俺の会議

遠藤

第1話

「あっ!」

小便を済ませ、チャックを上げた後に尿が漏れてしまった。

しかも結構な量が漏れ、大きなシミとなっている。

さらに、こんな日に限って明るい色のスラックスだった。


(まずいことになった・・・)


急いで個室に入ると、スラックスを脱いでシミ具合を確認、緊急事態発生による俺会議開催のため、メンバーの招集をかけた。

急遽だったため、集まったのは「俺A」、「俺B」の2名だけで、メンバーが少ないのは否めないが、緊急招集のため、やむを得ず強行開催となった。

俺が議長を務め会議を進行していく。


「えー、お足元の悪い中でありますが、火急の事案発生により、このたび俺会議を開催する運びとなりました」


すかさず俺Aが突っ込む。

「お足元が悪いんじゃなくて、お前の蛇口が緩いんだろ!」

それに俺Bが被せてくる。

「蛇口じゃなくて頭が悪いんだよ」

すかさず議長の俺が切れる。

「何が頭悪いだ。お前らがしっかりしてないから、こんなことになったんだろうが!」

それに俺Aと俺Bが口を揃えて反論してきた。

「お前が漏らしたんだろ!」


俺は一呼吸置くと、薄っすらと笑みを浮かべ冷静さを装った。

やがて、会議のメンバーにゆっくりと語りかけた。

「起きてしまったことはしかたがない。何よりこの現状をどう打開するかだ」

それを聞いて、俺Aはしれっと答えた。

「乾くまでここにいればいいじゃん」

それを聞いた俺Bは驚きと羨望の眼差しを俺Aに向けた。


しかしそれに対し俺はすぐに答える。

「急いでデスクに戻らなくちゃいけない仕事がある」

俺Aは舌打ちをしてそっぽを向いた。

そこに俺Aの発言に感化されたのか俺Bが提案してきた。

「トイレットペーパーで拭いてみたらどう?」

会議の場はどんよりとした空気が一転、皆表情が明るくなり「それ名案」と口々に言った。


「よし!やってみよう」


俺はすかさずスラックスのシミ部分をトイレットペーパーで拭いてみた。

変わらない。

拭いてだめならシミの部分をトイレットペーパーで叩いてみる。

変わらない。

ふと、俺は叩いている中で、昔ばあちゃんがやっていたことを思い出した。

飲み物を服に溢した時、シミ部分の裏側に布を当てながら叩いて、その布に吸い取らせていた。

これだ!と確信すると興奮する気持ちを抑え、丸めたトイレットペーパーを裏に当てながら叩いていく。

ちょっぴり薄まったような感じだが、そうでもないような感じで正直微妙だった。


俺は言った。

「駄目だ。これじゃ間に合わない。とにかく時間がない」

全員お手上げだという雰囲気の中、俺Aが投げやりな感じで言った。

「もうそのまま行けばいいじゃん。誰も見てないだろう、そんなところ」

俺Bも同意する。


しかし俺は懸念を示した。

「その気持ちもわかる。俺も何度も浮かんでいる。しかし、デスクに向かうまでに、どうしても見られたくない人がいる」

その俺の言葉に俺Aと俺Bが「あっ!」と声を上げた。

「彼女だけにはバレたくないんだ」

俺は頭を抱えながら呟いた。

この会社唯一のマドンナにだけはバレたくなかった。

ここ最近やっと挨拶を普通にかわせるようになって、このままいけば、もしかしたらデートもあるかもしれないと妄想しまくっているあのマドンナ。

いつか星降る夜に、一輪のバラの花を差し出しながら、求愛する己の姿を想像すれば、こんなところでケチをつけるわけにはいかなかった。


皆が苦悶する中、俺Bが絞り出すように言った。

「手で隠しながら行ったら駄目かな」

俺はハッとして、行けるかどうか即座に脳内シミュレーションが開始される。

俺Aも興奮を抑えつつ可能性を探った。

「少し不自然だが、彼女の前だけ突破すればいいと考えれば最善策じゃないか?」

しかし、実際にやってみた俺は絶望感の中、皆に事実を伝えた。


「駄目だ。シミがデカすぎる。この湖を無理に隠しながら行けば視線が手に行き、はみ出た湖畔に気づく」


俺Aが涙ぐみながら叫んだ。

「なんだ、はみ出た湖畔って!でも、なんで、沼程度に・・・せめて、沼程度の量で止められていたら」

俺Bも泣きながら言葉を絞り出した。

「気づくのが遅すぎたんだ。油断したんだよ、俺らは」

俺Aと俺Bが苦しみ悩む中、俺は議長として決断しなくてはいけない時が来ていた。

覚悟を決めた俺は、皆にゆっくりと語りかけた。


「最終手段を実行する以外にない」


俺Aが驚愕の表情を浮かべ固まる中、俺Bは恐る恐る言った。

「それは、あまりにも危険なんじゃ・・・」


俺は覚悟の表情で皆に伝えた。


「俺は、臆病者で意気地無しの、何もできずに怖がって怯えているだけの人間だった。今だってそうかもしれない。だけど、だからといってこの現状に頭を抱えて泣いていたくはない。もうそんな自分ではいたくないんだ。今の俺なら必ず突破できると信じ、戦うことを選ぶ」


俺Aと俺Bは涙ぐみながらその覚悟を共有し俺に同意した。

「わかった」

さっそく俺は作戦にとりかかった。

今回の作戦はこうだ。

湖はあえてそのままにして、両方の足にさらに水しぶきをかける。

手を洗おうとした時に、蛇口を勢いよく捻ったら、水が撥ねてスラックスにビッショリかかっちゃいましたという設定だ。


作戦タイトルは、

「うわ!なんだよ、スラックスに水がかかっておしっこ漏らしたと間違えられるじゃん。まいったなもう、でも時間ないからこのままで戻ってきた勇気ある俺だよ♪」だ。


トイレの個室内で水飛沫をかけるための水源を探すと、便器の中かタンクの中に絞られる。

スビードを求めるなら断然便器の中の水だが、さすがに衛生的に良くない。

タンクの蓋を横にずらすと、中に手を突っ込んで手に水を浸し、スラックスに向かい指を弾いて水滴をつけていった。

何度かやってみたが、イメージ通りの濡れ具合にならず、思い切って手で水を掬ってたっぷりかけてみた。

気づくと、スラックスのあちこちに湖が完成していた。


俺Aが驚きと呆れの表情で、俺に怒りをぶつけてきた。

「おいおいおい!いくらなんでもやり過ぎだろ。これじゃますます目立ってしょうがない、どうすんだよ!」

俺のイライラはピークに達した。

「だったらお前がやれよ!何でもかんでも全部俺にやらせてよ。もうどうでもいい。知らない」

俺はもう嫌になって、便座に腰をおろして目を瞑った。

怒りが頂点まで達し、全てを投げ出そうかと思ったが、時間とともに、こんなことで全てを失うのは正直悔しい思いが湧いてきた。


「そうだ!」

ずっと考え込んでいた俺Bが閃いたと声を上げた。

「もうさ、全身ビショビショで行こうよ。雨に濡れたみたいに全身、上から下までビショビショ。設定はさ、ゲリラ豪雨でもいいし、水回りの故障でもいいのさ。それでさ、ハンカチでおでこ拭きながら参った参ったって、はにかんだような笑顔浮かべながらオフィスに入って行けば、それはそれは水も滴る良い男のフェロモンでまくりで、意中のあの娘も一目惚れ間違いなしでしょ」


俺は限界を超えるスピードで脳内シミュレーションを繰り返した。

もうここまできたら進む以外に答えはないのはわかっている。

しかし、何か見落としている点がないか、どうしても確かめずにはいられない性分がGOサインを出すのを躊躇っていた。

しかし、時間は限られている。

他の選択肢は一切浮かんでこない。

覚悟は決まった。

「よし、それでいこう」

俺は個室から出て誰も居ないのを確認すると、洗面所に行き頭から全身を濡らし始めた。

濡れ具合を確認しようと鏡を見てみれば、ビショビショになった水も滴る良い男がそこにいた。

もちろん、俺だ。

正直、俺はこんなにカッコ良かったのかと驚きつつ、チラチラとしつこいほど鏡を見つつ、床もビショビショにして準備を整えた。


最後に小道具のハンカチをポケットに探したがそもそも持ち歩いていないことを思い出した。

俺は皆にその旨報告する。

「すまんハンカチ忘れた」

すかさず俺Aが突っ込む。

「いかにも今回だけ忘れたような感じで言うな。いつも持ち歩かず手も洗ってない不潔野郎だ」

俺が反論する。

「なにが不潔野郎だ!大の時にはちゃんと洗ってるじゃないか!」

俺Bが突っ込む。

「いや、小の時も洗えよ。だいたい洗うっても指先濡らす程度で、しかも自分の髪で拭いてるだろうが。ほんと、汚いなー」

俺の我慢も限界点に近づき感情が爆発した。

「だったら交代しろよ!文句ばっかりで誰も代わってくれないじゃないか。いっつもいっつも俺に面倒くさいことやらせて」

俺は怒りの中、肩で息をしてやり場のない怒りと戦っていた。

俺Aと俺Bは黙っていた。


俺の感情が落ち着きを見せてくると俺Aが静かに語りだした。

「代われるなら、代わってやりたいよ。いつも俺たちの矢面に立って耐えてくれている姿を見る度にごめんなって思っていたんだ。だから、なんとかできないかな、どんなことも上手くいって欲しい、傷つかないで欲しいっていつも思っているから、無い頭絞って一生懸命考えていたんだ。今回も頑張って考えたんだけど、なんか、ごめん」


俺は泣いていた。

俺もわかっていたんだ、みんなの優しさが。

みんな、俺のためになんとかしようと頑張ってくれていることをひしひしと感じていた。

それがとても嬉しくて、ますます涙が溢れてきた。

泣いている姿をごまかすために洗面台の水でゴシゴシと顔を洗った。


俺Bが言った。

「もう、トイレットぺーパー畳んでハンカチ風でいいでしょ?」

皆反論はなかった。

今度こそ皆一つになった瞬間だった。

行こう。

これ以上ない理想の状態となった俺に怖いものはなかった。

絶対上手くいく、それ以外考えられなかった。


デスクのある入口まで来るとさっき畳んだトイレットペーパーでおでこを拭きながら笑顔で堂々と入っていった。


「いや~参った参った。ハハハハ」

とセリフを吐きながら堂々とデスクを目指す。

電話応対していたマドンナが異様な気配に気づき顔を上げると、全身びっしょりの男に目を見張って電話どころではなかった。

おでこにトイレットペーパーのカスをベッタリと付けた俺は、皆の注目を浴びながらも無事デスクに戻り仕事に取り掛かる事ができたのであった。

心配して声を掛けてくるものもいたが、作戦通り水周りの故障ということで乗り切った。

ただ、後日そんな故障なんか発生していないことが発覚、さらに洗面台付近の床がビショビショの状態で放置されており、犯人は俺とすぐに特定され、上司から厳重注意を受けるはめになった。

さらに、社内では変な奴、やばい奴というレッテルを張られてしまい、憧れのマドンナからも距離を置かれる始末となった。

踏んだり蹴ったりの結果に、二日間は大盛りご飯が食べられないほど落ち込んでいたが、大好きな俺Aと俺Bからの励ましにより、すっかり回復したのだった。


後日—


俺Cは言う。

「実にナンセンスだ。知性の欠片も無い、動物以下の発想。(三人寄れば文殊の知恵)とかいうことわざもあるが、バカがいくら集まっても出てくるのはバカ回答だけだね」


俺Dは苦笑いを浮かべながらそれに答える。

「おっしゃる通りで。我々が留守の間に、バカ達がとんでもないことしてくれましたよ。おかげで皆からは頭のおかしい奴と思われ、すっかり孤立してしまい悲しいばかりです」


俺Cは憤慨しながら言う。

「まったくもって許しがたい。言語道断だ。俺ならこんな問題簡単だったのに」


俺Dは興味津々に聞く。

「どのように?」


俺Cは誇らしげに答える。

「スラックスを前と後ろ逆に履くんだよ。それだけで簡単に突破さ」


俺Dは感心したようにうなずく。

「さすがです。素晴らしい回答。あなたがあの場にいればどれだけ救われたか。まあ、私にも案はありましたが」


俺Cは余裕の表情で聞く。

「ほう、どんな感じかな?」


俺Dは目をキラキラにして答える。

「私は思い切ってスラックスを脱ぐのを提案します。そして、パリコレモデル張りの堂々としたウォーキングで入室して行くのです。肩にスラックスを乗せて、さらにはスマホで通話中を装う。2億だの3億だのと声を出しながら歩けば皆から羨望の眼差しが痛いぐらいでしたでしょう」


それを聞いた俺Cは、クワッと目を見開いて、抑えきれない興奮の中俺Dを褒めたたえた。

「おいおいおい!天才だ。天才がここにいた。こんな素晴らしい案初めて聞いたよ。ノーベル賞決定。絶対それだよ。それ以外にないだろう。よし!今すぐそれやってみよう。いや~やっぱり苦しんだ後に幸せがやってくるもんだね。感動した。おい!俺。今すぐ実行するぞ!おい寝てる場合じゃない!起きろ!すぐに起きて実行に向け俺会議開くぞ。早く起きろー!」

社内の皆が連れ立ってランチに行く中、今月の給料を全て競馬に使ってしまい、うまい棒1本と水道水でランチを済ませ閑散とする社内のデスクで寝てやり過ごしていたのだった。

俺Dの声に起こされ、眠いし、面倒臭いし、お腹も空いてる中であったが、半ば強制的に俺会議の開催に向けてメンバー招集がかけられたのであった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の会議 遠藤 @endoTomorrow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る