第7話 胸騒ぎの理由(エディオン視点)

 その夜は、星々が妙にざわついている気がした。

 だから何となく、その原因を探ってみようと思っただけだった。


 腹の底でくすぶる本能を解放して、俺は夜の森へと駆け出す。


 雪人狼せつじんろうの血を半分受け継いで生まれた俺の毛並みは、その名の示す通り、雪のように白く美しい。

 普通の人狼族はの姿になることを嫌うらしいのだが、どうにも俺には理解し難い。

 風のように駆けられる脚と、大抵の物なら切り裂ける爪。それと同じぐらい鋭く食い込む牙があれば、子供の頃から怖いものなどあるはずもなかった。


 王宮の周囲に広がる紫の森と呼ばれるこの場所は、我らが魔王の自然の要塞であり、簡単には抜け出せない迷いの森でもある。

 そんな場所で感じた妙な匂いが、少しずつ俺の嗅覚を刺激していた。



 魔界の覇権を争う、五つの国。

 その中の一つであるヴィオレ魔導王国こそが、俺が仕える魔王ヴェルカズの治める国だった。

 魔界統一に最も近いと名高いヴェルカズは、物心ついた頃から一緒に居る相棒だ。悪友とも言うかもしれないが。


 そんな俺の相棒は、元来の冷酷な性格と残忍な戦い方が原因で、何かと敵が多いのだ。

 ……つまり、命を狙う不届き者が絶えない。

 どうせ返り討ちにあうか拷問されるのがオチだってのに、他の四人の魔王は懲りずに刺客を放ってきやがる。

 今夜の胸騒ぎだって、またそういう類のやつだろう。

 そう思っていたところに、の姿が視界に飛び込んできた。


「にゃ、にゃに!? あいたぁっ!!」


 茂みから飛び出した狼形態の俺に驚いたのか、小さな子供が木の幹に頭をぶつけていたのだ。

 痛みで大きな緑色の眼に涙を滲ませながら、その子供──やけに仕立ての良い白いワンピースを来たお嬢ちゃんが、俺を見詰めてくる。


「……わん、ちゃん……?」


 ……いや、犬じゃねーしッッ!!


 そうツッコミたいのは山々なんだが、この姿で喋ったら余計に驚かせちまいそうな気がしてならなかった。

 この金髪の小さなお嬢ちゃん、外見からして高位の魔族か悪魔か、人間にしか見えない。

 そこいらの魔族だったら、魔力のコントロールが下手クソなせいで、人型でも猫の耳やら犬の尻尾やらが飛び出している。

 けれどもこのお嬢ちゃんからは、そういった身体的特徴が見られなかった。そうと来れば、大体の種族が絞り込めるって寸法なワケよ。


 そんな風にして、お嬢ちゃんを分析していた時だった。


「う……うわぁぁぁああぁぁぁぁん!!」


 いきなり子供が大泣きし始めたのだ。


「こっちこにゃいでよぉぉぉぉ! びえぇぇぇええ〜っ!!」


 おいおいおい……。

 んな馬鹿でけぇ声で泣き喚いてたら、余計な奴まで寄って来やがるだろうが……!


 ──しかし、次の瞬間。


 大声を上げて泣き叫ぶ子供の身体が、眩い光に包まれ……俺は思わず目を疑った。


「ふぇ……?」


 その謎の現象に驚いているのは、このお嬢ちゃんも同じだったらしい。


「なぁに? これ……」


 俺が聞きてえな、うん。

 見た事もない魔力の光に包まれながら、少女の頭上には純白の羽根が舞っている。

 俺はいにしえの悪魔のうち、炎を司る大悪魔の力を受け継いでもいる。

 だから多少なりとも魔法には詳しい方ではある。あるはずなんだが……光と羽根が舞う魔法なんざ、これまで一度もお目に掛かった事は無い。


 ──このお嬢ちゃん、まさかとは思うが……。


「……あ、あれ……? きゅうに、フラフラして……ねむく、なって……きちゃ……」


 しかし、その思考は中断せざるを得なかった。

 急激な魔力消費のせいか、お嬢ちゃんが目の前で気を失いかけていたからだ。

 俺は形態変化によって、狼から人型へと身体を変貌させる。


 狼の時と同様の白い髪。

 人狼族特有の強靭な肉体は、人型の時も同様に反映されている。

 大昔にヴェルカズから貰った剣を腰に挿し、軽鎧を纏った剣士風の姿──ヴィオレ魔導王国の軍師エディオンとして、俺は行動に出た。


 俺は、木の幹に背中を預けたままの少女を抱き上げる。

 ぐったりとして目を閉じる子供の柔らかなブロンドの髪と、それと同じ色をした金色の長いまつ毛。

 小さな子供には危険すぎるこの森の中で、たった一人で居たはずだというのに……かすり傷一つ無い、滑らかな白い肌。

 俺の腕の中にすっぽりと収まるその少女を一言で表現するなら、その子はまるで──


「天使……だな」


 何の穢れも知らない、無垢な天使。


 そうとしか言いようのない、不思議な少女だった。


「……なぁ、ヴェルカズ。もしかしたら俺様、とんでもないモンを拾っちまったかもしれねぇぞ……?」


 俺は眠る天使のようなそのお嬢ちゃんを抱きながら、苦笑混じりに夜空を見上げた。

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