6.怖くないの?
──翌日、私は朝早くから思いつく限りの料理を作った。
夫は何も知らず、せっせと料理に励む私を横目に出掛けて行った。
「どこへでもいってらっしゃい」と、心の中で思う。
煮物やハンバーグ、卵焼き。
自宅で漬け込んだぬか漬け。
日持ちしそうな物を中心に用意して、鞄に詰め込む。
重たくて鞄を左右の手に何度も持ち替えながら、彼の家まで歩いた。
「………こんにちは〜」
ドアの前に立ち、中に声を掛ける。
扉の向こうからはゴソゴソと音がして、30秒ぐらい経ってからドアが開いた。
「………どうぞ、」
中に入ると、珍しく窓が開いていて。
カビ臭さがほとんどしなかった。
「掃除してたの?」
「あぁ……うん」
元々、卓袱台とふとんしかない部屋だけど。
心なしか部屋全体が少し明るく感じる。
「料理……作って来た」
「え?!まじ!?」
包みを解いて蓋を開け、広げて見せる。
「……やっべ。うまそ」
彼は子供みたいな無邪気な顔で、ぬか漬けをひとつ摘まむと、口に放り込んだ。
「うん、うまい。なんか………懐かしい」
本当に美味しそうに噛み締めるように食べてくれて。
愛おしいなぁって、思ってる自分がいる。
食事を終えると、散歩に出かけた。
「………ねぇ、」
「ん?」
「きみ、名前なんていうの?」
会うのは今日で4回目なのに、名前も知らない私たち。
不思議な関係。さすがに聞いておこうと思う。
でも、彼はちょっといたずらっぽくハニカんでから、
「………ひみつ」
と、言った。
「え〜……なんでよ〜……」
「ふはは」
………笑ってくれた。
笑うと顔がしわくちゃになって、可愛い。
胸がキュンと、ときめく。
彼の家にはやっぱりお風呂がないらしかった。
2・3日に一回銭湯に行っているとのこと。
散歩がてら案内してもらうと、私の自宅からもそんなに離れてない場所に、隠れ家みたいな小さな銭湯があった。
「こんな所にお風呂あったんだ」
「うん。けっこーきれい」
たしかに。外観は古びているけど、中を覗くとそれなりに手入れがされていて綺麗そう。
「俺、入ってくけど。……どうする?」
気まずそうな顔で聞かれて。
どうしようかなって………少し悩んだ挙句、
「私も入ろっかな。暇だし」
帰っても夫はいないし。
それどころか、今夜は帰って来ないし。
家にいたって、夫と不倫相手とのあれこれを想像してしまって、嫌な気分になるだけだ。
メイク道具なんて持ってきてるはずもなかったから、顔は濡らさないように気を付けて、身体だけサッとシャワーで流してから湯船に浸かった。
冬の寒さで骨まで冷え切っていた身体が、芯から温まっていく。銭湯って……良いね。
女湯を出ると、外で彼が待っていた。
湯上がりの湯気を纏った美青年は、色気が増して尚のこと美しい。
「………なんだよ」
「……ううん。なんでもない」
また見惚れてしまっていたらしい。
怪訝そうな彼を見て、自覚した。
まだ日の高い時間だったけれど、前回と同様、コンビニでビールを2本買った。
彼と一緒に食べるおつまみ代は、私が出した。
彼の家に着いて、梅ジュースとビールで乾杯する。
また、ポツリ、ポツリ…と他愛もない会話をして、ときどき少し笑った。
落ち着かなかった前回とは違って、彼といるこの空間に、居心地の良さを感じ始めていた。
日が暮れて来た頃……
「あんたさ……、俺のこと怖くないの?」
彼は唐突に、そう言った。
「え……?怖いって……なんで?」
「だって俺、殺人犯の息子だよ」
“殺人犯の息子”
その冷えた響きに、一瞬思考が停止する。
さっきまでとは違う……光のない声だった。
「………怖くないよ」
冷え切った空気を突き破るように、力強く答える。
「だって、きみは殺人犯じゃないもん」
ただ、息子だというだけ。
犯罪者の家族だというだけ。
それだけでこんなに苦しい日々を送っている青年がいる。そんな世の中の構造が、憎くてたまらなかった。
彼は「ふぅん」と言って、腰を浮かすと……私のすぐ隣まで近づいてきて。
「……───…え…っ…、」
突然、腕を引かれて押し倒されて。
アルコールが回ってぼんやりしてる頭で、見上げる。
目の前には、キラキラした瞳があった。
「じゃあ……こうゆうことされんのも、怖くない?」
綺麗な顔から湧き出す色気。垣間見える欲。
動物的な目付きに、身体の奥からゾクゾクしてくる。
「もちろん。こわくない」
頬に触れ、伝えると……激しいキスが降ってきた。
名前も知らない私たちは……
本能のままに、ただ、お互いを求め合った────
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