第6話 侮辱

「会社に問い合わせだけは辞めてください。お願いします。陽子さんの希望、なんでも聞きますから」

「それって浮気を肯定しているってことですか?」


 私の問いに二人は答えない。

 それが答えだった。


「なんでも希望を聞いてくれるんですね」

「も、もちろん!」

「会社を退職してください。そして今後一切、勇くんに近づかないでください」

「会社を!? はあ。陽子さん、聞いてください。先に近づいてきたのは勇さんです。私ではありません。それに立場が弱いのは漫画家のほうです。正直、勇さんレベルであれば代わりはいくらでもいます。だから連載を中止にすることだってできるんですよ」


 私も勇さんも思わず固まった。確かに漫画家という立場は弱い。それでも関係の原因を漫画家に押し付け、こんな脅しのようなことをするとは思わなかった。

 

「それは……、脅しじゃないですか。それに田辺さんの力だけでは中止にすることなんて」

「私、編集長と仲が良いので」


 勝ち誇った笑みを浮かべる田辺さんの言う「仲が良い」というのは、そういう意味だろう。

 隠しもしない態度ということは、私が会社に話したところでどうにかなる問題ではないということだ。


「少し時間をください。酔いが醒めてからちゃんと考えて、後日連絡します」

「ええ、どうぞ」


 勝ち誇った笑みを浮かべる田辺さんに暴言を吐きたくなるが、今後私の仕事にも影響が出てくるかもしれない。

 家に帰って寝て、それから三佳に連絡したり、浮気について調べてみたりしよう。会社を辞めさせることはできなくても、どんな形であれ田辺さんにはしっかりと反省してもらいたい。


「それでは」


 もう顔も見たくない。ここにもいたくない。何にも解決しないんだから。

 立ち去ろうとした腕が掴まれる。


「ま、待ってくれ! 俺はどうすればいいんだよ。こんな状況でこれからどうしたら」


 田辺さんの本性を知ってしまった勇くんは、助けを求めるように私の腕を強く握る。

 自業自得なのになんで私が勇くんのお世話までしなきゃならないんだろう。限界を超えていた私はその腕を振り解く。


「知らないわよ! 浮気したのは勇くんでしょ。なんで浮気された私があなたたちの仲をどうにかしないといけないわけ? 確かにこれから仕事はやりづらいと思う。でもそういう道を選んだのは自分でしょ!?」

「ま、待ってくれよ。だってもしこれから仕事がなくなったら困るのは、ようちゃんでしょ? 俺の収入がなくなったらどうするの?」


 確かにそれはある。勇くんが漫画家をしているからこそ、私はアシスタントをすることができて生活ができている。


「なによ。まるで私が勇くんの収入がないと生きていけないみたいな言い方」


 別れることになったって、パートでも始めればいい。バイトもしたことがなく、漫画関係の経歴しかないけど、最低限の暮らしでよければ生きていけるだろう。

 

「だって正直言ってさ、ようちゃんは漫画で食べていけないよね」

「はあ?」

「経歴は長くて俺より先輩だけど、いまやってる広告漫画とか全然お金にならないよね?」


 いまやっている仕事は言われた通り単価が安く、生活できるような収入は得られない。でもその仕事を選んだのは、勇くんのアシスタントをしつつ、家事の時間を取るため。

 将来的に子供が生まれても続けられる仕事と思ってやってきたこと。


「今は若い子で技術ある子はたくさんいるし、諦めたほうが」

 

 バンッと音がして勇くんの頬に私のバッグが命中し、跳ね返ったバッグは地面にぽとりと落ちた。お気に入りのバッグだったが迷いなく投げつけた。


「馬鹿にするのもいい加減にして。言われなくても自分の才能はわかってる。それに今の仕事だって色々自分で考えて……私だって色々考えてたわよ!」


 付き合ってるときに勇くんが言っていたのだ。レギュラー連載をするのが夢だから、夢を追いたいと。もし結婚したら支えて欲しい。その代わり子育てが落ち着いて時間ができたら、私の漫画のことも応援すると。

 私は勇くんを信じてやってきた。でも浮気された挙句、侮辱までされるなんて。

 地面に落ちたバッグを拾って、無言で背を向ける。流石に今日は家に帰る気もなくなった。どこか体を休める場所に行こう。


「ようちゃん!」


 伸びてきた腕をバッグで叩く。


「触らないで。後日話し合いましょう。私のことは気になさらず、打ち合わせ頑張ってください」


 小走りで駅に向かう。あの二人の前では絶対泣きたくなかった。

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