現代ドラマ

アパルトマンで見る夢は / リエミ 様

 作品名:アパルトマンで見る夢は

 作者名:リエミ

 URL:https://kakuyomu.jp/works/1177354054887538700

 ジャンル:現代ドラマ

 コメント記入年月日:2023年11月9日


 以下、コメント全文。


 この度は『熟読&批評します』企画にご参加いただき、ありがとうございました。

 主催者の島流しにされた男爵イモです。リエミ様におかれましては、前回企画から引き続き参加していただいたということで。『雨の降る街』とはまた違った味わいがあるのか、作品の方は興味深く読ませていただきました。


 まずは三、四読して感じ取れた、本作の強みを述べていきます。

 やはり最大の強みは、含蓄のある台詞の数々です。これは乾いた地の文とは対照的な存在となっており、その差異によって作中では一際異彩を放っていた印象でした。本作のテーマの一つである希望。そのことが前向きに、ときには哲学的に表現されていたように思います。特に要二の言うカーテンの裏側のくだりは、個人的に好きな部分でした。また、ミスリードを誘うという点でも上手く作用していたように感じます。「キミカ」や「要二」の真実は、人物の掛け合いや心理描写によって絶妙に隠されていたと思います。前者は冒頭を読んだ時点で察しはつきましたが、後者は終盤までわかりませんでした。ただ、「本作での要二の存在意義はなにか」とメタ的に読み進めていたので、その違和感がヒントにはなった感じでしょうか。なにはともあれ、ギミックとしては素晴らしいものでした。


 また、作中で細かな描写が散りばめられていたことからは、読者への配慮が感じ取れました。前述した内容については、さりげない描写で内容が補足されていたり、随所の台詞で仄めかされていたりと。物語の解釈を読者に丸投げするのではなく、常に陰から進行方向を示してもらえていたのは親切な造りだったと思います。このことによって、大多数の読者は物語を的確に追うことができたのではないかと。その他の描写については、舞花の人物像は作品の良いアクセントになっていました。ちょっとした心理描写からわかる、俳優と一般人の生活の差。なにかに傾注してきたことの反動による、ある種の幼さなど。そうした特徴が端的に描写されていたので、高飛車なイメージは湧きませんでした。いい意味で、女優らしからぬ親近感の湧く人物に仕上がっていた印象です。作品の大まかな構成に関しては破綻はみられず、『雨の降る街』と同様に安心して読める一作だったと思います。


 続いては、気になった点について。

 こちらは三つ、それぞれまとめていきます。

 ➀多田(父)の言動

 ➁舞花と要二の関係性

 ➂本作の求心力


 まずは簡単な話で済む➀から。

 これに関しては一部、不適切な言い回しであるように感じた部分があります。非常に細かなところへの指摘となりますので、本文を引用させていただきます。

【10 グラス】での多田の台詞:その中には、簡単に諦めてしまうバカもいる。

 作中での多田の人柄を鑑みるに、「バカ」という表現は良くないと思います。それほど深い意味を込めていないにしても、「人」くらいに留めるのが無難かと。作品での立ち位置を考えた場合、多田は寛容である必要があります。夢を追いかける人間、あるいは挫折した人間にとっても。なので「あきらめるな」という激励を人々に贈っても、あきらめた人間を突き放してはいけないと思うのです。そうした人間にだって再起の機会はあるでしょうし、実際に藻掻いている人間もいるでしょう。多田自身がそんな人間です。「バカ」という言葉には多田の自嘲が含まれているのかもしれませんが、本作のテーマにはそぐわないと考えます。


 次は➁、舞花と要二の関係性について。

 作品冒頭で舞花はスーパーで要二と出会い、一目惚れすることになります。それをきっかけに二人は演技を絡めた絶妙な距離感で別れまでを過ごすわけですが、ここでの舞花の「恋愛感情」には必要性をさほど感じませんでした。一連の描写は要二のギミックを使ううえで欠かせないものである反面、舞花があまりに幼稚な人物にみえてしまいます。まるで漫画的な出会いを期待する少女かのようです。これでは舞花の人物像にヒビが入り、当初の苦悩する女優という側面が薄くなる恐れがあります。人物像を傷つけずに物語を展開させるのなら、「イケメン店員がいた」という関心程度に抑えてみてはどうでしょうか。惚れるのではなく、町で見つけた楽しみの一つくらいに。


 そうすれば、のちの「モデルにスカウトしたい」や「気になる」という心理に合理性が生まれます。あくまで、私情とは区別して見ているという風に。物語の結末としても二人の関係はプラトニック・ラブに近いものだったので、友情に変更してもさほど違和感はないのではと思います。夢を追う、与えるという対比構造の下、それぞれの道を歩む。その道が交わるのかはわからないけれども、二人の心は通じ合っている。そうしたことを述べるのであれば、必ずしも恋愛感情が必要とはいえません。なんなら、恋愛や友情では表せない関係性。そういった言葉で表現できないつながりこそが、本作では重要なのかもしれませんね。やや話が脱線しましたが、つまるところ物語の合理性だけを考えた場合、不要な表現が含まれているのではということを述べたい項目でした。


 そして➂、本作の求心力。

 これは弱いと思いました。原因としては、地の文の乾き具合が挙げられます。意図的にそうされているのかもしれませんが、地の文はひたすらに装飾の省かれた淡々とした調子で綴られていきます。このことにより、およそ四万字の内容に三千字の短編を読んだかのような爽やかな読後感を与えることに成功している一方、地の文を読み進める楽しさは著しく損なわれています。地の文が、随所の台詞を際立たせるためだけの「つなぎ」になっているのです。これでは一つの作品として、面白味が半減してしまいます。小説は物語も大事ですが、それを伝える表現も同じように大事です。両者が混ざることによって、初めて面白い作品が生まれるといっても過言ではありません。


 本作は構成や物語は高水準なものなので、あとはそれをどう伝えるのかがカギとなります。具体的には「よかった」で済む話に、もう一押し「なぜ」の部分を詳しく描写してみてください。比喩表現を活用する。もしくはリエミ様の感性を頼りに、人物たちの心理描写を伸び伸びと表現する。書き方は様々です。誰がどんなことを思い、それにどのような結果がもたらされたのか。折角の中編なので端的に内容を伝えるばかりではなく、ときにはじっくりと人物の心理を掘り下げることも意識してみてください。物語の締め方はともかく爽やかな展開だけでは、受け手の感想はひたすらに抽象的なものになってしまいますので。文章表現の彩りの大切さに、是非とも理解を深めていただければと思います。


 作品への批評は、これで以上になります。

 ですが、最後に一つお願いがあります。無理にとは言いませんが、コメントへの返信はいただきたく存じます。ざっと作品のコメント欄に目を通した限り、リエミ様はコメント返信をされない主義なのかもしれませんが、コメントを書いている側にとっていい気はしません。短文ならまだしも、長文を書くにはそれなりの時間を要します。任意なので本来コメントを書く義務はないわけですが、私は素人なりに責任をもってコメントを書いています。たとえ作者様にとって的外れな批評であったとしても、片手間に書いているわけではありません。そのことに少しでも理解を示してくださるのなら、なにかしらコメントへの反応をお願い致します。コメント欄での返信が憚られるのなら、私の近況ノート『11/3開催 自主企画専用ページ』に一言いただければ幸いです。批評の埒外のことを最後に長々と述べてしまい恐縮ですが、ご検討よろしくお願い致します。

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