一蓮托生~蓮華の下で結ばれて~ / 大田康湖 様

 作品名:一蓮托生~蓮華の下で結ばれて~

 作者名:大田康湖

 URL:https://kakuyomu.jp/works/16817330663745590547

 ジャンル:歴史・時代・伝奇

 コメント記入年月日:2024年2月18日


 以下、コメント全文。


 はじめまして。

 この度は『レビュー、もしくは感想を書きます』企画にご参加いただき、ありがとうございました。主催者の島流しにされた男爵イモです。


 作品の方を拝読致しました。

 戦後を生きる人々の活力と精神的なつながりの尊さが、細部にまで至る描写力と人物の内面を掬い上げる技術によってあますことなく表現されていたと思います。戦後の凄惨な状況や恨みと憎しみの連鎖などにスポットを当てた作品とは異なる、人のぬくもりに焦点を当てた話運びはまさに希望を表すにふさわしいものでした。かといって美談や綺麗事で話をまとめずに、その時代を生きた人々のありのままが描写されていたのは本作の醍醐味でもあります。清貧に甘んじなければならない人々、帰還兵、やくざ、ヒロポン中毒。ときにはそれらをオブラートに包みつつも、フィクションの中に事実を混ぜ込む。特定の人物や組織を悪として描くのではなく、それぞれの立場からの希望と再生を綴っていく。そうした描写の数々からは大田様が本作に込められた思いと、優しさを垣間見ることができました。


 技術面においては、生活感や街並みの描写が丁寧だったと思います。また柳行李や銘仙、煙草の銘柄や漫画といった時代を感じさせる小道具たちも作品を華やかにさせていた印象です。それらが作中世界で「置物」にならず、しっかりと意味を持っていたのは描写力の為せる技ですね。物語の進行についてはスローペースですが、それを人物たちの人間的な魅力を描くことでカバーされていたように感じました。伏線の張り方も丁寧でわかりやすく、異なる立場や毛色の人間たちの道が一つにつながる構成は素晴らしかったです。文章自体も読みやすく、舞台設定や物語の内容と比べると取っ付きやすいものだったと考えます。その要因は台詞中心の話運びと、難しい熟語を控えた直感的な表現にあります。情景描写や心理描写に十分な文字数が割かれ、出来事の背景説明が必要最低限に収められていたことが大きいかと。伊東潤の『琉球警察』のような、舞台設定や時代背景の複雑さを読者になぜか感じさせない、良い意味での敷居の低さが特徴的な作品でした。


 では、続いては気になった点に触れていきます。

 以下の二点です。

 ➀予定調和にみえる出来事の数々

 ➁台詞中心の物語の進め方による弊害


 まずは➀、予定調和にみえる出来事の数々。

 作中では物語が進むうえで、様々な出来事が描写されます。たとえば葵の自殺を康史郎が防ぐ、かつらと憲子の再会、康史郎が川に落ちる、八馬がジープに軽く引っ掛けられるなど。これらには共通して唐突さがあります。もちろん、その唐突さが大事な出来事も多々あるのですが、どうしても読んでいてワンパターンにみえてしまうのです。物語が進む→急な出来事が起こる→物語が進む→急な出来事が起こる、といった風に。車でたとえるなら、徐行と急発進を一定のリズムで繰り返しているイメージです。緩急はあるにもかかわらず、そこに法則性が生まれてしまっている。そのために物語を進めるための出来事が、すべて予定調和(お約束)のようにみえてしまうのではと思います。


 これを軽減する方法として、出来事にライブ感を足すことが有効的です。たとえば葵が厩橋の欄干から飛ぼうとする場面。ここで作中では康史郎が土手から橋に上がるわけですが、距離が少しあることも相まって時間の経過が生まれます。これを仮に「康史郎は厩橋でスケッチをしていた」とします。スケッチをしている最中に、電停から走ってきた葵と康史郎の間でなんらかの会話が発生する。あるいは、ぶつかってスケッチブックが弾き飛ばされる。そうしたワンクッションを挟んだうえで葵が欄干から飛ぼうとして、それを康史郎が止める。という一連の出来事が近い距離で起こる、ライブ感を演出するのも一つの方法だと思った次第です。驚きというのは唐突さに限らず、上記の「積み上げて崩す」ということでも生み出せます。持ち前の表現力を生かして出来事の起点づくりにもう一工夫してもらえれば、作品の質はもう一段階あがるはずです。


 続いて➁、台詞中心の物語の進め方による弊害。

 これに関しては先に美点を述べましたが、デメリットもあります。それは話の内容を軽くしてしまうことです。台詞、特に複数人による台詞の連続はスピード感を生みだす一方で、その台詞の意図はすべて読者に委ねることになります。つまり地の文で人物の表情や仕草を補足した場合と違って、場面の解像度が大きく落ちてしまうのです。当然、読者の感じ方に個人差はあるでしょうが、台詞の意図を表層的(悲しい、つらい、健気など)に受け取ってしまいがちです。あとがきを読むと、本作は軽小説を意識されていることが窺えますが、過度に話のテンポやスピードを上げるのは危険かと思います。単純な物語ならいざ知らず、本作はゆったり且つ堅実な話運びが肝となるはずなので。


 本作は物語が進むにつれて、読みやすさ重視の進行が目立つようになります。そうした展開を否定はしませんが、特定の場面では人物の表情や仕草をいつもより細かく書き込まれてもよいでしょう。それに伴い、余力があれば表現のレパートリーを増やしてみるのもいいかもしれません。作中では同じ表現、特に「かぶりを振る」はよく使われていたので。同じ表現は反復や強調のために役立ちますが、あまり使いすぎると新鮮さがなくなっていきます。作品のコンセプトを邪魔しない範囲で表現を補強していただけると、物語の特色がさらに読者に伝わりやすくなると思います。


 最後に、作中での表記揺れなどの報告を。


 第3話:そう言いながら店先から入ってきたのはカーキ色のTシャツに作業スボン姿の男性、廣本久だ。→作業ズボン。

    :既にスボンは脱いでランニングシャツと猿股姿になっている。→ズボン。

 第4話:ごはんの臭いにつられたのか康史郞が起き上がる。→文脈的に「匂い」の方がいいと思います。「臭い」はネガティブな意味合いで使われることが多いです。

    :カーキ色のTシャツに作業スボン姿の男性が立っていたのだ。→ズボン。

 第5話:アロハシャツにベージュのスボン姿の男性が手招いている。→ズボン。

 第6話:「まつり」に京極隆が来店したのは7時半を少し回った頃だった。→それまでの流れに倣うなら、漢数字が適していると思います。

 第21話:「本当?もちろんやるよ」→疑問符のあとの一字空け忘れ。

 第66話:「確かに梓さんは素晴らしい方と結ばれました。ですが、葵さんにはご自分の道を選ぶ権利がごさいますわ」→ございますわ。

 第69話:「うるせえ、おやじ一人で俺たちに叶うもんか」→敵うもんか。


 以上になります。

 ここで述べたことが、作者様の創作意欲の向上につながったのならなによりです。




 以下、レビュー全文。


 苦難を糧に、蓮華は花開く


 戦後を強く生きる人々の物語。

 そう聞くと「難しそうな話だな」と苦手意識を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、本作においてはそんな心配は無用です。易しい文章表現と、個性的な登場人物たちが織りなす物語に、気づけば貴方は夢中になっていることでしょう。テンポがよく、それでいて細部にまで配慮の行き届いた筆致はまさに圧巻の一言。軽小説の趣を維持しつつも、時代背景や小道具を疎かにしない構成からは、作者様の作家としての練度の高さが窺えます。


 そんな中でも本作の醍醐味は、やはり人のぬくもりが繊細に描かれている点でしょうか。厳しい生活の中にある悲哀ばかりに焦点を当てるのではなく、そんな状況で生きる人々の逞しさや情の厚さも同様に書き込まれています。その表現力たるや、思わず読み進める手を止めて見入ってしまうほどです。本作から得られる勇気や感動には、なにものにも代えがたい尊さがあります。これぞ人間ドラマの神髄。このぬくもりを一人でも多くの方に感じ取っていただきたいです。

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