第4話 悪役令嬢は吠え立てる

「――ユーリ・ヴェイル」


 左右を一直線に切り整えたボブが、振り向きざまに広がる。


「……ぁ」


 息を呑む。ユーリの顔が強ばった。不味い、と硬直した身体全体が物語っている。

 が、それも一瞬。


 男爵令嬢は、頭を垂れ、最敬礼を行った。沈黙に怯えず、顔を上げる。持ち前の胆力でよそ行きの微笑みを浮かべた。


「ご機嫌よう、リッシュモンド様」


 固い笑みであるのは、圧倒的に不利な立場であると自覚しているからだろう。身体の節々に緊張が見受けられるが、彼女の舌先はよく回る。


「本日も大変煌びやかでいらっしゃいますね。この舞踏会に参加する誰も、リッシュモンド様の華やかさに勝ることはできないでしょう」


 レースやフリルや宝石に目をやり、ユーリはどこかうっとり――いや、にんまり微笑んだ。


「贅を費やしたそのドレス、……いくらかかっているのか知りたい……」

 男爵令嬢は口内のみでそんなことを呟くが、怒り心頭のバネッサには届くはずもなかった。

 むしろ、自らに億さず、賛辞まで向けてくる相手に苛立ちを募らせる。


「殿下と一体何を話していたのです?」


 ぱっちりした眦を釣り上げ、ジャブを打つ。ユーリよりも小柄なバネッサであるが、その迫力と権力に並の令嬢であれば座り込んでしまうほどだ。

 けれど、ユーリは悠然と佇んでいる。詰問に対して、ことさらゆったりと答えた。


「冬季休暇の課題のことです」


 用意していたように、滑らかに舌を動かす。


「あたしは平民出身ですから、お優しい殿下が課題が進んでいるかを気にかけてくださいました」

「こんな夜、舞踏会の最中に二人っきりで?」

「はい、その通りでごさいます」


 平然とした回答に、バネッサが奥歯を噛んだ。重厚なドレス生地を鷲掴むから、ドレスに大きな皺がよる。


「殿下がわたくしの婚約者だと、当然知っていますわよね」


 悪役令嬢は、扇で自身の手の平を叩いた。軽い破裂音が鞭を想起させる。バネッサの苛烈な噂を鑑みれば、それがいつ現れてもおかしくないのだ。


 にもかかわらず、ユーリは涼しい顔――バネッサから見て――で膝を着いた。男爵令嬢は出来うる限りの謝意を表明する。


「婚約者がいる方に対して、行うべき振る舞いでなかったことは重々承知しております。いかなる誹りを受けても、申し開きができません」


 頭を垂れる彼女に、バネッサはヒールを床に叩きつけるようにして近寄る。


「……なぜ、なぜ、あなたに……!」


 縦巻きロールを振り乱し、金切り声で問い詰め始める。


「エドワード殿下が笑いかけるのです……!」

「…………え、笑いかける……? 殿下、表情を変えていましたっけ……?」

「課題の話なんて嘘ばっかり、話しなさい! どんなことを言えば、殿下は微笑みを浮かべてくださるのですか!」


 感情の噴出するまま、ユーリに当たり散らす。先ほど押さえ込んだ涙が、再び溢れてきそうだった。ずるい、ずるいと地団駄を踏む。


「わたくしにだって、めったに笑いかけてくださらないのに……ッ」


 八つ当たりを受けるユーリは、その叫びに眉を下げた。気の毒げに、公爵令嬢を見上げる。その動作から敵意は見受けられないのだが、逆上するバネッサが気が付くわけもなかった。


「リッシュモンド様、あたしは、ただ、ちょっと相談を受けていただけですから」

「……殿下はどんなことを、あなたに」

「リッシュモンド様に関するお話です。内容を話すことはできませんが……、もうすぐ殿下自身がお伝えになると思います。しばしの辛抱を」


 じろり、と冷めざめした視線がユーリを貫く。バネッサの機嫌次第では、男爵家の首など飛ぶかもしれないのだ。

 なのに、秘密保持契約でも結んでいるような頑なさで、ユーリは言葉をつぐんだ。


「リッシュモンド様の不利益になることではございません、どうか」

 


 ――ああ、だから、この女は早く潰しておきたかったのに…………ッ!!



 胸の内が荒れ狂うバネッサは、この令嬢のこういうところが嫌いだった。どれだけ声高らかに詰め寄っても、冷静な態度を崩さない。地位や美貌で威嚇しても、いつだって臆することなく前を向いていた。学園でだって、殿下やその男友達と机を囲み、何かの議論を戦わせる様を何度も目撃している。


 だから、バネッサは日々彼女に嫌がらせをしてきたのだ。世間から悪役令嬢と呼ばれるのも当然だと、バネッサ自身も諦めていた。いけないことだとは認識していたが、自ら手を下すいじめをやめなかった。


 バネッサにとって、ユーリが、ユーリの目がこの上なく腹立たしかったからだ。バネッサでは見えないものを見つめて、見定めて、何かを見出している。 瞳にある揺るぎのない信念は、政を思案するエドワード殿下に、どこか似ていた。

 だから、嫉妬した。


「…………わたくしは……相談なんてされたこと、ありません、のに……」


 だって、バネッサは頼りにされる彼女が羨ましくてたまらない。


「わたくしが殿下に呼ばれても、お茶会をして帰るぐらい。わたくしが一方的にお喋りして、殿下は相槌を打ったり、わたくしを見たりするだけ。なぜ、男爵令嬢ごときと言葉を交わすのです……ッ」

「それは殿下が悪いですね……婚約者を不安にさせて……」


「殿下を侮辱なさるおつもりで?!」

「いえ、そうではなくて、リッシュモンド様に同意しただけで……」

「不敬ですわよ。どんなに些細なお話しでも、殿下は頷き、数ヶ月後まで覚えていてくださるのですから!!」

「惚気はちょっと……そういったものへの対応は契約外でして……」


「訳の分からないことを言わないでくださいませ! これだから、商家上がりの男爵家は! ちょっと金勘定が得意だからって、いい気になって!」


 咄嗟に浮かんだ文句が、頭の中にリフレインする。


 金勘定が得意。赤字経営だった男爵家の領地を建て直したのもこの娘だと、バネッサは聞き及んでいる。


 なら、と悪役令嬢の思考が急回転して。

 ぽつりと誰かの囁きが聞こえた気がした。

「そんなに有能な女なら、妃に相応しいと言い出すかもしれない」なんて。

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