第38話 楽しい休暇の過ごし方


「ふふ、ふふふ、ふふふふ」


(何故だ!?)


 俺はそっと後ずさりながら、考える。


(どうしてこうなった!?)


 体温調節は完璧なのに冷や汗が流れ、口元が引き攣ったように吊り上る。

 まずい、なにがなんだか分からないが、とにかくまずい。


(責任者はどこだ!?)


 気が付けば敵地にて一人、壁際に追いつめられて、もう後がない。

 その目に、普段とは違った怪しい光を宿したそいつは、今にも獲物に襲い掛かりそうで。

 すなわち、獲物にされた身としちゃあ、たまったものじゃない。

 それもこれも、全部。


(こんな事態を招いた無能者はどこのどいつだ!?)


 多分、俺の持ってきたあれが原因なのだが。



 さて、なぜこんなことになっているのか。

 話は、数時間前に遡る。




「あー」


 俺は行儀悪くソファに胡坐で座り込んで、その問題と対峙していた。


「どうしたもんかね」


 先日、依頼先で聞いた姫さんの誕生日。その詳細をロッテにでも聞こうと思ったんだが、俺はその機会に恵まれないでいた。

 それというのも、ロッテのやつ、最近めっきり顔を見せなくなったからだ、


「いらんときにはずっと飯たかりに来てたくせに」


 解決の手段は簡単だといえるだろう。俺のほうから会いに行けばいいだけなのだから。

 なのだが。


「うーん」


 そこが問題でもある。実のところ、俺のほうからロッテに会いに行ったことは、これまで一度もない。

 俺のほうから行かなくったって、あいつは勝手にこっちに来たし、そもそもあいつの今の住処は中央区の研究棟のはずだ。あんな堅苦しそうな場所に、わざわざ自分から足を運ぼうとは思わなかった。


 ここ数日中は、また勝手にロッテのほうから来るだろうと高をくくっていたからそう焦ってもいなかったのだが、そろそろそういうわけにもいかなくなってくる。

 その日は、順調に迫ってきているのだ。


「急に尋ねに行ったら、変だよな」


 仮にも、一応、便宜上はロッテも女だ。そんな彼女のもとにアポなしで訪問というのも、その外聞がよくないというか。


「メールか電話があればなぁ」


 とっとと専用のコードでも組んでおけばよかったと後悔しても後の祭り。

 まぁ、無いものを求めても仕方ない。


「適当な理由でもでっち上げるか」


 あんなちんちくりんに会いに行くために言い訳の一つも用意しなけりゃならんとは恥ずかしい限りだが。


「なんか無いもんか」


 頬に手をついて考える。だが、名案などそう簡単に出てくるはずもなく。


「やっぱ差し入れか手土産が辺りが妥当か」


 飯でも作って持っていけば、ロッテのことだ。まぁ尻尾振って食いつくだろ。

 なら、あいつの好物でも……。


「うん?」


 そういえば、あいつ何出しても美味い美味いって喰うから特に好むものとか知らないな。食事に文句を言うこともなければ、あれが好きだこれを作れ等も聞いたことが無いような。


「……困った」


 なにか無いモノだろうか。あいつが、特別好きだって言ったようなものが……。


(これは本当においしいよ!)


「あ」


 そうだ、どこかでそんなことを、ロッテは言っていた。あれは、確か神託の旅の途中、酒精の町で。


「酒か」


 俺はほとんど使ったことのない地下のワインセラーに足を運ぶ。


「確かこの辺に。……あった」


 前に依頼主からお礼として送られてきた品だ。


「ふむ」


 ラベルを見て考える。この世界のワインの価値など分からないがきっと高いもんだろうし、土産としては十分か。あとは適当なつまみでも作って持っていけばいい。


「よし」


 この時の俺が、少しばかり考えなしだったのは認めよう。酒を土産に持っていけば喜ばれるだろうなんてのはおやっさんに協力をしていた時に身についてしまった悪癖だったし、改めて考えてみればロッテは普段酒を嗜まないことを失念していた。

 だが、俺は手頃な理由が見つかったと深く考えもせずその酒を手にワインセラーを後にしたのだった。


 それが、どんな悲劇の引き金になるとも知らずに。




 読み解き、構築する。


「――――ぉい」


 それを延々と繰り返す。そこで法則を見つけて、また書き直して、全体を俯瞰する。

 そうして初めて、神秘のごく一部が解明できる。


「――ッテ!く――――!」


 この式理は美しい。理路整然としていて、その中に生命すら感じる。ボクはそれを読み解いて、それを一つ一つこの世界に適応させていく。

 そうだ、この瞬間研究に没頭してる間だけは現実のことを忘れて、小さな世界に没頭することが……。


「いい加減にしろ!!アホ弟子!!」


「あだ!」


 突如、小さくない衝撃がボクの頭を襲った。突然の襲撃に、目を白黒させながら辺りを見回す。いつの間にか、研究室には資料が散乱していた。

 その資料の山を足蹴にして、ボクのことを悠然と見上げているのは。


「し、師匠」


 小柄なボクよりなお小柄。ふわふわな栗色の髪を揺らした可愛らしい見た目とは裏腹に、偉そうな態度が目立つこの少女は誰あろう、ボクの名義上の後見人にして事実上の師匠であるリザ・クラリスその人だった。


「このあたしのことを無視するとはいい度胸だな」


 なおも暴力的な言葉を携えて、師匠はボクの前におっきなハンマーをちらつかせる。


「それも三回もだ。無視した分だけ殴る必要があるか?」


「か、勘弁してください」


 あれでもっぺん叩かれたらたまったものじゃないと、ボクは必死で弁明する。


「ちょっと集中してて聞こえてなかったんです」


「……ふん」


 師匠がハンマーを投げ捨てると、ハンマーはひとりでに霧散して消えてしまう。あれは空気で編まれているから大きな怪我はしないけど、殴られるとめちゃくちゃ痛いのだ。


「お前、最近熱中しすぎだ」


「別に、新しい研究を早く完成させたいだけですよ。それに」


 ボクは殴られた拍子に落ちた帽子を拾って目深にかぶり直す。


「少し前まで、ボクはずっとこうでした」


 そうだ。ボクは、ずっとこうだった。天才術士なんて言われて、ボクを推薦してくれたエレンに恥をかかせないために、ずっと、ずっと一人で。誰にも頼らずに。

 それが苦しかったわけじゃない。

 ただ……。


「けど最近は違っただろ」


 師匠が足元の資料を拾う。


「妙に浮き足立って、鼻歌歌って料理してたり、研究ほっぽりだしてどっか出かけたり」


 それに軽く目を通してからすぐに興味を失ったのか、ぽいっと元の落ちていた位置に放ってしまう。


「それが、また急に研究バカに逆戻りだ。大方」


 小さな歩幅の躍るような足取りで師匠はボクの目の前まで来ると、その手でボクの帽子を上にずらした。


「男が出来て、そいつとケンカでもしたんだろ」


「な、なな!」


 ボクは防備をはがされて、その急な言葉に狼狽えてしまう。


「おいおい、図星かよ」


「だ、誰が!」


「照れるな、照れるなって」


 なんてこと言い出すんだ、この人は急に!

 確かに、ボクは最近アルのとこによく顔を出してたけど、ボクとアルの関係はそんなんじゃない。


(そんなんじゃ)


 ふと、あの夜を思い出す。ボクじゃない二人の視線が交差した、あの瞬間を。

 そうだ。


「そんなんじゃ、ない」


「……こりゃ重症だな」


 師匠は呆れ顔でつぶやいて、ボクから離れた。

 それから、師匠は小さくため息をついてから、ボクの額にぴしっと人差し指を突きつける。


「いいかロッテ。師匠命令だ」


 おおよそ、師匠らしいことなんて言ったことの無い人が、偉そうにそう言った。


「つまんねえことで悩んでないで、その男をデートに誘え」


 …………。


「はぁ!?」


 一瞬、何を言われたか分からなかった。


「デートだよ、デート。そんでとっとと仲直りして来い」


「だから、違う!そういう話じゃ」


「師匠命令だって言ってんだろ。四の五の言うんじゃない」


「これまで師匠らしいことなんてしたことないくせに!」


「それはあれだ。あたしなりの愛だ。自立した自己を獲得してほしいっていう、親心ならぬ師匠心だ」


「勝手なこというな!」


 面倒なだけだったくせに!


「とにかく」


 師匠は、ボクのことなんてお構いなしに話を進めた。


「もうすぐ精霊祭だ。二人で行って来い。異論は認めん」


 ぴしゃりと、師匠は言い切る。


「横暴だ!私生活にまで口を出すなんて」


「師匠の権限は公使の域を超える。覚えときな」


 それだけ言うと、師匠はこれ以上反論を聞く気はないとばかりに研究室の出口に向かっていく。


「本気で」


 師匠は扉に手をかけながら、こちらを振り向かずに言った。


「本気で嫌なら、強制はしねえよ。だけど、偶には師匠の言うこと聞いといても、悪いことにはならないもんだぜ」


「……ずるい」


 そういう風に言われたら、本当にそれが最善みたいに思えちゃうじゃないか。


「大人はずるいもんだぜ。お前も、いつか分かるさ」


「……年増」


「あ?」


 めちゃくちゃ小さい声で言ったのに、聞きつけられた。ボクは必死で目を逸らして、何も言ってない風を装う。年のことを言うと、師匠は滅茶苦茶怒るのだ。


「今のは聞かなかったことにしてやる。私にしてはごく珍しいことにだ」


 ほっと息を漏らす。この小さな報復はなるべくやらない方向で行こう。


「デート、ちゃんと誘えよ。じゃあ、あたしは行くからな」


 扉を開けて、今度こそ出て行こうかというタイミングで、師匠は芝居がかったような動作で振り返った。


「そうそう、そういえば、ここには用事があって来たの、忘れてたな」


 その表情は、まるで悪戯を成功させた少女のよう。


「用事?」


 嫌な予感がする。


「そ、お前に客だよ」


「誰さ」


「さぁな。あたしの知らん奴だ」


 ニヤニヤと、実に楽しそうな顔をした師匠。


「黒髪で珍しいコートを着た、ハンサムな優男だよ」


「い!」


 まさか。


「図ったな!」


 全部知ったうえでからかってたのか!


「くくく。下のロビーで待たせてある。とっとと行ってやるんだな。後は部屋に連れ込むなり、町でしっぽりいくなりご自由に」


 ふわりと、栗色の髪をかきあげて去っていく師匠。


 本当に、大人ってやつは汚い!



 急いで研究棟の階段を下りながら、一人呟く。


「なんだよ」


 少し許せないことがあった。

 ボクの方からせっかく距離をとったっていうのに、だ。


「なんで来たんだよ、バカ」


 だっていうのに、なんだか嬉しいボクが、ごまかしようもなくそこにはいたんだ。


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