4.彼の秘密
「………お邪魔します」
2週間前に訪れた家。
相変わらず少しカビ臭い畳の匂いが鼻を掠める。
そういえば、ここからコンビニはわりと近かった。
特に意識したわけではなかったけど……。
「テキトーに座って」
「うん」
言われるがまま、卓袱台の前に腰を下ろす。部屋はしんみりと冷たくて、なんだか寂しかった。
この部屋で、独りで毎日過ごしている彼を思うと……
ううん。これはやっぱり同情だ。
可哀想。そう思ってるんだ、私。
「ちょい待ってて。ストーブ付けるから」
いつの時代のものかと目を疑うくらい古い石油ストーブ。前回来た時にはなかったから、きっとここ数日の寒さに耐えきれず、どこかから持って来たんだろう。
カチッカチッ、と何度かライターに手を掛け、ボッと火が付いた瞬間、彼は慣れた手つきでストーブに火をつけた。
「ここに住んで、長いの?」
急に浮かんだ疑問。なんとなくだけれど、彼がここで冬を越すのは、初めてじゃない気がした。
「………3年目。この冬で」
彼はストーブに広がっていく火を、ぼーっと眺めながら言う。
その横顔は、やっぱり儚げで。
やっぱりとても……美しい。
「このアパート、家賃2万」
「……え?!」
「俺以外はじいさんばあさんしか住んでない」
「…………」
「みんな生活保護。もちろん俺も」
ここは東京、しかも23区内。家賃2万円というのは相当な破格だ。まぁでも、この古さだし……。
見た感じ、お風呂もなさそうだから、納得でもある。
彼は台所から取ってきた大きな瓶を傾けてコップに液体を少し入れ、そこに今度は水を並々と注ぐと、さっき買ってきた100円のイカのおつまみとともに飲み始める。
「……いる?梅ジュース」
「え……」
「一階に住んでるばあちゃんからもらった。俺、酒きらいだから」
そっか。先日のプルーンをくれた“ばあちゃん”というのが、彼の祖母を意味している訳じゃなかったことを知る。
「……ううん。いらない」
そう言って、さっきコンビニで買った缶ビールのプルを引き、プシュッと開けた。
ゴクリと喉に流し込む。なんだか落ち着かなくて、あまり味が良く分からなかった。
ポツリ、ポツリと、彼の質問に答えたり、質問をしたり。当たり障りのない、何気ない会話をして。
少しずつ減っていく梅ジュースとビール。
1時間ほど経った頃、彼はちらりと私の左手を見て。
「時間……大丈夫?」
「え?」
「旦那に怒られない?」
スマホを確認すると、時刻は20:00を過ぎている。
特に夫から連絡は来ていない。
「いいの。別に帰りたくもないし」
夫はどうせ今頃部屋に籠って、不倫相手と連絡を取り合いながらテレビでも観てるんだろう。
きっと、表情が曇っていたんだと思う。
彼の視線を感じて、ハッとした。
「あ、でもあんまり長居しちゃ悪いね。帰る」
そもそもなんで家に呼ばれたんだろう?よく分からないけど、よっぽどあの日のことを気にしてくれてたのかな。良い子だね。いろいろ話せて楽しかった。
慌てて残った二本目のビールを流し込み、立ち上がろうとする。
「待って……、」
「……え?」
彼はぼーっと机を眺めたまま、私を呼び止めた。
もう一度座り直して、彼を見る。
「俺さ、」
「へ……?」
「俺の親、」
私をじーっと見つめる鋭い視線の奥が……
本当に、キラキラしていて。
儚くて、麗しい……。
目を逸らせない。
「───…俺の親、人殺しなんだ」
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