第2話 悪役令嬢は舞踏会に登場する

 悪役令嬢の転落“事故”から巻き戻って、1時間前。


 城内の大広間では王家主催の舞踏会が行われていた。シャンデリアは光の魔法で煌々と輝き、来賓のドレスやタキシードを明るく照らしている。


 この場にいるのは、国内の貴族達だ。普段は領地にいる者や、王立学園で過ごす者も招待され皆が思い思いの談笑にふけっていた。

 有力者が一堂に会する社交界となれば、外が常闇に包まれているとは思えぬほど活気に満ちる。


 たとえば、広間の立食テーブルではワインを片手に有益な情報交換が行われているところだ。

 とある男爵家が金脈を掘り当て、金回りがよくなっているから、おこぼれに預かりたいものだ。

 そんな冗談のようにみせかけて嫉妬を口にする貴族もいれば、片隅で扇で口元を隠してお喋りに興じる乙女達もいる。

 開放的な雰囲気に押され、彼女達の冷やかしまじりの噂話が盛り上がっていた。


「ねぇ、聞きました? リッシュモンド様とヴェイル家の元平民のあの話」

「ええ、聞きました。ユーリ・ヴェイルが殿下と急接近しているから、リッシュモンド様はもうお怒り。彼女を見る目は、嫉妬で燃え盛っていますもの」

「リッシュモンド様は公爵家の権力を使って、殿下の“ご友人”を排除なさってきましたもの、今回もきっとそう」

「お可哀想な男爵令嬢」


 くすくすくす。冷ややかでいながら、面白がるように笑う。言葉通りユーリを哀れんでいるわけではなければ、バネッサを慮っているわけでもない。


 自分達よりも高位な令嬢が、平民上がりのネズミに手を焼いているのが楽しいのだ。学園に在学する齢であれば、弱いものが痛ぶられるショーを無邪気に喜ぶ残忍さも持ち合わせていた。


 次なる噂話に移ろうと、口を動かしかけたとき、場が止まる。フォークを持ち上げようとしていた老紳士も、ダンスの申し出に応じていた女性も、皆が皆が立ち止まって一方向を見た。


「バネッサ・リッシュモンド様だ……」


 少年が小さな声で呟く。物語の登場人物にあったような驚きで、語尾が空に消えていった。


 姫がいないこの国で、最も高貴な乙女が社交界に現れる。公爵令嬢はヒールをコツンコツンと鳴らして歩んだ。命令するわけでもなく人波が自然と掻き分けられた。眼差しひとつ向けられたわけではないのに、彼女のオーラで圧倒されたからだった。


 先程まで口が回っていた令嬢達は、やや面を下げ、空気に徹している。「どうか聞こえていませんように……ッ」と、扇を握りしめながら祈った。


 広間に登場しただけで、皆を釘付けにした公爵令嬢バネッサ・リッシュモンド。この国で知らぬ者のいない最有力貴族であり、殿下の婚約者である。


「…………」


 彼女は周囲のざわめきなど気にせず、最奥に歩んでいく。テーブルの隣を過ぎ、踊っていた者達が開けた道を進んだ。けれど、優美な動作で足を止める。広間の片隅に、蔑んだ目を向けた。


「物言わぬ花ならば壁で咲くことを許しますけれど、」


 その甘く高い声は聞く者の庇護欲を掻き立てる。


「うるさい花は剪定してしまったほうがいいと思いますの」


 その内容が、死刑宣告に似た脅迫でなければ。


 言い忘れていた。これが、彼女を語る上で最も重要な要素。バネッサ・リッシュモンドは悪役令嬢なのだ。恋敵を社交界から追放してきたほどに、彼女は殿下の愛を得るためならなんだってしてきた。


 お喋りな花達は舌を回すことも出来ずに震える。バネッサは青ざめた様子を見て、興味を失ったように視線を外した。玉座までまた歩んでいく。


 脇目も振らずにいるその横顔は、美しく華やか。今夜とて、トレードマークの縦巻きロールがしっかり決まっている。

 髪型だけでなく、纏う全てが一流品だ。

 職人がひと月かけて編み込んだレース。

 東方から取り寄せた純白のフリル。

 遠目から見ても輝く大粒の宝石。


 一つ一つが主役級の逸品であるにもかかわらず、それらを贅沢に身に纏う。

 それほど飾り立てなければ、バネッサの華やかな顔立ちに衣装が負けてしまうのだ。


 公爵家の立場と華美な装飾、恋に苛烈な性格ゆえに、彼女には悪い噂も湧きやすい。


 国民達の間で流行った恋愛小説―愛を求めて暴走した公爵令嬢が、平民の乙女に妃の座を明け渡す話―は、バネッサをモデルにしているとまで噂される始末だ。その話に準えて、裏では悪役令嬢などと呼ばれている。


 恵まれた者は、人一倍羨望と嫉妬を身に浴びるのである。


「…………バネッサ様」


 一人の侯爵令嬢が、淑やかに駆け寄ってくる。羨望のほうを向けてくる、バネッサの取り巻きの一人であった。

 歩み寄り、すぐそこまで接近すると背を伸ばす。恭しく最敬礼を行う。


「バネッサ様、ご機嫌麗しゅう」

「……ご機嫌よう」

「この国で最も美しい貴方様にお会いできて嬉しゅうございますわ」

「ええ、そう、ありがとう」


 バネッサはそっけなく返事をする。心ここにあらずといった様子に、取り巻きは首を傾げた。


 いつもの彼女ならば、賛辞を受けれたとき、誇らしげに高笑いするはずだ。「もっと!」と要求することもなく、バネッサはきょろきょろと周りを見回している。


「どうされましたか?」

「…………殿下はいずこか知りませんか?」

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