第5話 悪役令嬢は一途に告白する
「婚約破棄などさせません…………!」
その後の展開はあっという間だ。嫉妬から、男爵令嬢に喧しく当たりつける。恋敵だと思い込んだ彼女を突き飛ばそうとした。そして、自分がつまづいて階段から転落しかける。
こうして場面は、殿下が悪役令嬢を抱きとめた瞬間に接続する。彼らのファーストキス、一分前であった。
バネッサは、身体は殿下の腕の中にありながら、思考を夢の中に漂わせたままである。
「殿下に抱き締められるなんていつぶり…………最後に幻でも殿下にお会いできてよかった……」
その悲しげな声は、涙ぐんでさえいた。婚約者に抱き留められた幻覚を見ていると、勘違いしているらしい。
階段から足を滑らせただけで、頭も打っていないのにもかかわらず。
感受性が豊かであることと、殿下への愛が強すぎたことの弊害が如実に現れていた。
「走馬灯ってこんなものなのですね………」
「…………それは違うと思いますけど……」
感極まる公爵令嬢の呟きに、ユーリはぼそりと訂正を入れる。当然だが、意識がお花畑に飛んでいるバネッサには届かないし、彼女をさらに強く抱き締めた殿下にも聞こえていない。
エドワードは、バネッサを支えながら、口元を心なしか動かした。一直線だった唇の端が、三度ほど角度をつける。そんな程度の変化であるが、それがバネッサが言う「エドワードの微笑み」であるのだ。
エドワードは、自分を律しきれずに笑ってしまっている。呆れとも安堵ともとれない笑みだった。
「……不注意はいけませんよ、バネッサ。階段で口論なんてしては危ないでしょう」
彼の諭す声に温度はなく、一定のトーンである。
エドワードは叱りつける二の句を継ごうとして、擦り寄ってきた頬に遮られた。
そっと……生まれたばかりの子猫がじゃれつくように胸板に顔を寄せた。
「ああ……殿下はなんとお優しい……わたくしの身を案じてくださる……」
もちもちの肌が、殿下のサコッシュに触れて、やわらかく変形する。悪役令嬢はこの際、普段からやりたくてできなかったことを解消しているようだった。
「ああ、死ぬ前に殿下に、想いを伝えておけばよかった……」
陶器のような頬に、はらりと涙が伝う。
この令嬢は、ほんとうに、ほんっとうに、思い込みが激しかった。
一筋、二筋と涙を零す。躊躇しながら、殿下の背中に腕を回した。上着に、マゼンタ色の爪を立てる。夢だと思っていても、殿下を離したくない思いがありありと表に出ていた。
「殿下の周りの女性を、追い払うなんてことよりも、こうやって抱き着きにいけばよかった」
死んだと思い込むバネッサは後悔を口にする。
「ただ殿下が大好きで、大好きで…………悪役令嬢って呼ばれるぐらいになってしまったのに……、ちょっとした嫉妬が、原因だったのに……」
空気になっていたユーリは、それを聞いて複雑な表情を作る。自分の行いを矮小化していることに引っかかるのと、こっちに当たるぐらいならあっち(本人)に言ってほしかったからだ。
「…………それは反省してください、本当に」
殿下は重々しく頷き、額にかかる前髪を掻き分けてあげる。
そうですよ、そう……と、男爵令嬢は彼を肯定した。賠償金の算段でもつけてくれるのかと、ユーリはほくそ笑む。
なのに「ですが」と殿下は涼し気な声で話を変えた。
「夢でさえ、僕を想ってくれるのですか……?」
もっと身を引き寄せて、バネッサの耳元で囁く。
「…………だめだ、殿下のほうもまともじゃなかった」
額に手を置いて、ユーリは身体の向きを変える。他人のイチャつきを見たって、一銭の得にもならないからであった。
「…………そのドレスも、僕のために選んでくれたのでしょう」
「え……? …………え、……え?」
バネッサが、同じ平仮名を繰り返す。バネッサのまなじりがつり上がっていく。
彼女は、抱き着く殿下が本物で、目の前の光景が現実だとゆっくり理解していくようだった。
ピンク色の髪よりも、顔を赤く染める。羞恥とパニックで逃げ出そうともがいた。
「だめです、バネッサ」
彼女の抵抗をものともせず、殿下は抱き締め続ける。
「暴れると落ちます。動かないで」
囁きながら、婚約者を持ち上げる。その刹那、バネッサは浮遊感に包まれた。お姫様抱っこだ。
「あ、あ…………ッ!! だめですの、重いですの!」
「羽のように軽いですよ」
「ふぁ…………ッ」
乙女ならば一度は憧れるシチュエーション。
バネッサも例外ではなく、というか彼女の理想ど真ん中の行動である。
あわあわと言葉が出ないバネッサを、すっぽりと抱き締めた。失うかもしれなかった温もりを、殿下はぎゅうと確かめる。
「言い逃げなんて、許しません」
「だって、だって……殿下は、あの令嬢、ユーリ・ヴェイルがお好きなのでしょう!」
バネッサが叫ぶ。髪先のカールが、拒むようにちらちら震えていた。泣きじゃくっていたにもかかわらず、まだユーリを睨む元気はあった。
「わたくしは邪魔なのだって、わきまえていますもの!」
殿下を見上げる瞳は、悔しそうに燃えている。昂りがありありと湧き上がっていた。
「でもだって、誰を蹴落としてでも、どれだけみっともなく足掻いても、貴方の妻になりたい……!」
五歳の子供よりも感情を露わに、不器用で姦しくてもストレートに。
そして、自分の醜さを嫌うように、恋に生きる図太さを誇るように。
「わたくしは、そういうおんな、なのですもの」
悪役令嬢は誰よりも一途な告白をした。
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