2.幸せそうに笑ってるように見えるだけじゃないのか?
その瞬間、身の毛がよだつような声で脅された。ボクは恐ろしくてたまらなくなって、仕返しに指を噛むのは諦めることにした。
死にたいけど、雪氷に殺されるのは嫌だ。
「黙ってればちょっとは可愛く見えるから大人しくしてろ。……俺は今日、珍しく気分がいいから俺がお前をいじめていた理由を特別に教えてやる。……その前に一つだけ訊きたいことがある。みんな他人を思いやってるふりをしてるだけで、内心本当は自分が一番大切で、他人のことなんかどうでもいいって思ってることがほとんどだ」
雪永はそこで一旦言葉を切って俯く。
「お前だけ例外か?」
そう質問すると、ボクの口から手を離した。やっとだ。やっと、離してくれた。
息苦しさから解放され、普通に呼吸ができることに安堵しながら、「ボクは」と発した。
「自分が大嫌いで憎い。でも、そんなボクだって自分が一番大切だ。どうでもいいとまでは思ってないけど、自分を優先してばかりで、家族や友達に沢山迷惑をかけてる」
「そうか、例外ではないんだな……。俺は例外だ。俺は自分より他人であるお前に興味がある。自分のことはどうでもいいが、お前のことはどうでもいいとは思っちゃいねえ。もし興味皆無だったら、わざわざお前のことをいじめようなんて思うわけがないからな」
「な……。何だよ、それ。ボクに興味を持ってるからいじめてたってことか?」
「ああ、そうだ。お前が、実は金持ちのお嬢様で、立派な木造の一軒家に住んでて。家に遊びに行った時にお前が高級そうなドレスを着てたって……。その話を聞いて以来、お前が笑えば笑うほど腹が立って仕方がなくなった。だから、お前がにこにこ笑ってんのが悪いんだよ……。もう二度と俺の前で幸せそうに笑うな」
「……なあ」
「何だよ?」
「幸せそうに笑ってるように見えるだけじゃないのか? ボクは幸せだと感じたことは一度もない」
「身近にあるからこそ幸せに気づけてないだけで、お前は幸せで恵まれてんだよ」
「なるほど……。思い込みが激しいな。まず、大きな誤解を解かせてもらう。お金持ちのお嬢様じゃない。家でドレスなんて着たことないしまず持ってない。大体ドレスなんてどこで買うんだ? ボクの家は……、どちらかというと貧乏な方なんだと思う。小学三年生の頃にボクをいじめていた女子が、ボクが一人っ子で愛されてるって勝手に誤解して嫉妬して、そういう根も葉もない噂を流してるだけだ。……できれば、これからは噂じゃなくてボクの、本人の言葉を信じて欲しい」
雪永は心底驚いている様子で、長い睫毛を揺らしながら目を瞬かせた。
「お前ん家って……金持ちじゃないのか?」
「ううん、お金持ちじゃない」
「……何だよ。俺は噂話を信じ込んで勝手に誤解して、勝手に嫉妬してた。たいそう甘やかされて育ったんだろうって」
「……まあでも、甘やかされてるってことに関しては否定はできないかもな。ついでに、ボクん家のことについて教えてやる。……ボクの両親は本当は男の子が欲しかったらしいんだ。でもボクは女の子だろ? だからせめて、両親に逆らわない従順な男の子になりきった」
雪永は瞠目した。足が痺れただろう。ぎこちない様子で腰を上げ、その場に立ち上がってボクを見下ろす。
「じゃあ……。お前が自分のことをボクって呼んでるのは、父ちゃん母ちゃんのためなのか?」
雪永は不自然なほど声を落としたのがおかしくて「そうだよ」とボクは苦笑しながら頷く。
大したことじゃないから、そんなシリアストーンで言わなくてもいいのに。
「ボクがボクという一人称を使用し始めたのは両親のためだ。最初は違和感あったけど、ボクって呼んでいるうちにボク自身がこの一人称を一番気に入った。今じゃ、私って呼ぶ方が気持ちが悪い……。少しでも両親が喜んでくれることを、今よりもっと愛してもらえることを、密かに期待してた。まあ……。ボクの期待は裏切られたけどな」
「……今はあんまり愛されてないのか?」
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