第5話 浮気現場
「勇くん、今日はネームで一日家にいるって言ってたけど終わったの?」
こういう場面に遭遇したら、私はどうなるのか。浮気や不倫の漫画を読んで想像したことはあるが、実際自分が体験するとは思わなかった。想像以上に冷静に頭は働いて、嫌味を言う余裕さえあった。
「う、うん。そうっ!」
「へえ。で、なんでここにいるの?」
「思ったよりもネームが早く終わったから俺も飲もうかなーって思いついて」
「そっか。それで、田辺さんと一緒に飲もうと思ったわけ?」
「違うよ! たまたま、本当にたまたま姿を見つけたから声をかけようかなと思って。打ち合わせ! そう、打ち合わせ」
「そう。田辺さんも打ち合わせあるって言ってましたもんね」
勇くんがジェスチャーを交え、この状況を説明していても、田辺さんは全く反応もしない。
顔色はどんどん悪くなるばかり。
「う、打ち合わせ。そう、そうでした。別の方と間違えてました」
やっと口を開いたかと思うと、ピンクのラメが煌めく唇をわずかに震えながら嘘を吐き出す。
固まっていた体を移動させて、勇くんの隣に並ぶ。その姿は仕事相手には全く見えず、これからデートをする若者の姿にしか見えない。
田辺さんの普段よりも派手な格好もそうだが、勇くんの服はトップスから靴まで見たことないもので、普段着ない落ち着いた深緑のワイドパンツが、知っている勇くんとは別人に思える。
「そろそろ行くよ。連載開始前だから忙しくてごめんな。帰りにようちゃんの好きな、駅前のプリン買っていくから。ね」
プリンでこのモヤモヤが収まるはずはない。どう考えても浮気現場に遭遇したのに、そんな大きな夫婦の問題をプリンひとつで解決しようなんて、学生のカップルでもあるまいし。
「外で打ち合わせなんて、陽子さん的には嫌ですよね。今度はよろしければお宅にお邪魔しますね。そうだ。会社の近くに美味しいマカロンのお店ができたんです。そちらお持ちしますね!」
いいことを思いついたように、田辺さんが生き生きとし始めた。
この二人は私を馬鹿にしているんだろうか。
プリンやマカロンで許されるような。それくらいの罪だと思っているのだろうか。たったそれだけで、私が「わかりました」とこの関係を許すような、安い人間だと思われているのだろうか。
「嫌です」
胃痛に耐えながら両足にしっかりと力を入れ、ハッキリと二人に聞こえるように言う。
「あっ、お邪魔するのはやっぱり失礼ですよね。では駅前のお店の」
「嫌です」
田辺さんの言葉に被せるように繰り返す。
「私は二人が浮気をしているのが嫌です。私もいちおう漫画家です。打ち合わせの重要さはわかっています。でも二人の関係は仕事以上のものでしょ? 異性の担当編集と名前で呼び合う? そんなの聞いたことがない。それにこの前は朝帰り。これって本当に打ち合わせなんでしょうか? 迷惑だからと思ってしてませんでしたが、編集部に問い合わせてもいいですか? 田辺さんはそんなに頻繁に直接顔を合わせて打ち合わせをする方なのかと」
「陽子さん!」
アルコール臭い息でまた酔いそうになりながら、田辺さんと勇さんの関係を知ってしまった日から溜め込んでいたものを全て吐き出す。止まらない私の言葉を田辺さんの悲鳴が止める。
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