第7話 懐かしい声

 駅まで行く道の途中で路地に入った。幸いにも人はいない。

 我慢していたけど無理だった。

 服が汚れるかもしれない。だけど誰にもこんな情けない顔は見せたくなかった。

 建物に背中を預け、その場で蹲った。

 

「なんで……こんな……」


 私のなにがいけなかったんだろう。

 勇くんより年上なのがいけなかった?

 もっと肌のお手入れを頑張ったほうがよかった?

 漫画の才能があれば対等な関係でいられた?


 自己嫌悪に陥る頭をバッグに埋めると、マナーモードにしていたスマートフォンが震えた。途切れない通知は着信を知らせている。

 勇くんだったらどうしよう。通話ボタンへ触れないように気を付けて画面をタップする。


「えっ」


 驚いた拍子に通話ボタンを押してしまった。


『もしもし。宮部です』


 懐かしい声は遠い記憶にあるまま。

 

「もしもし。お久しぶりです……」


 苗字を名乗ろうと思ったが、結婚をした私の苗字を彼は知らない。旧姓を名乗ろうとしているうちに宮部さんが早々に喋り出してしまう。

 

『お久しぶりです。少しお話したいことがありまして、いまお電話、大丈夫でしょうか?』

「少しだけなら」


 早く切りたかった。家ではないどこかでゆっくり頭を休めさせたかった。

 でもそうしなかったのは宮部さんの低い声がなんだか心地よくて懐かしくて電話を取る気になった。


『元気がなさそうですが、お体の体調でも悪いですか? それなら後日改めてご連絡差し上げます』


 体調不良になったとき上京して独り身の私のために、わざわざ家までゼリーやスポーツ飲料だけを持ってきてくれたことを思い出す。


「大丈夫です。ちょっと酔っただけなので」

『いまどこにいらっしゃるんですか?』

「えっと、自宅近くです。あと少し歩けば家に着くので」

『そうですか』


 宮部さんの声が一旦止まり、道の両端にある木々の風に揺れる音だけが耳に届く。

 これ以上話したら、いまの悩みを打ち明けてしまいそうで怖い。


『いまどこかで連載はされていますか?』

「いえ……」


 ついさっき否定されたばかりの漫画の話は、あまりの鋭さに息苦しさを感じるほど心に突き刺さる。


『どこかネットに作品を上げていたりしてませんか? たとえば、テンコイだったり』

「えっ」


 テンコイというのはいま流行りの無料で読める漫画のアプリで、アプリ限定のプロの連載に加え、稿料が発生しないアマチュアも連載をしている。プロと違って原稿料が発生しないため、自分の好きに投稿ができるため、漫画家を目指す人が多く連載している。


『浮気された専業主婦の私が異世界転!?結婚はしたくないのに冷血騎士に結婚を迫られていますって入野先生の作品ですよね?』

 

 久々に呼ばれた旧姓と、心当たりのある話題にどきりと胸が跳ねる。

 しかも夜中の思い付きで考えたタイトルを淡々と読み上げられて顔が火照る。

 

「いや、ちがっ」

『先生の特徴のある絵柄。先生らしい繊細なストーリー。絶対、陽子先生だと思いました』

「そんなに褒めて、別人だったらどうするんですか」

『絶対に間違えません。だって僕は先生を見つけた、優秀な編集者ですよ』


 色んな会社に漫画を持ち込んでも落とされ続けていたとき、唯一作品を最後まで読んでくれてアドバイスしてくれたのが宮部さんだった。まだ専門学校を出たてで漫画のイロハもわからない私に、たくさんの時間をかけていいところと悪いところを挙げてくれた。宮部さんのアドバイスで、メモ帳の三分の一が埋まったほど。

 もちろんすぐに連載なんて上手くいくわけもなく宮部さんに聞いたアドバイスを元に、何度も何度も漫画を投稿しやっとデビューができた。あのときの宮部さんのアドバイスがなかったら、デビューすらできていなかった。


「いつの間にそんなことをいうキャラになったんですか」


 私より六歳上の宮部さんは感情の起伏があまりなく、冗談などはあまり言わない。

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