第3話 悪役令嬢は恋敵に噛み付く

 殿下の居場所を問う声は、悪役令嬢らしからぬか細さであった。


「バネッサ様は、エドワード殿下をお探しでいらっしゃるのですね」

「ええ、パーティーの始まりの乾杯のときに離れてから、顔を見ていないのです。外廊も巡りましたが、見当たらず……」


 きゅっと唇を噛み締める様は憂いを帯びていた。


「ねぇ…………殿下を知りませんか?」


 その台詞が、単に居場所を尋ねる意図だけではないと、取り巻きは察する。

 バネッサが知りたいのは、エドワードの内心なのだ。


「お力添えできず申し訳ありません、ですが、」


 侯爵家の娘ごときでは殿下の心中を察することは出来ない。取り巻きはそう身の程をわきまえていたので、バネッサに謝罪する。

 けれど恋する乙女心を案じて、属する派閥のリーダーを慰めた。


「殿下のお隣に相応しいのは、公爵家のバネッサ様ただお一人です」

「男爵家の鼠が、何やら殿下にまとわりついているようですか、バネッサ様が気になさることはありませんよ」


 悪役令嬢に与する彼女は、畳み掛けるように断言した。彼女の生家がリッシュモンド家に頭があがらないのも理由であったし、派閥争いに負けるわけにはいかない事情もある。


 現在、社交界の話題は「侯爵家と男爵家のどちらが、王家の寵愛を受けるか」である。

 バネッサの恩恵にあずかってきた取り巻きは、家のためにも、彼女の恋を応援する意味でも、殿下と結ばれてもらいたいのだ。


「もしかすれば、エドワード様は三階のバルコニーにいらっしゃるのではないでしょうか? 殿下はあそこから国を見渡すのがお好きだと、以前教えてくださったのではありませんか」

「そう、そうですわね、まだそこには向かってませんでしたわ。行ってみます」

「差し出がましい申し出ですが、着いて参りましょうか?」

「不要ですわ。今夜こそ、ユーリ・ヴェイルとの関係をお伺いいたしますの」


 バネッサは随行をすげなく断る。お伺いとは言っているが、殿下につもりであるため、二人きりのほうが都合いいのだ。


「それは、良きことですね。バネッサ様の正当性は世間に認められなくてはなりません」


 全面的な同意に、バネッサは細い顎をツンと持ち上げて応じる。


「ええ、公爵家のわたくしこそが殿下の婚約者ですもの」


 その笑みときたら、扇では隠しきれないほど傲慢さに満ちている。されども、

かぐわしき薔薇のような美であった。





 バネッサは、階段を一人で登る。常ならば取り巻きやメイドがいるが、殿下と話したい内容が内容なだけに、単身で歩んでいた。


 魔法でステンドグラスが照らされる踊り場をすぎ、三階に到着した。バルコニーへ繋がる扉を開けようと、窓ガラスに近付く。


 外が暗いため、ピンク髪の縦巻きロールが映り込んだ。ドアノブを掴んだ指先は小刻みに震えている。一度手を離して、深呼吸した。豊満な胸を膨らませ、それから全て吐ききる。ガラスを鏡代わりにして、前髪を整え、スカートを撫で付ける。


 殿下に相まみえる前に、バネッサはいつも身支度を調えた。「好きな人の前には少しでも愛らしくしたい」という乙女らしいいじらしさだ。


 ただ、今回ばかりはそれが悪い方の作用した。

 窓硝子に顔を近づけた拍子に見えてしまったのだ。

 ――殿下とユーリ・ヴェイルが二人きりで密会している現場を。


 あまりの衝撃に、桜色の唇は悲鳴さえ漏らせなかった。

 バネッサ様が早くも裏切られた気分に染まる間も、二人は会話している。


 室外であるため、どんな内容を話しているかは分からない。殿下はいつも通り無表情であったが、男爵令嬢は身振り手振りを盛んに行っており、興奮しているようだった。 


 どうやら、話の主導権はユーリが持っているらしい。彼女が手の平を見せれば、殿下が首を振る。指を四本立てれば、殿下は思案した。少し間が空いて、ユーリが三本指を突き立てれば、……殿下が頷く。


 男爵令嬢は顔色をパッと明るくして、学園で見せたことがないほど眩しい笑顔を浮かべた。殿下は穏やかにそれに応対し、二人が固く握手する。


 そして、エドワード殿下が口元を微かに緩めた。国王夫妻でも分からぬであろう表情の変化だったが、バネッサにならば分かった。


 何しろ彼女は幼少のみぎりから彼を愛し、現在は四六時中密偵を張り付けてさせているのだ。誰よりも、エドワードのことを知っている。知っているはずだったのに、とバネッサの思考が止まる。


「……殿下が、ユーリ・ヴェイルに、笑いかけた……?」 


 彼は表情の変化が乏しい。婚約者であるバネッサにも、ほとんど顔色を変えない。その度合いといったら、バネッサが「むしろ、わたくしの前でこそ無表情を貫いていらっしゃる」と思い悩むほどだ。


 だから、公爵令嬢は愕然としていた。

 十数年交友を重ねた自身よりも、たかだか数ヶ月学園生活を共にした女に微笑みかけるのか、と目を見開く。

 バネッサを置き去りにしたまま、続いて彼の唇は「これで婚約の準備が進みます」と動いた。


「……いや、だめ、ですの」


 見ていられなくて、バネッサがよろめく。束ねられたカーテンの脇に背を委ねて、打ちひしがれる。泣き出しそうな自身を律しようとして、扇を強く握り締める。それでも、目の奥が熱くてたまらなかった。


 ぎぃ……とバルコニーの扉が開く。出てきたのは、エドワード殿下一人だ。彼にして珍しく、警戒が疎かになっているようで、陰にいたバネッサには気が付かなかった。階段を降り、大広間へ戻っていく。


 悪役令嬢はその背を見送るしか出来なかった。押し殺した息で、喉が痛んだからだ。いや、声が自由になっていても、呼び止めはしなかっただろう。


 だって、バネッサが考えていることには、目撃者はいないほうがいい。

 いつも通り、殿下の目には入らないところで、速やかに終わらせなくていけない。

 

 悲しみが怒りに変わる。悪役令嬢から憂いが消え去り、夜叉のような目になった。


 もう一度、扉が開く。スキップしだしそうな足取りでが飛び出しきた。階段に向かって行く彼女に、バネッサは呼び掛けた。


 「――ユーリ・ヴェイル」と地に唸るなような声音で。


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