第42話『そうか、彼がいなければ『私』は存在しないのだ。』

「まぁ、なんにせよ噂が立っちゃったのは問題かもな。サルガドが動くと厄介だ。今のじゃ俺の容姿は正しく伝わってないみたいだけど」

「昨日も今日も、予定よりは多く稼げてはいますけどまだ足りませんし、そのサルガドさんが噂を鵜呑みにしてリエラを先に買いに走らないといいですが……」


 こればっかりはどうしようもない。サルガドは大商人なんだから、たぶん身請けの金額くらいポンと出せるのだろう。

 しかも大商人とはいえ余り尊敬できるタイプじゃなさそうだから、変な風に動かれるとリエラが危ないよな。


「サルガドの動きは気になるが俺がまた行くと目立つだろ。カザキかケイガに連絡して見に行ってもらうのがいいかもな」

「巨人で肌の黒い髪を振り乱したヒトですからね」

 うわ、むっかつく! 話を混ぜっ返すなよ!

「ああ、あっちの技術で黙らせるヤバいもんぶら下げた、な」

 半眼になって切り返す。フェザナは墓穴掘った事に気づき赤くなってうつむいた。

 あー……やっちゃったか……相手がケイガだったらツッコミが返ってくるからやりやすいのに。って、私も言われたら言い返すのがいけないのか?

「とにかく、宿に一度戻ってから午後の仕事再開だ。サルガドが動くにしろなんにしろ、俺たちの金が足りないんじゃどうしようもない」

 そう言って立ち上がると、フェザナも立ち上がったのでそのまま店を出た。


 宿までは大した距離じゃなかったけど、あいにくケイガもカザキもティアルも出掛けていた。しょうがないので伝言を部屋に残し、また仕事に戻るため今度はレイルサ側の住宅地方面に向かって中央の広場を横切る。

 すると港の方から騒ぎながら走ってくる男がいた。


「何だ何だー、騒々しいな~」

 彼を見つけた魚屋の店主が声を掛ける。男は荒い息を整えながら、それでも精一杯焦って、

「港の、繁華街に、ヴィスが……」

「何だって? 街の中にヴィスなんて出るわけないだろう」

 通りすがりに彼を見る人たちもくすくすと笑う。

「それが本当に出たんだよ! しかもかなり厄介そうなヤツ!!」

 彼のあまりの動揺ぶりに、見ていた人たちにも不安が走るのがわかった。

「いや、いくらなんでも……」

「この街には力の強い霊師と守人がいるし……」

「まさか、そんな事は……」

 口々に否定的な事を言いながらも、その口調は不安げだ。

「それなら行って見てみるといい! 繁華街のビセンテの店、あのリエラの店だよ!」

 私は思わずフェザナを振り返った。彼も私を見ている。無言で頷くと、港に向かって走り出した。


 リエラのいるはずの店の近くには、遠巻きに人垣ができていた。

 危険だってのに、どこにでも野次馬ってのは集まるもんだな……それとも本当に街の中にはヴィスが出たりしないってのを、心のどこかでまだ信じてるのかも。

 私は人垣を抜けて更に店の近くへ走った。店の近くにケイガの姿を見つけた。


「ケイガ!」

 声を掛けるとケイガは、ちょっと青ざめた顔で振り向く。

「ヴィアス! 中にヴィスがいるんだ。街の真ん中だぜ?! しかもこんなにデカイ街なら、絶対力の強い霊師と守人がいるはずなのに、こんな……」

 言いながらまた店に視線を戻した。やっぱり、常識が覆された事に皆驚いているんだな。安全なんて、そんなもんなんだ。


「お前、何でここにいるんだ?」

「ヴィアスがリエラを買うって噂がたってるのを聞いたんだ。それでサルガドが妙な動きするかもしれないから、気になって」

 さすがケイガ。違うところで情報得ても同じ結論にたどり着いてた。


「そしたら案の定、サルガドが来たんだ。金髪に渋い目の権力者って感じのヤツだったけど、リエラ呼び出して問い詰めて。挙句に今すぐ買うとか言い出したんだけど、リエラが抵抗して言い合いしてたんだ。そしたらいきなりぶわーーってヴィスが」

「何もない所から出てきたってのか?」

「わかんねぇ、俺も間近で見てた訳じゃないから、でもあの店の中でいきなり出てきたんだよ! 普通そんなのってありえねぇし……」


「それじゃリエラは?」

 その問いにケイガは一瞬身を引き、少し小さな声で答えた。

「……店の中、だろ。たぶん」

「じゃ、助けなきゃだろ!!」

「あ! ヴィアス!!」


 私はケイガの呼ぶ声を背中に聞きながら店の中へ走り込んだ。

 店の一階は、悲鳴を上げながら床近くをはいずって逃げ回る人の頭上の吹き抜けの天井に、十メートル級のヴィスが浮かんでいた。気まぐれに旋回している。

 ああ、これじゃケイガが助けに飛び込めなかったのもわかるかも。逃げ惑う人の中にリエラの姿を探すが、見当たらない。


「おい!」

 私は見覚えのある店の主人を捕まえた。

「どうなってんだよ! リエラはどこだ?!」

「しし、知らないよ、私の店でヴィスが出るなんて……しかもこんな……あんた、あんた強いんだろ? 倒してくれよ! 金なら払うから」

 それは、

「じゃ、俺が倒したらリエラを貰う。それでもいいか?」

「えっ……」

 絶句した主人と私の頭上を、ヴィスがすごい勢いですり抜けて行った。

「どうすんだ?!」

「わかった、わかった! リエラはやる! だから何とかしてくれ!!」


 悲鳴を上げて体を縮めながら主人は懇願するように言った。交渉成立。私は主人を出口に向けて突き飛ばすと剣を抜いてヴィスに向き直った。


 ちょっと狭いのが難点だな。備品を壊してリエラの身請け金以上の請求をされたらどうしようもないし。店の中から人が出払うのを見届ける。とりあえず、安全確保。


 ヴィスは余裕にも見える仕草で私に向き直ると、一気に突進してきた。一撃を避けつつ斬り上げる。バランスを崩したヴィスは壁すれすれに飛び、飾ってあるランタンを立て続けに落とした。あーあ、私のせいじゃないよ……

 再度旋回して向かってくる。狭い事を除けば大した相手じゃないかも……


 しかしその期待は大きく外れた。向かってきたヴィスは私がオルを狙おうと一気に突き刺したのに、その突き刺された状態のままで私の前に立ちふさがったのだ。体に剣を飲み込んだままで私の前に広がるヴィス。

 何それ! 生命力たっぷりってワケ?!

 驚く私の中で何かが弾けるような痛みが走り、私の体から光の糸が離れていくのが見えた。これは……カザキの魔法?


『オマエハ、ダレダ』

 突然、頭の中に響く声。何、これ?! もしかしてヴィスの?

『オマエハ、ダレダ』

「っあーーーうるせぇ!」


 私は力任せに剣を押し返した。ヴィスは怪我を負いながらも、いまだ悠然と吹き抜けの空間に浮かんでいる。


 どういう事? ヴィスが言葉を話すなんて。力の強いヴィスは形を持つとは聞いてたけど、言葉を持つなんて聞いてないし、だいたいこいつは形を持ってはいない。いや、見せてないだけなのかもしれないけど。

 私は胸元を握った。ケイガの言ってたここら辺、確かに何かを感じる。これ、こいつがやったんだ。


「お前、何のために俺に触れたりしてんだよ」

『オマエハ、ダレダ』


 思わず悪寒が走る。発されない言葉が、私の中で浮かび音として聞こえてくる。

「俺は俺だ、お前に何の関係があるんだよ!」

 突然ヴィスは旋回をやめて四つに分裂し、私に向かって時間差で飛んできた。こういうのなら慣れてるんだよ!


「いやあーーーーーー!!」


 手近の机を踏み台にしてジャンプし、狙いを定めて斬りつける。

 ここ数日使うことのなかった剣だが、その威力は全く衰えていない。振りかぶって斬りつけ、次に合わせて横に抜く。左からの攻撃にそのまま横に切りつけると、重さを利用して再度振りかぶる。

 その瞬間、一番大きな本体がすでに避けきれない正面から突っ込んでくるのが見えた。しまった!!


「うわっ!!」

 私はヴィスに巻かれたまま床に押し付けられた。

「ぐっ!」

 背中を打ちつけ一瞬息ができなくなる。剣は握っているが、完全に巻きつかれて動けない。


『オマエハ、ダレダ』

『オマエハ、ダレダ』


 あーもう、うるさい! 何でヴィスなんかに名乗らなきゃいけないの!


 しかし思いとは別に頭の中では、これまでの旅の風景が何かに呼び出されるようにぐるぐると浮かび上がってきた。


――― 貴方ですよ、運命の剣士ヴィアス

――― 本当のヴィアスって、どんな人なんだろう。

――― 私はヴィアスになれるのかな……

――― ヴィアスが……本当に、貴方なんだなぁと思って

――― フェザナが待ち望んでたのは、私じゃなくて、本物のヴィアスじゃない

――― 今の私はヴィアスだから、そうできない。しちゃいけない。私は、何なの?

――― でも中身の私は違う。ただの女子高生なんだ。

――― 名前を失ったのは、どちらかにしか存在できないからなんです。

――― 本当の、ヴィアス……? それは、中身が私じゃないヴィアス?

――― 俺自身の存在が完璧なヴィアスになっちゃえば、消しようがないだろ。

――― 私が、ヴィアスなんだから!!

――― でも、私はここにいる。ここに、ヴィアスとして。

――― 貴方の運命に、私は着いて行きます。

――― ヴィアスは私で、私がヴィアスなんだと思った。

――― 私が、消えてしまえばいいのに。


『オマエハ、ダレダ』


 不本意なのに、ヴィスの言葉に心かき乱される。不安な気持ちが湧きあがってくるのを止められない。私は、誰?


「俺は……」


 この世界では皆、私をヴィアスだと思っている。でもまだヴィアスじゃない。異世界の記憶を持つ間は本当のヴィアスにはなれない。

 でも名前を失って記憶を失って、異世界の存在でもない。私は誰なんだ?


 胸の中をキリキリと締め付ける。黒い影。

 異世界の私、この世界の私。どちらも私という人間なのに、どちらか選ばないとこの不安は消せないのか?


 私は……


 きつく目を閉じると、フェザナの姿が浮かんだ。フェザナ……

 私を、私の中の異世界の存在とこの世界でのヴィアスとを、等しく思いやってくれる人。たった一人、この不安定な私を認めてくれる存在。


 ……そうか、彼がいなければ『私』は存在しないのだ。


 この世界では私はヴィアス。ヴィアスの中に存在する異世界の者を、この世界は認めない。だからいつか消える。消されてしまう。

 そんな『私』を思いやってくれているのはフェザナだけなのだ。彼がいなければ『私』という存在は無視され、ないものになってしまうのだ。


 不安な気持ちは黒い影となって私の心を覆い尽くそうとしている。

 どうしたら彼に返せるだろう? こんな中途半端な私を、たった一人大事に想ってくれる人に。彼を想って涙が止まらなかったのは、つい一昨日の事。愛しい気持ちがよみがえる。苦しい気持ちもよみがえる。


――― こんな思いをするのなら、私じゃなくていい。ヴィアスになっちゃえばいい。


 そうだ、私は、

『オマエハ、ダレダ』

「俺は、ヴィアスだ!!」

 強く叫んで剣を握りなおす。


「うあぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!」


 戒めを解くようにヴィスを押し返す。力を振り絞って剣を振り上げる。ヴィスが私から離れ、勢いで体を起こし剣を構える。ヴィスは残りが五メートルに満たない大きさになってもなお、悠然と浮かんでいる。


『オマエハ、ダレダ』


 剣をゆっくりと掲げ、体の前で構える。

 私は、ヴィアスだ。

 異世界の記憶を捨ててこの世界と異世界の混沌を正す男。運命の剣士。

 私が、ヴィアスだ。


「お前なんか敵じゃねぇよ。残念だったな」


 ふわりと浮かんだヴィスが向かってくる直前、何故だか笑ったように見えた。

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