【第3話】 召喚 1



「え? え? ええ?」


 金色、虹色、白銀色の神々しいほどに美しい光の洪水がひいた後に、目の前に突如として現れたソレをゆびさした。間抜けにも口を開けたまま、それしか言葉が出てこなかった。


 なにこれ? どういうこと? 失敗? 成功? いや、そもそも召喚呪文を唱えてさえいないよ?


 「むやみに指をさしたらいけないと、教えてもらいませんでしたか? お嬢さん?」


 目の前のソレが腕を伸ばした。白く長く美しい指を、さしたままのわたしの指に絡めて、やんわりと腕を下ろさせた。絡められた指はひんやりと冷たかった。それがやけに心地よく感じられたのは、地下室のじっとりとした湿気に充てられていたからに違いない。

 わけの分からない事態に混乱して、頭の中が真っ白いままでそんなことを考えていた。


 「……お口も閉じたほうがいいですね。淑女にはあるまじきお顔になっていますよ?」


 目の前のソレは、絡めたままのわたしの指先をソレの唇に持っていくと、軽い音を立てて口づけた。


 「――っ!?」 


 その衝撃で我に返る。さっとソレの唇から腕を引いた。指がソレの唇に触れた瞬間、本能的な寒気が全身をめぐった。自分の心臓の鼓動が耳にうるさい。


 「おやおや、たぐまれな芳香に抗えず渡ってみれば……ずいぶんと初心うぶなお嬢さんですね。ああ……お口も閉じられたようでよかったです」


 探るような上目遣いのソレは、妖艶としか形容のできない微笑みを浮かべた。


 深い紫色の光彩を持つ瞳の周りは、白銀色の髪と同じ色の長い睫毛に縁取られている。きれいに整った卵型の小さい輪郭。白磁器のように白く滑らかな肌。すっと通った高い鼻筋。ふっくらとした柔らかそうな桃色の唇。白銀色の艶やかな長い髪は、ゆったりとひとつに束ねられていた。


 身長はわたしと同じくらいだ。高くはない。細身の身体からだに飾り気のない黒いタイと黒いシャツとジャケット、黒いスラックスを身に纏っている。その黒一色の簡素ながらも機能的な装いは、美しい少女の容姿をさらに際立たせていた。


 「……あなた、なに?」


 ソレから目が離せなかった。

 獰猛な獣に遭遇したときには、視線を逸らさずにゆっくりと後退すれば助かる可能性が高いからね。絶対に背中を向けて逃げてはいけないよ。と、狩りのときにお父様から教わったことが頭をよぎる。


 ソレはとても美しい容姿をしていた。しかし、かえってそのことがとても恐ろしく感じられた。視線を逸らせばすぐにでも捕って喰われそうな恐れと威圧を感じながらも、震える声でソレに問う。


 もしかしたら美しすぎる魔術師なのではないか? とも考えた。転移に失敗して、間違えてこの地下室の魔法陣に迷い込んでしまったのかもしれないと。

 しかし今は、はっきりとわかる。ソレは少なくとも人ではない。なぜなら全身が総毛立つようなこの感覚。生存本能は、人ではないなにかだと告げている。


 「そんなに警戒しないでください。お嬢さんに召喚よばれたから来たのですよ?」


 桃色の唇の両端を上げて優雅に微笑み、一歩ずつ近づいてくる。


 「……まだ、召喚してない」


 ソレが近づいた分だけ一歩ずつ下がる。


 ソレは腕にしっかりと抱えられている魔術古文書グリモワールと、床の朱い魔法陣にちらりと視線を移したかと思うと、わたしの左手を素早くつかんだ。そのまま顔の前に左手を上げさせる。

 左腕で抱えていた固い表紙の魔術古文書グリモワールが床に落ちて、重い音をたてた。

 握りしめていた指も広げられる。

 左手の薬指の先にはナイフでつけた傷がある。ぎゅっと強く薬指をつかまれた。ナイフの傷から、再びゆっくりと赤い血が球になって浮いてくる。


 「……ほう」


 浮き上がってくる赤い血の球を観察していたソレは、まったくためらうことなく、血が滲む薬指の先をふっくらとした唇にくわえた。


 「!?」


 あまりに突然のことで動けなかった。


 ソレは紫色の瞳でわたしの視線を捕らえたまま、口の中の薬指を冷たい舌でねぶった。傷に舌を這わせ、血を味わっている……みたいに。


 「やだっ! 放して!」




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