第2話「兆候・弐」

2023年 5月23日 8:40

 眠い目を擦りながら今日もかったるい授業を受けるために教室へと入る。

 すると眼前に広がっていたのはこの世の全てに絶望してますとそんな圧を全身から醸し出している友達の姿があった。

 

「ど、どうした?朝っぱらからなんかあったのか?」


 話しかけるも返事がない。見るからに虚な卓夫からは生気が微塵も感じられなかった。

 毎朝そこらのヤンキーがたじろぐ程の活発さでだる絡みしてくるのが日常だった卓夫がここまで落ち込んでるのを見る事は滅多にない。

 流石に心配に思い逆方向から顔を覗き込んでみる事にする。


「!!」


 卓夫は下唇を必死に噛み締め、必死に涙を堪えていた。目元には大粒の水滴がこれでもかとある。

 優しく語りかけて事情を聞き出すことにした。


「なんかあったなら教えてくれ。俺達友達だろ」


「達樹殿……」


 重い口をようやく開いてくれた。

 昨晩突如としてけいちゃんに彼氏疑惑のスキャンダルが出たらしい。

 第三者の盗撮によるものでがっつり男とホテルに入っていく様子や二人でディナーやカラオケに行ってる様子が激写されているものだった。

 0時からリンスタライブの予定だったらしいが何もなく、数分だけリストカットの画像だけを載せたストーリーを載せて今は全く音沙汰がないらしい。

 事情を知った上でも軽い慰めしかしてやることが出来ないまま一限目が始まる。最早俺まで上の空だ。

 アイドル文化に疎い俺は卓夫に適切な助言をしてやることができなかった。

 なんとなくは想像がつく。自分に当てはめて考えてみて自分の好きな女が実は彼氏がいたってわかったら確かにショックを受けるだろう。切り替えなんてすぐできないのもわかる。

 色々考えても結局答えは出なかった。何も授業内容は入ってこなかったが一限目終了のチャイムが鳴ると同時に卓夫の元へ駆け寄る。

 

「たーくおちゃんっ!!授業一ミリも聞いてなかったからノート見ーしてっ!」


 解決策がわからないなりに初っ端の勢いが大事だと安直な考えから元気100倍で話しかけてみたが俺に突きつけられた状況は沈静だった。

「ぶっふぉぉ!!達樹殿ぉ!!テラワロスですぞぉ!!」とか普段なら言ってきそうなもんなのに完膚なきまでにスルーされてしまった。一瞬で俺のメンタルは砕け散った。


「……俺アイドル詳しくないからこういう時なんて言ってやるべきなのかわかんないけどさ、よく寝てよく食べてってしたら元気出てくるっつーか。あ、そーだ!気分転換にカラオケ!何なら超変化球で森林浴とかいいんじゃね!?」


 焦りながらも励ます俺をみてぷっと卓夫が吹き出した。


「東京都心部で森林浴しようとするおバカさんは達樹殿くらいですぞ」


「あっ!気づいた?俺も言った後何言ってんだろって思ったんだよな!ははっ」


 2人で笑い合う。空気がようやく和んだ気がした。卓夫に笑みが戻り口を開く。


「拙者けいちゃんの事が大好きでござる。彼女になってくれたらな。とか一緒にデート出来たらな。とかテレビで今おすすめのデートスポットが特集されてるのを見たら2人で楽しむ姿を妄想したりするくらい大好きでござる」

 

「今も好きなのか?」


「もっちもちのろんでござるよ!……彼氏がいるって分かった時はそれはそれは辛かった。涙で枕を溺死させてしまうのかと思うほどには。こういった事は今までにも何度か経験はしてるでござる。でもこの痛みだけは……何度体感しても慣れませぬな」


 卓夫の眼からほんの少し、一滴の水滴が零れ落ちる。

 力強く右手で拭き取ると卓夫は毅然とした態度で真っ直ぐ俺の方を向いて視線が重なる。


「この涙は失恋の涙……でもありますが拙者そこまで自惚れてはござらぬ。恋する気持ちは半分。もう半分は別の感情でござるよ」


「拙者どこまで行ってもアイドルが好きで候。推しアイドルが歌って踊って笑顔をくれる。拙者達オタクの生きる糧になる。希望をもらえるでござる。だから、自分のお金や時間、大切な物を、対価を払ってでも応援したいって思える」


「最悪のケース。解雇や引退。もし仮にそうなってしまったらと考えると……けいちゃんの歌って踊る姿がもう見れないのかと思うと……それが何より悲しい」


 俺が想定してた答えとは少し違っていた。けいちゃんにガチ恋していて彼氏がいたからショックを受けてる物だと思い込んでいたがそれはとんだ勘違いだった。

 昼休みにも話したが彼氏がいたとしても関係なく卓夫はアイドルを続けて欲しいと言っていた。それを受け止めた上で、それでもけいちゃんの歌って踊るアイドルとしての姿が見たいのだと。

 

「まぁ拙者だけが良くてもアイドルはやっていけませぬ。当然厳しい目は当てられてしまうのは世の摂理。難しい問題なのですぞ」


 コンビニ弁当を食べながら腹と同時にアイドル知識も蓄えた俺は頭も腹もパンパンになり限界を迎えた俺は再度5限目は悔しい事に寝て過ごすことになってしまった。


 …………………………

 時は遡り。

2023年 5月23日 2:30分

 前田けいの精神は限界を迎えようとしていた。

 

「もう……やめてよ……」

 

『【悲報】人気急上昇中の人気地下アイドル 華ノcage 前田けい 謎の男と深夜のホテルで二人きりの密会』


『今が売り出し中で頑張りどきなのになにやってんだカス』


『デビュー当初から推してたのにこんなガバガバ女だったとは……ファンやめます。今までありがとうそして紙ね』


『まーた繋がりか。最近の地下アイドル界隈治安ゴミすぎだろwww』


『俺達に向けた笑顔は男に貢ぐためにしてたんだね。ショック通り越して呆れるわ』


 「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……もうわかったから……これ以上書き込まないでぇ……」


 匿名ネット掲示板。ぽちゃんねる。ありとあらゆるジャンルの掲示板が存在している。

 だが可愛い名前とは裏腹にこの世の罵詈雑言、表立っては引き出せない負の感情が書き込まれる事も多くある。

 大抵の話題になっているコンテンツはスレッドが建てられており勿論、華ノcageに関するスレッドもあり今までにないほど書き込みの勢いは増していた。


 投稿された画像。あれは紛れもない事実だ。仕事の不安、ちょっとしたミス。気かがりな事が重なって落ち込んでたところにリンスタのDMでデートの誘いが来た。

 たまにライブに来てくれるメンズ地下アイドル。『you"are shock』の北斗犬士君からだった。リンスタでよく反応をくれたりしていて落ち込んだりした時は優しく励ましたりもしてくれていた。

 普段ならこんな誘いは断るけどあの時は精神が参っていて気の迷いで誘導されるがまま休日にデートの約束をしてしまっていた。そしてそのまま……。

 プロ意識がどうとかそんなのは意識してる。男と二人きりで遊びに出掛けてこうなる事を想定してないアイドルなんて余程のバカしかいない。

 まさかこの一時の気の迷いが激写されるなんて思わなかった。ちょっとでも油断した私も悪い。でもここまでハッキリリークされるなんて。犬士君からも何も返信がない。このままでは頭がおかしくなってしまいそうだった。


「いい加減止まってよ……!!悪かったって思ってるよ……私だって応援してくれるみんなの事大事に思ってるよ……でも……それでもっ!!」


 窓が開いた。

 夜風がすーっと部屋に入ってくる。私は勿論窓なんか開けてないし勝手に窓が開くほど風も強くない。

 不思議に思い視線を向けるとボロボロの服を着ている長髪の男が私を見つめて開き切った窓部分に座り込んでいた。


「しょうがないよね。女の子だもん。挫けそうになった時、助けてって思った時、手を差し伸べて貰わないとやってらんない時だってあるよね」


「だ、誰!?」


 そう言い切った直後。男は私の隣にいた。そしてこう囁く。


「憎しみ、辛み、妬み、苦しみ……どんどん君の元へ集まってきてる。完熟だ。熟れた果実は早めに食さないと味が落ちちゃうからね」

 

「いきなり何訳わかんない事言ってんのよ!出てかないと警察呼ぶわよ!」


 男と距離を取り声を荒げて叫ぶ。だが男は少しも怯む事はなく続けた。


「これ、やめさせたいよね?」


 抽象的な言い方だが男の指は私のスマホに映り込むスレッドを指していた。

 これとは書き込みの事を指していると瞬時に理解した。


「そんなの当たり前でしょ!」


「殺したくない?そいつら」


「え……?」


「こっちの事情もろくに知らない癖にとやかく飽きもせず罵詈雑言を浴びせてくる。ムカツいちゃうよね。身勝手に他者を傷つける」

「今の君は肉体的にも何より精神的に限界が来てるよね?このままでは君は死ぬ。本当に死ぬタイプの女の子に僕には見えて心配なんだ」


 その言葉に動揺してしまう。でも殺すなんてそんなの……


「自分の気持ちを抑え込まないで。君は何も悪くない。君のその感情は間違った者じゃ無く肯定されるべき当然の気持ちだよ。だから正直になって解き放って」


男に胸元を触られたと同時に嫌悪感を抱く間も無く意識が深く沈んでいく。身体に力も入らない。そうして完全に意識を失う。


 ザクッ……ザスッ……グシャッ!!

けいの身体の周りにドス黒く邪気を纏った異物が次々と付着されて行き、身体の半身を埋め尽くしてしまった。


「今回のは特に禍々しくて僕好みかも。撲殺向きな攻撃的な見た目がすんごく良い。さぁ行っておいで。僕の可愛い憎愚」

 

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