「……ところでミュシャ。契約の依代と対価については十分に理解していますか?」


 「知っているわ。ヴィーリアを召喚するための依代はわたしの血でしょ? 願い事の対価は……わたしの魂」 


 深紫色の瞳がきらりと光る。


 「そうです。依代は貴女の血です。それはこの世界にわたしを繋ぎ留めておくために必要なものです。そして願い事は一つだけ。願い事の対価は、貴女の魂……」


 わたしの反応を探るように、言葉を区切る。大丈夫。もとよりそのつもりだった。


 「わかっているわ。その代わりに絶対に願いは叶えてもらう」


 「……契約が成され、願いが成就した暁には、我々が対価をどう回収するかはご存じですか?」


 「それは……知らないわ」


 そこは確かに気にはなっていたのだが、残念ながら魔術古文書グリモワールに記されてはいなかった。この魔術古文書グリモワールは肝心な記述が抜けているようだ。読み手にあまり親切ではないように思う。


 「貴女の命の炎が尽きたあと、私がお迎えに上がります。……ミュシャの魂は永遠に私の所有となります。人の輪廻の理からは外れて」


 紫色の瞳はわたしをうっとりと見つめて、なぜだか一層艶を帯びた。


 ……人の理の外ってそういう意味だったのね。


 人は儚くなったら生まれ変わると、幼いころに巡礼じゅんれいの旅をしていた司祭様に聞いたことがあった。けれど契約したらもう生まれ変わることはないと、ヴィーリアはそう言っているのだ。


 ヴィーリアに願うのは、大切な家族と男爵家を支えてくれている人たちの幸せと安泰。その結果、領地とそこに暮らす人々の暮らしと、幸せと平穏を守ることができる。それを叶えてくれるのならばかまわない。来世はないかもしれないが、今世でそれを見届けることができるのならばそれでいい。永遠などという時間も、ヴィーリアに囚われた魂がどうなるのかもわからないが、それでもいい。


 ああ、でも……生まれ変わったお父様、お母様、シャールとは会うことはできなくなるのね。


 「……まあ、でも、寿命が尽きるまでは自由に生きられるのでしょ?」


 願いが叶えられたら、即時に魂を回収されないだけでも儲けものだろう。


 それにしても……人間の魂というのはヴィーリアたちにとって、対価に成り得るほどの価値があるものなのだろうか?





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