第3話 酔わないとやってられない
「陽子、飲み過ぎだって」
「そんなことない。だってさっき飲み始めたばっかりじゃない」
「確かにね、店に入ってから一時間しか経ってないけど、あんたそれ何杯目? ハイボールなんていつも頼まないくせに、今日はどうしたの」
悲しいかな。自分の漫画の作業もなく、勇くんのお手伝いもない比較的穏やかな木曜日。まだサラリーマンの姿もない時間から、私は長年の友達である三佳と個室の居酒屋で飲んでいた。
「だから……、浮気されたの。浮気! いや、まだ確定じゃないけどさ。でももうこんなの浮気でしょーが」
「確かに、あの内容のチャットと、妻の具合が悪いっていうのに朝帰りの旦那。そりゃ、浮気を疑うよね。あーあ。だから男なんて嫌い」
「そんなこと言いつつ、男性向け漫画で稼いでるくせに」
「男性向けが好きなだけで、男が好きとは違うのよ。陽子だって少女漫画家だけど、女の子が好きってわけではないでしょう?」
「三佳だけだよ、私を漫画家って言ってくれるのは」
「反応するのはそこなんだ」
三佳とは専門学校時代に同じ漫画家志望として出会い、何回かグループで飲みに行ってから仲良くなった。描くジャンルは違うけど、好きな漫画家や漫画の理想が似ていてすぐに意気投合した。
三佳は卒業後すぐに男性向けの漫画でヒットを飛ばし、今は休みを取れないほどに売れっ子漫画家になっている。
「陽子はもっと自分に自信持ちなって。連載はできなくても、筆を折ってないんだから、漫画家って誇っていいんだよ。何も連載してヒット作がないと漫画家って名乗れないわけじゃないし」
「ありがとう!」
「だから声が大きいってば」
飲みの場でもアルコール度数の弱いカクテルばかり飲んでる私にはハイボールはキツ過ぎた。少し気持ちが悪い。
でもここ最近の鬱々とした気分が払拭できている気がする。
「やっぱり勇くんに聞いてみるべきかな? 本人に浮気してるって聞くのもおかしい感じがして。打ち合わせって出かけてきて朝帰りで、女物の香水の匂いがするって漫画的には浮気だよね? 離婚したほうがいいのかな。離婚っていっても、もう私は三十路なわけで。三十路のバツイチって需要あるのかな。その前に売れない漫画家って職業じゃ再婚もできないよね」
「ストップ、ストップ。お得意の妄想スイッチが入りすぎ」
「だって勝手に想像しちゃうんだもん。浮気なんて漫画でしかないものだと思ってたよ。どうすればいいか、わかんない」
「いまの状況じゃ浮気確定ではないから、まずは証拠掴むことからするとか?」
「証拠集めか……。探偵ぽいね」
「なんで楽しそうなのよ」
「こうなったら漫画のネタにでもしてしようかなって。でも少女漫画に浮気ネタはいらないよお」
机に突っ伏した私の背中を三佳が撫でてくれる。少し胃のムカムカが取れた気がする。
「私は話し聞くくらいしかできないけど。家出たいとかそうなったら、いつでもうち来な」
「かっこいい! 一生ついていく!」
「はいはい。わかったからお酒だけじゃなくてご飯も食べよう。ほら、陽子の好きな長芋の揚げ物あるよ」
「本当!? 食べる」
私の好物を続々と三佳が選んでくれる。胃に優しい食材ばかり選んでくれるのが優しい。
勇くんと付き合い初めのころ「漫画家は体を大事にしないといけないんだよ。ほら、陽子さん。これも食べて」と食べきれない量のご飯を注文してくれて、まだ少ない収入でご飯を奢ってくれたことを思い出す。勇くんはイケメンと呼ばれる部類だけど、ずっと漫画一筋で、女にだらしないような人ではない。それは一番、私がわかってる。
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