第6話 今日から私は魔王様の……

 魔王の王宮というだけあって、厳かで静かで、どこか不気味な雰囲気がある。

 ただ不気味だといっても、蜘蛛の巣が張っているとか、ガイコツが転がっているとか、そういうのじゃない。

 魔王様が居るという部屋へ近付くにつれて、妙なプレッシャーを感じるというか……。


「ここだぜ、ルカ」


 エディさんに案内されたのは、見上げる程に高い大きな扉の前だった。

 ……まあ、幼女の身長だと何でも見上げるような高さなんだけどね!


「……入るぜ、ヴェルカズ」


 言いながら、エディさんが扉に手を掛ける。

 すると、私と手を繋いでいない方の手から『何か』が溢れ出すのが見えた。

 ほんのり赤い……光? オーラ? みたいなものが、確かに見えたのだ。

 その光が扉に吸い込まれていく。鍵が開くようなガチャリという音がして、独りでに扉が開かれていくではないか。



 その扉の先は、いくつもの棚に並べられた何かの瓶や、本でぎっしりと埋め尽くされた部屋だった。

 部屋の最奥には大きな長机があり、机の上にも色々な瓶や資料が置かれている。

 それらを管理しているであろう人物の背中に、エディさんが語り掛ける。


「取り込み中のところ悪いんだが、ちと話があるんだ。少しで良いから、時間貰えるか?」


 彼の呼び掛けに、部屋の主が大きな溜息を吐いた。

 何かの作業中だったらしいその人物が、手を止めてこちらに振り向く。


「……一体、何の用なのだ? 貴様が私に話があるなど、珍しい事も──」


 そうして、私と彼はバッチリと目が合った。


 腰まで届く滑らかな黒髪を三つ編みにし、深い紫色のローブを纏ったその男性。

 豪快ながらも優しい印象を受けたエディさんとは対照的に、冷酷かつ冷静、そして知的な雰囲気がある。

 そんな彼の冷たい青い目が、私を認識した途端に大きく見開かれた。


「おいエディオン、その小娘……













 貴様の、隠し子か……?」




 そのズレた発言を耳にした瞬間、私は確信した。


 この魔王様、本当に悪い人じゃなさそうだな──と。



 沈黙の時間が、しばらく続いた。

 けれども、次の瞬間──


「……いや、隠し子じゃねーからッッ!!」


 エディさんの本気のツッコミが、魔王宮殿に木霊こだましたのだった。




 *




「……つまり、その小娘が何者か知れぬというにも関わらず、私の許可も無く勝手に王宮へ連れ込んだというのだな?」

「でもよぉヴェルカズ、真夜中の紫の森に、こんな小さな子供を一人にしておけるか? 俺が見付けてなかったら、どんな魔物に頭から喰われてたか分かったもんじゃねえぜ?」

「あ、あたま、かりゃ……? ぴ、ぴえぇぇ……」

「わぁー! すまねえ、ルカ! 別にお前さんを怖がらせたかった訳じゃねぇんだぜ!? 分かってくれるよな? なぁ!?」


 あれから場所を移して、応接室でお茶の用意をしてもらったんだけれど……。

 エディさんが私を森で拾った経緯を話してくれたものの、魔界の森は私が思っていたよりもかなり危険な所だったと知ってしまった。

 もしも本当に魔物に襲われてしまっていたら……と想像しただけで、ジワジワと涙が滲んでくる幼女メンタルです。はい……!


 触り心地抜群のソファに座っている私の頭を、エディさんがまたもやワッシワッシと撫で回す。

 自分の話で怖がってしまった私を励まそうとして……というよりも、エディさんが責任を逃れようとしている感もありますが。

 それでも彼の温かな体温が手の平から伝わってきて、意外と安心してしまうのだ。


 子供の頃、こんな風に誰かに撫でてもらうのって、こんなに嬉しいものだったっけ……?

 ……もう二十年近くも前の事だから、よく憶えてないなぁ。

 だけど、エディさんの手が優しくて気持ち良いのは事実だった。


 しかし、魔王様の顔は険しいまま。

 彼の眉間に刻まれた皺の深さが、私への警戒心を表しているようだった。


 ……あの切れ長の眼に睨まれていると、かなりプレッシャーを感じるんだよね。流石は魔王というべきでしょうか。

 ゆったりとしたローブに身を包みながら、紅茶の入ったカップを片手に脚を組む魔王様の姿は、迫力がありすぎます……!


 すると、今度は魔王様が口を開いた。


「……エディオン。貴様は、私が魔界統一を果たさんとしているのは重々承知しているはず。我が軍は、孤児を育てる慈善事業などしている暇は無いのだぞ」


 そう言って、彼は私により一層厳しい視線を向けてくる。


 ……彼の発言はもっともだ。

 この世界の情勢は、まだよく分からない。けれど、魔王であるヴェルカズさんは魔界の統一を目指しているのだと、エディさんも言っていた。

 魔王様の軍という事は、エディさん達は日本の戦国時代の武将のように、魔界を統一する為に戦っているんだろう。

 そんな大事な戦いをしている最中に、私みたいな子供が転がり込んでしまったのだ。魔王様にとって、間違い無く私は邪魔者なのである。


「それに……小娘」

「ひゃっ、ひゃいっ!?」


 魔王様が急に私に話しかけてきたので、思わず声が裏返ってしまった。

 中身は成人女性なのに、これぐらいの事でもビビり散らしてしまう自分が不甲斐ないです……。


「貴様、名をルカといったか。ルカよ、貴様の居場所はこのヴェルカズの王宮ではない。紫の森におったという事は、我が国の民なのであろう? であるならば、戦火から離れた地の出であるはず」


 つまりは、とっとと自分の家へ帰れ──と、魔王様は仰っているようである。

 そう言われても、自力でどうにか出来る状況じゃなさそうなんだよなぁ……。

 私、異世界転生モノで無事に故郷に帰れたパターンってまだ知らないし、ああいう物語の主人公ってどうやって家に帰るものなのかな?


 だって……


 もしかしたら私、仕事帰りに事故にでも遭って、そのせいで死んじゃってるかもしれないのに……さ。


 日本で暮らしていた時の身体のまま異世界に『転移』したならまだしも、見知らぬ女の子の身体に『転生』しちゃってるんだよ?

 自分の元の身体から魂だけが抜け出して、三歳頃までこの世界で生きていた幼女の身体に、何故か乗り移ってるような状態なんだよ?


 日本に無事帰れるのかも、この女の子が暮らしていた場所に帰れるのかも、分かんないよぉ……!

 改めて自分の置かれた状況を整理したら、あまりの八方塞がり感でどうにかなっちゃいそう……。


 黙り込んで何も言い返せない私に、魔王ヴェルカズの眉間の皺がより深くなる。


「……帰る場所が、無いのか?」


 彼の声色は、怒りとも疑念とも違う、何とも言い難い感情が込められているように感じた。

 てっきり怒鳴られでもするのかと思っていたから、私は困惑しながら魔王様の顔を見つめ返す。


「わ、わたち……これからどこに行ったりゃいいのか、わからないれす……」

「……自分の種族は言えるか?」

「わ……わからない、れす……」

「父や母、きょうだいはおらぬのか?」

「…………」


 少なくとも、私の本当の家族はこの世界ここには居ない。

 この身体の本来の持ち主の事だって、何にも分からなかった。


 すると、不意に魔王様がティーカップを置き、立ち上がる。

 そうして彼は、ゆったりとした歩みで私の座る二人掛けのソファの方までやって来た。

 相変わらず険しい顔をしたままの魔王様は、一瞬エディさんと視線を交わした後、もう一度私に目を向ける。


「小娘よ。行く宛の無い貴様に、この魔王ヴェルカズが一度きりの機会を恵んでやろう」

「きかい……れすか……?」

「この私に生涯忠誠を誓い、決して裏切らないと約束するのであれば、貴様を我が王宮で保護してやる。なに、小娘如きに金品を差し出せなどとは言わぬ。……この先、私の国の為となる有益な働きをすればよいだけよ」

「……しゅっしぇばらい、れしゅか?」

「出世払い……ああ、そうとも言うな。貴様、ただの小娘にしては理解力の高い奴よ」


 それはそうだ。

 だって私、根本的には二十代の大人ですからね。


「それで……どうなのだ。この手を取らぬというのであれば、すぐにでも王宮から摘み出してやるが?」


 言いながら、魔王様がこちらに手を差し出してくる。


 魔王ヴェルカズの後ろ盾を得られれば、衣食住に困る事は無いだろう。

 けれども、彼は魔界統一を果たそうと目論んでいる人物でもある。そう遠くない将来、これまでの人生では経験したことのない激しい戦いを目の当たりにするかもしれないのだ。


 ……だけど私は、そんな未来を望んではいない。


 甘すぎる考えだとは思う。

 それでも、私を危険な森から遠ざけてくれたエディさんや、何だかんだいって見知らぬ子供に手を差し伸べてくれる魔王様の傷付く姿を、出来るだけ見たくなかったのだ。


 違う自分に生まれ変わったんだもん。

 昔の私では出来なかった事でも、今の私にだったら出来るようになるかもしれない。

 私に優しくしてくれた人達の為に、可能な限り平穏な日常を過ごしてもらえるような……そんな力を、身に付けたいと思うのだ。


 私はぐっと奥歯を噛み締めてから、改めて魔王ヴェルカズの顔を見上げる。


「……わたち、せーいっぱいがんばりましゅ! 魔王しゃま!!」


 もみじのように小さな手を伸ばしながら、私はピョコンとソファから立ち上がる。

 そうして両手で触れた魔王様の手は、子供の私の体温よりも低くて、大きかった。


「フッ……よく言った。その言葉、決して違えるなよ? ルカ」

「あいっ!」

「……あいではなく、はいと答えろ」

「あいっ、じゃなくて……あいっ! ありぇ? あーいっ!」


 あれ〜? 何度言い直しても「あい!」になっちゃうよ〜!

 もしかして私、気合い入れ過ぎ……?


「全く……威勢は良いが、これでは先が思いやられるではないか」

「良いじゃねぇか、ヴェルカズ。子供は元気が一番って言うだろ?」

「エディオンは黙っていろ」

「へいへーいっと」


 そんなこんなで、私は異世界生活初日から、イケメン黒髪魔王様の配下に加わる事になったのでした。

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