第9話 大地だけが聞いていた

パチッ、と焚き火が弾ける。立ち上る火の粉を目で追っていくと、ぽっかりと丸く切り取られた夜空の中に無数の星々と三日月が浮かんでいた。


ツリ街からやや離れた森の木々が開けた場所に、レイドから借りていた野営道具をマガミと手際よく設置。その中心で焚き火を点け、手頃な倒木に腰掛け僕はマガミの言葉に耳を傾ける。


「……何処から話したら良いのかな、いざ話すとなると…うまく言葉が纏まらないね」

「姉さん…」


先程までとはガラリと雰囲気を変え、随分としおらしくなり口調すら若干変わったマガミに思わず口を挟もうとする。


「ううん、大丈夫。ハーツに話すって決めたのは、私なんだから。…そうだね、じゃあ順を追って話そっか」


しかし、マガミは首を横に振って毅然と僕に月よりも煌めく琥珀色の瞳を向け、話し始めた。


「100年前くらいかな…世界には魔物も<剣士>も存在しなくって、ただこの世界の片隅に五つの元素を司る玉と一振りの剣があったの」

「……」


突然の100年前に思わず耳を疑うものの、口を挟むのも憚られ無言で続きを促した。


〜〜〜〜〜


魔物たちがいないから、世界は平和そのものでね。元素を司る玉である宝玉と一振りの剣であるの傍ら、私は穏やかに過ごしていたの。


炎は照らし、水は流れ、風は吹き、雷は鳴り、土は育んで。全てが順調に巡っていた…はずだった。


ある日、まるで燃えて残ったチリのように、砂利で水が澱むように、風が木々で遮られるように。或いは、雷が落ちて轟くように、大地が擦れてヒビが入るように。


『奴』は…突如として生まれたの。


アレは、この世に生きる全ての生き物の『呪い』だった。誰かに幸せになってほしい、誰かに生きていて欲しいという『祈り』の反対。


誰かに不幸になって欲しい、誰かに死んで欲しいという呪いそのもの。本来は、誕生するはずのない澱んだ空気のような存在だった。


存在し得ないけれど、存在してしまったが故に生まれた原因に明確な理由は無いのかもしれない。でも、アレは生まれてしまった。


奴は自身の中にある衝動のままに、手当たり次第に天変地異の如く暴れ出したんだ。まるでのように、後に魔法と呼ばれるものを放って。


私は必死に対抗しようとしたけれど…私もいつの間にか生まれ宝玉たちを見守っていただけだったから、咄嗟には戦うことなんてできなかった。


アレは、私を動けなくなるまで追い込むと驚くべきことを口にした。曰く、『これら宝玉の力を反転させ、この世界を滅茶苦茶にする』と。


アレ自身に意思なんてない、意味なんてない。ただ、呪うのみ。呪い、壊すのみ。だから当然聞く耳なんて持たなくて、宝玉が奴の手に渡りかけた時。


何処からともなく、貴方が…ハーツが現れたの。私も奴も唖然とする最中、貴方は宝玉と宝剣を使って奴と互角…いえ互角以上に戦った。


凄かったなぁ…相手の魔法に合わせて宝玉を変えて、悉く斬り裂いて。あっという間に追い込むと、トドメの一撃を刺そうとする。


でも、奴は狡猾で。貴方の剣が届く直前、意識が朦朧としていた私に向けて水の槍を数本放ってきた。


もうダメ…と目を瞑ったよ。でも、槍は来なかった。ハーツが、私を庇ってくれたから。一つは炎の宝玉で、そしてもう2本は…貴方の体で。


その衝撃で、水と土の宝玉が貴方の懐から転がり出したわ。多分この時に奴は既に宝玉を盗んでいたんだね、重傷を負いながらも貴方は剣を突き立て奴はモヤのように消え失せた。


確実に消え去るのを見た後、貴方は仰向けに倒れて。そこで漸く動けるようになった私は、貴方の傷を見て何も言えなかった。それはもう、致命傷の域だったから。


ごめんなさい、私のせいで。出会ったばかりの上に、命を賭けて助けてもらったのに。私には、何もしてあげられないのがどうしもうなく、悔しくて。


でも…泣いてばかりの私に、貴方は…笑ってくれた。君が無事なら、良かったって。


だから…心が締め付けられるような気持ちになった私は、一か八かの賭けに出たの。宝玉の力なら、何とかなるかもしれないと。


炎、雷、風。三つの宝玉と足りない分を私と剣で補い…一度で良い、貴方を助けてと願った。私が願うなんて、おかしな話だけれどね。


そんな願いは…叶えられた。ただし、不完全な形で。


貴方は幼子の姿になり、魔法…と呼んでいいのか分からないそれの反動で宝玉達も剣も散り散りになってしまった。法玉は、この時宝玉の中から欠けた力の一部。金属を通すと効果を発揮するのは、元々の宝玉の使い方がそうだったからなんでしょう。


炎の宝玉と剣は貴方の中で眠っていたんだと気付いたのは…この前の、学園での襲撃の時。


あれはきっと、奴が放った攻撃の残滓が貴方の中で形になって魔法を使おうとした時に具現化するよう細工がされていたんだね。


当時はそんなこと露にも思ってなかったから…貴方が目覚めるまでの間、辺境の村でずっと見守っていたわ。そして、誓ったの。


ハーツが今度目覚めて大きくなることがあれば…今度はもう絶対に、傷付けさせないって。できれば、命懸けの戦いなんてさせたくないって。


〜〜〜〜〜


結局、今はこんなことになってしまっているのだけれどね。そう言って、マガミの独白…もとい、彼女による彼女と僕の昔語りは幕を下ろした。


……今、必死にそれらを思い出そうとする。けれど、ズキッ…と何故か鈍い痛みが走るのみで明確に思い出すことができない。


「良いのハーツ、無理に思い出さなくても。もう少しで奴との因縁にも決着が付くから、気にしなくて良いわ」

「うん…。あぁでも、二つだけ聞かせて欲しいな」

「私に答えられることなら、何でも」


こくり、と一度頷いて話を区切ってから訊ねる。


「姉さんは…僕の本当の姉さんじゃ、無いんだね」

「えぇ…ごめんなさい。貴方の本当の家族のことも私には分からないし、私が姉になれば貴方の近くにいても不自然じゃ無いと思ったから」

「そっか…それじゃあ、もう一つ。


貴女は……マガミは、何者なの?」


僕の言葉に、逡巡するように一度瞼を伏せる。やがて、陽が昇るようにゆっくりと開けるとマガミは告げた。


「私は……神様。本当の名前は、マガミ•オオクチ。見守る者よ」


凜とした声に、風も、草木も、炎のゆらめきさえも動きを止めたように思えた。ただその声を僕と…この、大地だけが聞いていた。

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