第8話 風はかの地へ

「ただいま〜!妹はずっと寝てんだ、気にせず入ってくれ」

「お邪魔します…」「お邪魔するわね…」


残滓すら出ない程の薄い影を地面から僅かに出し、和気藹々と帰ってきた奴らを覗く。我が居ることなど露にも思っていないであろう顔には、『昔』の面影など微塵も無い。


己の内の衝動のままに、宝玉とあの剣を奪い世界を破滅させてやろうとしたのに…忌々しくも奴等に邪魔をされてしまったのだ。


我は『我自身のことなど一切合切どうでも良い』。ただひたすらに、湧き上がるこの満たされぬ飢えのままに。


さあ…早く我の下へと来るが良い。全ての宝玉と、その剣を持って。


そして今度こそ、世界を…呪ってやろう!!


〜〜〜〜〜


「……妹は、病に冒されてんだ。数年前、眠ったきりでよ…八方手を尽くしたんだが、どれも効果無くて。昨日の朝教会の人に診てもらった時は、このままじゃ命が危ねえんだと」


僕らがレイドの家に着いて腰を落ち着けて暫く。彼は、普段の快活さと真逆で悲痛そうに眉根を寄せるとそう言った。<剣士>になってから頻繁に任務に行ってお金を稼いでいたのは、妹さんの治療の為だったのか。


「でも…まだ間に合う。見つかったんだよ、治してくれるって言う奴がさ」

「それは良かったわ!でも、その人は何処に…?」


マガミが辺りを見回しても、僕ら以外には影すら見えない。レイドからしたら、一刻も早く治してもらいたいだろうに…。


「其奴は…明日の武闘大会の優勝商品である、風の宝玉があれば治せるって言ったんだ」

「宝玉が…?というか、どうして其奴は宝玉のことを知っているの?」

「分からねえ…でもよ、俺にはそんなのどうだって良い。妹を助けてもらえるなら、例え俺が…!」


グッ…と小さく震えるほどに握り締められた拳を見て、僕は……何も言えなくなってしまった。


苦しそうなレイドを、今にも消えてしまいそうなほどに儚いサーヤちゃんを真っ直ぐに見られなかったから。レイドにその話を持ちかけた人物…いや、『奴』のことだと分かってしまったから。


「何でサーヤが…何で…!」


藁にも縋り付く思いなのだということが、痛いほどに分かってしまったから。僕に…何かを言う資格なんてない。


思わず室内から天を仰いで、誰にともなく内心で吐露する。


教えてくれ…僕はどうしたら良い?もし明日大会で僕が優勝して宝玉を持ち去ってしまったら、妹さんの命が危うくなる。魔物騒動は解決に向かうかもしれないけれど、世界の為に1人の女の子の全てを黙殺することになってしまうのだ。


分かってる、あぁ分かってる。そもそも『奴』がそんな口約束ですら無いもの、守るはずがない。宝玉さえ手に入れば、容易く切り捨てるだろう。だから、僕かマガミが優勝してやつの目論見を挫くべきだ。


でも…そんなこと、きっとレイドが1番分かってるんだ。もしそれが嘘であろうと代償がどれほど理不尽であろうと、他に出来ることはないから。


<剣士>になってどれだけ強くても、どれだけの魔法が使えても、どれだけお金を稼いでも。万能ではないんだ、剣も、魔法も。


「宝玉なら…特別だってんなら、それに賭けるしかねぇんだよ…!」


呻くように叫ぶと、レイドは切羽詰まった様子で僕の顔を見て次いで僕の利き手の右手を見る。視線の意味を悟れず、思わず小首を傾げる。


けれど、かぶりを振ってレイドは口を閉ざした。代わりに開いたのは、マガミだった。


「よく分かったわ、レイド。貴方が私達を快く迎えてくれたのは、この話がしたかったからなのね」

「すまねぇ…ただ素直に来て貰いてえってのも、本音ではあるんだがよ」

「姉さん…レイド…」


良いのよ、と肩を竦めるマガミ。そして…助けを求める思いで僕が見つめていると、視線に気付いたマガミはこんな時でも優しくクスッと笑って教えてくれた。


「ハーツは、どうしたい?」

「!僕、は…」


己の胸の内に手を当て、考える。僕の心は…決まっていた。


「レイド、決勝戦で会おう。君が勝ったら、宝玉は好きにして良いよ。もし一つじゃ足りないって言われたら、僕の持ってる宝玉全部上げたって良い」

「な、何を言ってんだ!それはお前にとっても大事な…!」

「ただし!僕が勝ったら…宝玉は僕が預かる。そしてその後、すぐにでも…『奴』を倒しに向かう」

「……その場では治せない、ってことか」


深く頷く。僕もマガミも、眠ったままの妹さんに出来る処置なんて心得ていない。出来るのはただ、確実に何かを知っているであろう『奴』を叩きに行くことだけ。


しかし、その間に妹さんのタイムリミットが来るリスクもある。だからこその、この提案だった。


「フッ…優しいな、ハーツは。良いだろう、恨みっこありの真剣勝負だ」

「そこは恨みっこなしじゃないの?」

「馬鹿言え、妹が心配じゃない兄がどこにいる」


レイドと軽口を交わして、一気に場が和やかになる。そうだ…こんな時は、笑えば良い。

1の悲しみを1の喜びで癒しては上げられないけれど、向き合う強さが湧いてくるから。


「……いつの間にか、こんなにも成長してたのね」


笑い合う僕らの声の中に、マガミの微笑みが溶けて混ざり合うのだった。


〜〜〜〜〜


翌日。いよいよ、武闘大会が始まった。


魔法に長けた街一番と豪語する人、素早い動きで撹乱を狙う人など色んな人がいたけれど僕やレイドは破竹の勢いでそれらを打ち負かしていく。


因みにマガミもてっきり出場登録をしていたと思いきや、僕の分の手続きしかあの時していなかったらしい。僕の考えが手に取るように分かるのだろうか…。


まぁ何にせよ、僕とレイドは昨日の約束通り武闘大会の決勝の舞台で相見えた。フィールドを取り囲む歓声の盛り上がり具合たるや、世紀の一戦とばかりで少し驚いている。


「……来たな、ハーツ。やっぱりお前ならぜってぇ来ると思ってたぜ」

「約束したからね、レイドと。罠と分かっていてもそれしか選べない友人を止める為には、負けられない」

「へっ、上等!今回は本気だ…怪我しても知らねえぞ!」


レイドは腰から斧と盾を構え、一直線に迫ってくる。この大会は真剣勝負、どちらかがギブアップするか明らかに軽傷以上の傷を負った場合に勝敗が決するのだ。


「はぁぁ!」


負けじと握っていた剣を斧と切り結ぶように大振りし、ガギィン!!と受け止める。ギリギリギリ…鍔迫り合いになり金属音が立て続けに鳴り響く。


突如、レイドが素早い動きで盾で突いてくる。至近距離からでは避けづらいように、しっかり横向きにして正拳突きの動きで。


「危な…いっと!」


フッと足から力を抜き髪を僅かに掠めさせながらしゃがむことで、斧を回避しつつ盾も避けた。反射的に僕の顔面を蹴飛ばそうとしてくるので、バネのように飛び上がって宙返りで距離を取る。


「ここ数日で、随分腕を上げたじゃねぇか!俺との訓練の賜物か?」

「まぁそれもあるだろうけど、1番は…」

「隙アリだぜ!」

「卑怯だなぁ!?」


急に雰囲気が普段のレイドに変わるものだから、思わず緊張を解いて答えてしまう。そのせいであわや殴り飛ばされそうになり、左肩を引き両手を上げて辛くも回避。


「どうしたハーツ、上がった腕前は逃げ足だけか!こりゃあ優勝はいただきだなあ!」

「言ってくれるね…僕にだって、負けられない理由が沢山あるんだ!」


お互い一歩後ろに距離を取った時、大仰に腕を広げて僕を煽るレイド。その眼差しから強い想いを感じて、応えるべく言い返して心を覗くように目を閉じる。


僕をいつでも支えてくれるマガミや、告白の返事を健気に待ってくれているリーンにリーシャ。そして魔物騒動で苦しめられている、過去に苦しめられて今尚傷跡に苦しむ人達。


何よりも、『奴』の策略に翻弄されるレイドとサーヤちゃん。皆を…守るんだ!


「この剣と心に誓ったんだ…!レイド、決着を付けよう」

「おうよ!まどろっこしいのより、よっぽど良いぜ!」


レイドが盾…ではなく、斧を構える。周囲の音が僅かに震える気がする…恐らくあれは、風魔法。僕が炎の宝玉で来ると思っての構えだろう。


本来、炎魔法は風魔法に強い。炎は風を受ければ受けるほど、強くなるからだ。けれど、あまりに強い風を受ければ炎は吹き消されてしまうように、正面からぶつかれば負けてしまうこともある。


だけど。それは、


「……いっけぇ!!」

「なっ!?水魔法だとぉ!?」


僕は今回、ベル家の屋敷で手に入れた水の宝玉を剣に嵌めていたのだ。


右手を高く上げつつ左肩から前のめりになり、そこから胸を反らすと共に地面を抉り取るように下から上へと切り上げる。水の刃が立ち上がり、レイドが斧の先から炸裂させた

風魔法をすり抜けて肉薄していく。同時に、レイドの風魔法が僕に荒れるように迫る。


水魔法と風魔法は、お互いに打ち消されることなく飛び交う。水の流れと風の流れが干渉することなんて、殆ど無いからだ。


風に呑み込まれる直前、僕の脳裏に声が聞こえた気がした。誰のか、なんて認識できない声にならない声。でも…とても、馴染み深い声だった。反芻するように、口の中で呟いた。


「≪水渦の一閃(アクア•スラッシュ)≫…!」


そして、風と水がほぼ同時に弾ける。一瞬、無数に切り付けられるもののすぐに風は止んだ。鋭利な切り口で頰や手、全身の至る所に傷口があるけれど血は出てこない。どうやら、本格的な傷口になる直前で止まったらしい。


僕自身の安全を確認し、レイドの方を見る。

レイドは水がフィールドに染み込む跡が放射状に広がる中心に、大の字に仰向けに横たわっていた。重く水で殴られたようなものだから、気絶してしまったみたいだ。


「……ふぅ」

『今回のツリ街武闘大会!優勝者は〜、ハーツ•コラウ選手だぁぁぁ!』


割れんばかりの歓声が沸き起こり、レイドも目覚めたようでゆっくりと起き上がってくる。そして、僕を見るなりニカッと憑き物が洗い流された笑顔で讃えてくれるのだった。


〜〜〜〜〜


「これが風の宝玉かぁ……」


健闘会という名の街全体の大きな宴が終わり、夕日が街を包む中。レイドの家に戻った僕らは、3人で囲むようにテーブルの上の宝玉を眺めていた。


「やれやれ…目の前にあるのに、約束は守らねえといけないから奪えないぜ。いつの間に水の宝玉手に入れてたんだよ?初めて見たぜ、あんな魔法」

「ここ数日、何だか目まぐるしくてね…。あの魔法に関しては、名前と一緒に浮かんできたんだよ。この宝玉の使い方はこれだって感じで」

「ほ〜ん…けど、魔法に名前があるなんざ聞いたことねぇな。マガミは何か…マガミ?」


僕とレイドの会話を聞いていたマガミが、琥珀色の眼差しと白銀の耳と尻尾を伏せた。その顔付きは、何だか…悲しそう。


「そう…もう、そこまで…」

「…姉さん?」

「ううん…何でもないわ。ところで、レイド。本当に風の宝玉、持っていくけれど良いのね?」

「男に二言はねぇ!ただ、俺も一緒に殴り込んでやりてぇが…妹に、サーヤに何かあったら大変だ。付いていってやれなくてすまん、2人とも」


ふるふるとマガミと目を合わせずとも揃って首を横に振る。そんなの、兄としては当然だろう。仮にも弟分の立場の僕としても、姉貴分のマガミとしてもレイドの気持ちは痛いほど分かるつもりだ。


「任せて、レイド。わざわざ交渉を持ちかけるぐらいだ、『奴』は間違いなくサーヤちゃんが眠ったままの原因を知ってる。死んでも、吐かせてくるよ」

「ハーツ…本当に、ありがとよ。マガミもしっかりな、こいつのこと頼んだぜ」

「えぇ、言われなくても。私はハーツのお姉ちゃんですから!」


自信満々に胸を張るマガミ。それがおかしくて、思わず笑いが吹き出し3人でお腹を抱えて笑い出してしまう。ちょっと前までこんな日常を過ごしていたのに、今となってはかけがえのないものに感じられる。


「それじゃあ…行ってくる」

「おう、無茶だけはすんなよ」

「うん…レイドもね。行こう、姉さん」

「そうね、ハーツ…行きましょう」


こうして、四つめの宝玉を手に入れた僕らはレイドとサーヤちゃんの家を後にした。


〜〜〜〜〜


「『奴』の目論見を防ぐ為にも、土の宝玉を見つけてから探し始めたかったけど…そうも言ってられなくなっちゃったね」


ツリ街を出て、荷物を確認しながらマガミにぼやく。魔物騒動、獣、サーヤちゃん…一連の原因が全て『奴』のものだとしたら、それを倒しさえすれば全てに片がつくだろう。


しかし…ただ宝玉を狙う為だけに、そこまで回りくどいことをする必要があるだろうか。最初から宝玉が狙いなら、魔物に人を襲わせる必要もレイドに交渉を持ちかける必要も無いはずだ。


それに…最初に僕らを襲った、炎の獣。あの時に『奴』が一言も話さなかったのも気になる。水の獣の時に意思があったのなら、最初の時だって存在していたはずなのに。あれは紛れもなく、理性とはかけはなれた本能的な感じだった。だからこそ、僕は獣と呼ぶことにしたわけだし。


炎、水、雷、風。この内炎と水は獣が持ち、雷と風は人間が持っていた。けれど獣は、

そのどれも場所を把握していて…僕の行く先々で、どんな形であれ姿を見せる。


水の獣の姿では、僕やマガミにリーンやリーン…4人を相手取り魔法を使った大立ち回りだった。去り際には、嬉しくも無い再会を示すような口ぶりで。


そうだ、『奴』は僕の剣すらも欲しがっていた。そして、本格的に宝玉を探す理由になった謎の≪儀式≫の存在と僕やマガミをよく知っているような、思わせぶりな態度。


剣と、魔法と、宝玉と法玉。魔物に獣…

そして、僕とマガミ。


本当に、これら全てに繋がりがあるのだろうか?『奴』は、それらで何をしようとしている?


「分からないことだらけだぁ…」


思わず足を止め、頭を抱えてしまう。土の宝玉の在処は兎も角、『奴』の居場所なんて見当もつかない。大見栄を切った手前、加えてサーヤちゃんの為にもゆっくりとはしてられないのだ。


「ハーツ…あのね」

「うん?」


ずっと静かだったマガミが、恐る恐る口を開く。真っ直ぐに向き直り、次の言葉を待つ。


「そのことで、話が……」

『ほう……漸く全ての宝玉を揃えたか』

「「ッ!?」」


夜道の中でも一層暗い、影のようなものが一歩先から立ち上る。この気配に声…間違いなく、『奴』だ。


「何で宝玉を手にしたと…」

「ハーツ…多分、。私でさえ気付かないほどに、気配を薄くして」

『ご明察。相変わらず頭も切れるなあ…マガミ。しかし貴様は…それだけの宝玉を集めて尚、まだ思い出さぬか』


モヤのようであって尚、確実にこちらを見ていることがわかる。その上何だか落胆されているような声をされて、何だか腹が立つ。


ただ、一つはっきりした。僕は…確実に一度こいつに会っているのだ。それも、僕の知らない僕に。忘れてしまっているとは言うけれど、物心ついた頃からずっとマガミと一緒にいたのだ。忘れるも何も無いから、戸惑いを隠せないけれど。


「……全ての宝玉って、僕らまだ土の宝玉持ってないんだけど」


素直に話を続けてやるのが癪だったので、話の腰を折って別の話へ。


『知れたこと。土の宝玉は…我が持っているのだから』

「!」

『我の居場所は…マガミにでも聞けば良い。またあの場所で、待っているぞ』


言いたいだけ言い終えると、待てという暇もなく『奴』は消え失せる。その場には、何も知らない僕と…きっと、全てを知っているマガミだけが残された。


「姉さん、聞かせて。あの場所って…?」

「……今夜はこの先の森で野宿して、そこで話しましょうか。いよいよ…約束した通り、ハーツに全部を話す時が来たみたいだから」


マガミが…一度も見たことのないような、儚げな微笑みを浮かべながら目の前に広がる広大な森を指差す。森の入り口は、ぽっかりと開いていて…まるで、全てを飲み込む口のようだった。

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