第5話「だって人は殴っちゃいけない」

 2012年 5月22日 14:05 七小路小学校 放課後


 この日のことはいまだに覚えている。小学生になって新しい人間関係が始まり、知らない子ども達との関わりが一気に増える。

 小学生に上りたての子どもなんて今まで携わってきた環境がもろに子どもの素振り態度に現れる。

 莉乃はいじめっ子達の標的になっていた。きっかけは本当に些細なことで髪留めが変にオシャレだからという理由でちょっかいをかけられていた。


「あーーい!!髪留め取ったりぃぃ!!」


「やったね!かっちゃん!!こいつにこんなオシャレなやつ似合わないよね!!」


「か、返してよぉ!お母さんに買ってもらったお気に入りの髪留めなの!」


「それが何だよ!また買って貰えばいいじゃん!!俺これももこちゃんに渡して告白するプレゼントに使うから!!」


「さすがかっちゃん!!これでももこちゃんもイチコロだよお!!」


 ……4限目が終わり友達と楽しく和気藹々としながら下校しようとした矢先。いじめの被害に遭ってる現場をリアルタイムで目撃してしまい歩く事をやめる。


「たつき君どーしたの?……ってうわぁかつよし君に完全に絡まれちゃってるよ……かわいそう……」


 髪留めを必死に取り返そうとする莉乃の姿が見ていて居た堪れなかった。同時に沸々と怒りが込み上げてくるのがわかった。

 泣きながら必死に抵抗する莉乃は髪留めを取ろうとした素振りで爪が勝良の腕を掠った。


「っ……!!てめぇいてぇんだよ!!」

 

 勝良が拳を振り上げようとする。見てればそれくらいはわかった。同時に俺はランドセルを放り投げ駆け出していた。


「俺止めてくるよ!!」


「えっ!?やめときなって危ないよ!先生に言った方がいーよ!」


「じゃあひろき君が先生に言ってきて!」


 必死に走る俺、莉乃の前に立ち拳を顔面で受け止めた。


「お前……たつきだったっけか?何すんだよ!」


「お前こそ人の幼馴染に何やってんだよ!!女殴ろうとしてんじゃねーぞ!!」


「別に良いだろ!ムカつくんだよ!そいつ!!」


「てめぇ……!!」


 男達が臨戦体制に入った。二体一かどうかを気にするような人間性は持ち合わせてないようなのでこちらも身構える。


「莉乃はどっか行ってろ!!」


「でもっ!!」


「いいから行け!!」


 ここからは男同士の殴り合い。というわけではなかった。俺は一方的に殴られた。

 だから俺は絶対反撃なんかしてやるもんかって意固地になってた。なんせ今までガチンコの殴り合いなんてなかったからな。いじめも何度かあったがここまで事が大きくなったのは初めてだった。

 

 そりゃ俺だって一発ぐらい殴り返してやりたかった。殴るのが怖かったとかじゃない。俺の中で暴力に暴力で返すという選択肢が当時はなかった。

 だって殴られたり蹴られたりしたらとっても痛いだろうから。その時の俺はひたすら耐え続ける事しか出来なかった。


「もういいよ。そんなに欲しいなら返すよもお!」


「行こう!かっちゃん!!そろそろ先生が来るかも!」


 そういって髪留めを放り投げると勝良達は去っていった。限界が来て全体重が地面へと持っていかれる。倒れた俺を見て陰から莉乃が駆け寄ってくる。


「達樹大丈夫!?」


 大丈夫と即答出来ないくらいにはボコられてしまっていた。少し間を置いてほんの少しの強がりを見せる。


「……ちょっと寝たら……大丈夫……」


「ごめんね……ごめんね……私が髪留め取られちゃったから……」


 泣きながら必死に謝り続ける。やめろ。俺は莉乃にほんの少しも怒ってなんかいない。

 ただ莉乃を泣かせるあいつらは死ぬほどムカつく。でも暴力で返す事はいけない事だと俺の中で染み付いている。

 当時の俺は解決策が見つからず、悶々としたまま保健室で治療を受け、後に自宅へ帰った。


 …………………………

 2012年 5月22日 19:50分 輝世宅


 家に帰ると全身手当だらけの俺をみて母ちゃんが何があったのかと聞いてくる。当然だ。訳を話すと耐えたのは偉いけど達樹がただ殴られるのは間違ってると言われた。

 じゃあ殴ってもよかったの?と聞くと母ちゃんは見るからに返答に困っていた。

 多分母ちゃんも莉乃と同じタイプで人を殴る事に肯定的じゃないからだ。

 

 それから宿題を済ませてゲームや趣味に時間を費やして晩飯の後、自室で暇を持て余していた。

 そんなところにとてつもない怒号と共に仕事から帰ってきた父ちゃんがドアをぶち開けてプライバシーお構いなしに入ってきた。


「ゴラァ!!達樹お前!!全身怪我してんじゃねーか!!おい!!」


「う……うんごめん……怪我しちゃってる」


 俺の父ちゃん。輝世凌牙。イカつい字面をしている。

 サラリーマンらしいけど全然サラリーマンっぽくはない。後強面だ。

 父ちゃんは基本優しい。でも父ちゃんの中の超えちゃいけない一線みたいなのがあってそれを超えたとなると一気にブチギレるっぽい。最後に付け加えると全体的にガサツだ。


「母ちゃんからだいたいの事は聞いてる。達樹お前ちょっと正座しろ」


 いきなりなんだと思いつつもプレイしていたゲームを中断し、渋々正座をさせられる。


「父ちゃん口下手だから簡単に言うぞ。男はなガンガン殴っても良いんだ」


「そ、そうなの……?」


 実の父親から発せられた教育者あるまじき発言に驚きを隠せない。


「逆に何でダメだと思うんだよ」


 これでもかというくらい怪訝そうな表情で見つめてくる。

 俺なんか間違ったこと言ってるのかと不安になるも続ける。


「な……殴ったら相手も痛いかなぁ……って思って……」


「かーーっ!お前優しい子に育ったなぁ!!父ちゃんと母ちゃんの教育の賜物だなこりゃ!!文部科学省に転職しちまおうかなぁー!」


「えっと……つまりどういうこと?」


「父ちゃんは達樹の事を宇宙で一番大切に思ってる」


 真剣な眼差しで父ちゃんは言った。父ちゃんはよく真っ直ぐに普通なら照れてもおかしくない事を堂々と言い放つ。

 今回もそれに該当する。内心喜びつつも俺は気づいたら黙って聞き続けていた。


「それが何だ。意味わかんねーカスみたいな奴にカスみたいな理由でボコボコにされちまってる。大人気ないとか関係ないぜ。そいつの親もまとめてボコボコにしてやろうかと思う」


「そ、そんなのダメだよ!!」


「あぁダメだな。わかってるよ。でもそう思うくらい達樹が痛い思いするのが父ちゃんは嫌なんだ。父ちゃんと母ちゃんにとって達樹は大切な存在だからな」


「じゃあ……殴り返せばよかったの?」


「お前ヒーロー物好きだよな?」


「好き!」


「ヒーローが倒してるのは悪い奴だけだ。でもただ悪い奴だから倒してるわけじゃあない」


「じゃあ……なにを倒してるの?」


「自分の大切な物を傷つける奴を倒してるんだ」

 

「人を思いやり、その中で自分の大切な物が理不尽に傷つけられそうになった時、話し合いが通じないどうしようもない奴に直面したならそうなったらぶん殴る以外できる事はねぇ。

 じゃなきゃこっちがやられる。だからそういう奴に出逢っちまった時は遠慮なく殴ってやれ。そいつの為でもある」


「でも誰が悪いかどうかなんて、俺決めるの難しいよ」


「その辺は達樹の感覚でいい。達樹は優しい子だ。父ちゃんは真っ直ぐ育ってくれた達樹の正義感を信じてる。

 仮に間違った人をぶん殴ったとしてもその時は父ちゃんが土下座でも何でもしてやる」


「そんなの悪いよ!」


「ガキが一丁前に親に気を使うな」


 ピンっと軽くおでこにデコピンをくらいたじろぐ。


「父ちゃんも母ちゃんもな。達樹には元気でいて欲しいし怪我なんかしてほしくない。

 でも何より、お前は自由に、やりたい事を全力でやり切って欲しい」


「お前の知らない色んな世界は父ちゃん達がいっぱい見せてやる。その中でお前の大事な物を何か一つでも見つけろ。その大事な物がお前が体張ってでもやらなきゃいけない事だってんなら俺は止めねぇよ……母ちゃんはどうか知らねーけどな」


「バカでもアホでもなんでもいい。人様に迷惑かけなきゃいい。」


「元気に長生きさえしてくれりゃ、俺たちはそれだけで満足だ」


 …………………………


 父ちゃんはそれから色んな所へ俺を連れて行ってくれた。子どもが関心を持つような所はだいたい行ったと思う。

 テーマパーク、動物園、遊園地。美術館とかも行った。習い事も幅広くやらせてくれて色んな物を俺に教えてくれた。

 だが父ちゃんは1年余りで行方不明になってしまった。

 別に今更恨んだりはしてない。ただ母ちゃんすっぽかしてどこほっつき歩いてんのかとは思う。

 考えてもこのモヤモヤは晴れる事はない。大好物のクリームシチューを一気に平らげ、夜も遅いのでそのままベットにダイブし寝る事にする。例のあの夢もどうせまた見るだろうが。

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