第2話 夢から覚めたら

 そこはまるで、天国のような場所だった。


 ふわふわ、もこもこ。

 綿飴みたいに真っ白な雲が、空に浮かぶ大きなお城の下に広がっている。


 空はどこまでも澄み渡っていて、風にそよぐ花々が咲き乱れていた。


 ……ここ、どこなんだろう?

 やっぱり私、さっきの犬に食べられちゃったのかな……。


 そんな事を考えていると、不意に背後から声を掛けられた。


「お散歩の時間はそろそろ終わりよ。早くお部屋へ戻りましょうね」


 振り返ると、とても綺麗な金髪の女性が立っていた。

 しかも、その人の背中には──純白の翼が生えている。

 古代ギリシャ風の装束に身を包んだ女性は、女神のような微笑みをこちらに向けていた。


「……もう、かえらなきゃ、いけにゃいの?」


 自分の口から、子供の声がした。


 私が喋ったんじゃない。『この子』が……この身体の本当の持ち主であろう女の子が、喋っている。


 すると、目の前の女性が悲しそうに眉を下げた。

 そのまま腰を落として、私の身体を優しく抱き締めてくる。


「ごめんなさい……ごめんなさい、本当に……。けれども、こうしなくてはならないのです。それこそが、【あのお方】が私に与えられた、逃れられない使命なのですから」

「……どうちて、ないてゆの? ねえ、──」


 彼女の名前を口にしたようだけれど、何故だか上手く聞き取れない。

 けれども、私を抱き締める手が震えているのと、彼女の涙の温かさは伝わってきた。


 ──ねえ、どうして貴女は泣いているの?


 私にも何か、出来る事はないのかな……?




 *




「んゅ……?」


 目が覚めると、見知らぬ天井が目に飛び込んできた。

 よく眠っていたからか、身体が軽くてスッキリしている。

 むくっと上体を起こすと、サラサラの金髪が視界に入った。


「あ……わたちのかみのけ、きんぱちゅなんだ」


 やはり上手く呂律が回らない幼女の舌。

 そんな幼女の身体に転生してしまったらしい私の姿は、むちむち幼児体型で金髪の女の子であるようだ。

 さっきまで夜の森の中に居たから、自分の髪の毛の色なんてよく分からなかったもんなー。


 ……って、どうして私はこんな大きなベッドの上で寝てるの!?

 よくよく周りを見たら部屋も豪華そうな感じの洋室だし、天井にはシャンデリアなんて吊るしてあるし!

 野犬がうろついてるような危険な森に居たのに、何でいきなりこんな……。


「も、もしかちて……やっぱり、ようじょユーカイ!?」


 まさかとは思っていたけれど、再び浮上してきた誘拐事件の可能性に、思わず背筋が凍る。

 あのまま野犬に食べられるのも最悪だったけど、変態大金持ちに拉致監禁エンドなんて最低すぎるでしょ! 誰が望むんだ、こんな異世界転生!!


 いや、本当に異世界に来たのかも分からないんだけどね? 単に海外のどこかに居るだけかもしれないし。

 それはともかく……。


「に、にげなきゃ……! へんたいおやじにつかまったら、人生おわっちゃう……!!」


 私は急いでベッドから飛び降り……ようとして、えっさほっさと広々としたベッドの上を這いずっていく。

 あのね……このベッド、あんまりにも柔らかすぎて、普通に歩こうとしても転んじゃうんです……!


「うんしょ……よい、しょっ……!」


 どうにかこうにか短い手脚をフル稼働させて、ようやくベッドから降りる私。

 着地した絨毯は、裸足で寝かされていた私の足を優しく受け止めてくれた。この部屋、絨毯もしっかり高級品だ……。


 どんどん濃厚になっていく【変態大金持ちによる誘拐疑惑】に恐怖を覚えながら、私はひとまず周囲の状況を把握しようと考えた。

 部屋にはベッドとテーブルとソファがあり、来客用の部屋のような印象を受ける。

 他にはドアが一枚と、カーテンのかかった窓があった。

 まずはここがどこなのかを調べる為に、そっとカーテンを開けてみる。


 ちょこっとだけ開けたカーテンの先は、バルコニーに通じているようだった。

 バルコニーには転落防止用の柵が付いていて、窓の外は日差しが降り注いでいる。どうやら私が眠っている間に、夜が明けていたらしい。


 身体が子供だからというのもあるけれど、窓から見える景色はかなり高い所のようだった。

 少なくともここは二階か、三階か……といったところだろうか。


「ここから逃げゆのは、むじゅかしそうだよね……」


 大人の姿ならまだしも、今の幼女姿の私では、カーテンやシーツを結んでロープ代わりにして降りるのは危険だろう。

 元々握力には自信が無い方だし、子供の腕力でこの高さから降りていくのも不安だもん。


「そうなりゅと……」


 向けた視線の先には、部屋の外へと繋がっているであろうドア。

 あそこから出るのが一番安全……だとは思うんだけれど、途中で誰かに見つかったら一発アウトだ。

 おまけに、この建物の構造も分からないのだ。どこから逃げれば良いのかも分からないのに、上手く脱出出来るだろうか……?


 ドアの向こうに何が待ち受けているのかと、不安と焦燥に駆られていた、その時だった。


「……! あしおとが、きこえりゅ……」


 部屋の外……多分廊下を歩いているであろう、コツコツという足音が聴こえてきた。

 これはまずい! 普通にピンチ!!

 私は大慌てでベッドに戻り、必死の思いで最初のポジションに帰還する。

 寝たフリ……寝たフリをして、この場をやり過ごすのだ……!


 けれども内心ヒヤヒヤ、心臓はバックバクである。



 キィ……と、静かにドアが開かれる音がした。

 やっぱり来た。この家の主だろうか……?

 私は狸寝入りがバレないよう、出来るだけ力を抜いた自然体でいようと心掛ける。

 ……まあ、怖すぎて顔に出ちゃってるかもしれないけど。


「……まだ眠っているのか」


 そう呟いたのは、男の人の声だった。

 声の感じは若い印象を受ける。


 この人が私を誘拐した犯人……なのかな。

 私……この後、何をされるんだろう。やだ……凄く怖い……!


 誘拐犯らしき人物と同じ空気を吸っているのだと自覚すると、幼女レベルにメンタルが若返った今の私では、どんどん不安が膨らんできてしまう。

 ダメだダメだと思っていても、目頭から涙が滲んでくるのが分かってしまうのだった。


「……いや、起きているな?」

「っ……!」


 バレた! やっぱり騙しきれなかったよぅ……!!

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