第36話 魔術師達の憂鬱
『あなたがどうしようと、私は、決して!』
……やめろ。
『大丈夫だ、エレン』
やめろ……!
『また、仲間に……』
「やめろぉぉぉぉ!」
伸ばした右腕が空を切る。
「ハァ、ハァ、あ」
酷い汗だ。それに、軽く眩暈もする。
「……畜生」
また、あの夢。
「最悪だ」
体を起こして右手で顔を覆う。
あれから、時々あの光景を夢に見る。
油断した時を見計らって、不意にあの光景がよみがえるのだ。少しずつ、俺の心を弱らせるかのように。
「?」
ふと、右手に違和感を覚える。なんというか、直接的に動きが悪いわけでは無いのだが、どことなく感覚がいつもと違う気がした。
「気のせい、か?」
だが、すぐに手の違和感も消えた。これなら問題もないだろう。
「……このままいけば、いつかは駄目になるって分かってるのにな」
あれが俺の未来の姿なのだとしたら、俺の右手はいつか壊れる。
その時は、思っているより近いのかもしれない。
「やめだ、やめ」
義体に関しては出来うる限りのメンテナンスはこまめにすることにしよう。
それよりも、今は。
「腹が減った」
燃費だけは、どうしようもない問題だ。
幸い、依頼が多いおかげで飯に困るような状況には陥っていない。
「ああ、そういえば」
今日は、この後新しい依頼主の所に出向かなければいけないんだった。
あの夜会の日からこっち、あのパレードを見た、またはその評判を聞きつけた偉い連中からの依頼がひっきりなしだ。
そして、もう一つだけ気になることが。
「…………」
俺はキッチンの扉を開ける。
『遅いよ、アル!』
当然、キッチンの中は無人で、そんな言葉が飛んでくることもなかった。
あの日から、ロッテは俺の前に顔を出していない。
前はなんだかんだと理由を付けて、ひっきりなしに飯をたかりに来たというのにだ。
「研究の方が忙しくでもなったか」
元々、暇な方がおかしい立場の人間だ、あいつは。
それこそ、こんな場所に頻繁に来てる方が不自然だった。だから、これは。
「当然、だよな」
俺は適当に見繕ってきた食料で腹を満たすだけの食事を済ませる。少し味気ない気がした。
ロッテは、今頃何をしているのだろうか?
この国の冬は長い。
「……寒いなぁ」
暖炉の火を見つめながら思う。
あのスラムの町で、精霊を抱いて眠った日々が、まるで遠くのことのようだ。
「……なんだかなぁ」
なんとなく、アルの作る食事が恋しかった。
急に会いに行ったら、変かな。
「……だめ、だよね」
ボクにとって、アルもエレンも大事な人で、恩人だ。
なら、あの二人の間に入っちゃいけない。
あの夜、ボクとアルは二人でエレンに一つの贈り物をした。だけど、きっとそこに、ボクは必要なかったんだ。あの時、視線を合わせただけで通じ合ったアルとエレンを見て、そう思ってしまった。
なら、さ。
「ボクなんかが邪魔しちゃ、だめ、なんだ」
それが、ボクの出した結論。
だっていうのに、今ボクはコードの研究に明け暮れている。本来の研究をほっぽり出してまで。
「未練、なのかな」
これが完成したら、アルに報告しないわけにはいかない。
理由なく会いに行っちゃいけないんなら、その理由を作ろうとしてるだけなんじゃないだろうか?
答えは、自分でもわからない。
「それでも」
ボクは火の始末をつけて、研究用のローブに袖を通す。
その完成は、もう間近にまで迫っている。
「神様」
ボクはいつから、こんなに弱くなってしまったんだろうか。
「ボクに勇気を」
「遅いな」
無駄に豪奢な応接室に通されて、俺は新たな依頼主の来訪を待っていた。
この国において、音楽は神や精霊に捧げるものとしての側面が強い。あるいは、宮廷の人間、貴族の嗜みとしての音楽が存在するくらいだ。要するに、芸術としての音楽は、まだまだ発展途上という段階である。
そして、そんな場所に急に発展した音楽を放り込んでも、上手くはいかない。
俺の仕事は、依頼主に会い、その求めるレベルのモノを提供することだ。なので依頼主との意識の擦り合わせはとても重要なことだと言える。
だというのに。
「いつまで待たせるんだ」
かれこそ三十分以上も待たされている。貴族という奴は自分勝手なもので、悪くすれば、このまま帰される心配すらあった。
そうなればとんだ無駄足を踏まされたことになる。
(そうなったら適当な曲を送りつけてやる)
それこそ、三流作曲家が酔っぱらって作ったようなやつをデータの底の底からから引っ張り出してでも……。
「失礼いたします」
俺の思考を中断したのは、軽いノックの音とそんな悠長な言葉だった。
「主が、お見えになりました」
そう言って扉を開いたのは、俺をここまで案内してくれた執事だ。
そしてその後ろに控えていたのが……。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
主従の位置が入れ替わり、その人が俺の前に姿を現す。
「政務が立て込んでしまいまして」
意外だったのは、その人が、姫さんと同じくらいの年ごろの、清楚な淑女であったことだ。
「いえいえ、お気になさらず」
俺は内心の動揺をおくびにも出さずに彼女に応じる。
「そう言って頂けると気が楽になります。それでは、失礼して」
彼女は、たおやかな表情と仕草で俺の正面に腰を下ろす。その姿を見て、俺はなんとなく既視感を覚える。
(姫さん?)
彼女は、どことなく姫さんに似ている気がした。容姿だけ見れば、姫さんとは大きく違う。
姫さんの黒髪に対して、彼女の髪は長さは同じくらいでも鮮やかな赤色をしているし、顔の造形もまだ少し幼さを残していて、美人というよりも可愛いといったほうがしっくりくる。
それでも、雰囲気のようなものが姫さんにどことなく似ている気がするのだ。
「申し遅れました」
赤毛の彼女は、ふわりと華のように一礼する。
「わたくしは、カレン・ノースフェルトと申します。以降、お見知りおきいただければ幸いです」
「あ、ああ、俺は」
「アルフレッド・オディナ様ですよね。存じております」
先に言われてしまった。そりゃ、名指しの依頼主なんだから当然か。
「今後とも、よろしくお願いしますね」
カレンは、友好的な笑みを浮かべて、ごく自然に右手を差し出してくる。俺は、少し戸惑いながらもその手を取って握手を交わした。
挨拶もそこそこに、話は依頼についてに移っていく。
「今回、アルフレッド様にお願いしたいのは、ある方に贈るための曲を作って頂きたいのです」
贈り物ときたか。
まぁ、珍しい依頼ではない。俺の国ではそういう習慣は無かったが、この世界では「曲」というものは一般的な贈り物の範疇なのだ。
「もうすぐある人の誕生日なんです。その日は、特別な日で。それで今回、私はその人に素敵なプレゼントをしようと思いまして」
「それで、俺に依頼を」
「はい。……お願いできますでしょうか?」
「勿論です」
可愛い依頼主様からの上目づかいに、俺は努めて明るく返答する。
「それで、曲を贈るお相手はどういった人で?」
誰が、どのような曲を好むのか、それはあらゆる要素で変わる。年齢、性別、趣味、そういった事柄から相手が喜びそうなものを選び、それをこの世界の楽譜に落とす必要があった。
だが、次に出てきた言葉は、ひどく意外なものだった。
「その人のことを、アルフレッド様も御存じですよ」
「俺が?」
おかしいな。異世界からの来訪者である俺には、この国での知り合いなどそう多くは無い。せいぜい、姫さんやロッテ、カークにセツカの共に旅をした人たちと、これまで依頼を受けた貴族連中くらいだ。
「それはですね」
ゆっくりと、彼女はその名前を告げる。
「エレオノーラ・フォン・クロイツェル皇女」
その名前を聞いて、俺は目を見開いた。
「なんで、それを」
俺とエレンが知り合いだと、何故。
「……私も、あの夜会に出席していたんです」
恥ずかしそうに、はにかんだ表情で俺を見る。
「素晴らしいひと時でした。幻想的で、美しく、まるで、夢のような……。それで私、すっかりアルフレッド様のファンになってしまって」
「それは」
こう、正面から言われてしまうと、少しばかり罪悪感に駆られる。あれは、所詮他人が作ったプログラムを勝手に使っているだけだ。それを、こうまで言われるなんて。
「光栄、ですね」
だが、今の俺はそう答えることしかできなかった。
「アルフレッド様とエレオノーラ皇女は親しい間柄のようですので、きっとエレオノーラ様にあった素敵な曲を作っていただけると思いまして、それはきっと、どのような高価な宝石よりも価値があると――――」
続いてカレンから出た言葉は、俺を過剰に評価したような言葉だった。
「…………」
少しばかりの居心地の悪さから二の句を継げずにいると、カレンが心配そうな表情で俺の顔を覗き込む。
「あの、私なにか失礼を……?」
「あ、いえ、そんなことはありませんよ」
俺は自分の不覚を恥じつつ、なんとか取り繕う。
「あの、もしも」
そんな俺の様子を見て、カレンは申し訳なさそうに言った。
「もしもなんですが、御都合が悪いようならば、今回の依頼は断っていただいても構いません」
ああ、よくないなぁと、そう思う。こんな風に相手に気を使わせるなんて。
「大丈夫です」
俺は冷静を装って、そう返答した。
「今回の依頼、是非やらせて下さい」
「まぁ、本当ですか!よろしくお願いします!」
その場が華やぐような嬉しそうな声で、カレンはそう言った。
「では、日程と依頼料の話を……」
最初から舐めていたわけでは無いが、それでも改めて気合を入れて仕事をしなければという気持ちになった。
そして、知らなかった姫さんの誕生日。出来うるならば、俺も。
(何か)
とりあえず、今度ロッテに姫さんの誕生日のことを聞きだす必要がある。
手土産でも持って、あいつの所に出向くのも、まぁやぶさかではない。
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