6-10「陰霖と死」

 次に目を開いたとき、手の感覚が曖昧だった。いつの間にか周囲は明るくなっていて、身体を起こした拍子に、車と電車の走る音がぼんやりと浮かび上がる。自分が生きていることが不思議だった。腕に冷たい血液が巡っていくのを感じる。


 三月中旬は、凍死に向いていなかった。


 携帯には五パーセントの充電が残っていた。あまりの空腹に、吐き気がしてくる。身体がだるい。すこしだけ、頭が痛い。漠然と、周は死んだかもしれない、と思った。


 思考は覚束なかった。意識は覚醒したそばから遠のく。身体の、私の意思と関係ない場所だけは生にしがみつこうと、震えを起こした。力を抜くと震えは収まるけど、気づけば歯を食いしばっている。頬の筋肉が痛かった。


 街は絶望した私を置いて、雨のなか、新しい一日を始めていた。


 指先は上手く動かない。身体を持ち上げて、肩ごと右腕を操作している。芋虫のようになっていた。端から見た私は絶対に醜かった。


 僅かな望みをかけて、周に電話を掛けた。涙は涸れていた。呼び出し音を聞きすぎて、「応答なし」の表示が出るまでの時間をほぼ正確に把握している。


 私たちを置いて生活を続けるこの街が憎らしかった。


 苦しみに打ちひしがれて何もできない私たちを、どうにか救ってほしかった。家族が崩壊して、大好きな人が死んで、普通の生活もままならなくて、それでも生きていかなければならないことが苦しかった。


 人との関係が残っている限り、死を望んではいけないことが、どうしようもなく悲しかった。


 スピーカーから鳴るかさついた呼び出し音は、最後のコールに入った。

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