第38話『自慢できないけど年齢=恋人いない暦ですよ』

「よろしかったんですか? 無理に帰る事などなかったのに、折角のご好意を」

 店を出るとフェザナが涼しげな表情で言った。

 ご好意って、お金の上ででしょー……しかもその言い方って私が彼女を買うとでも思ってたって事? 何かムカつくなぁ……


「よろしいもなにも、こんな疲れた体で相手して最後にしちゃうんじゃもったいないだろ。それに仲間になるんだったらこれからいつでも一緒なのに、がっつく事ねぇよ」

「……自信たっぷりですね、彼女が一緒に来る事」

 いちいち突っかかる。何だっての!

「そりゃわきまえてるから、自分のコト。絶対落としてみせるしーっていうか、もう寸前? あとは時間の問題だなー」


 私は軽くそう言ってフェザナから離れて先を行く。

 だいたいリエラが向こうの人間とわかった所で、彼女が来たいと思うのなら一緒に旅をするのは、今までの事からだってわかってる事じゃん?

 そりゃ何だか彼女に誤解されそうな誘い方したのかもしれないけど、でも問題はそこじゃなくて、彼女が今の生活を離れて一緒に旅に出る事を心の底では望んでいるって事じゃない。そうでなきゃ私だってがんばらないっての。


 私の隣に追いついたケイガが追いつきざまに肩でぶつかってきた。

「お前が素直じゃないのはわかってるけど、端から見てると微笑ましいからヤメロ」

「何だよ、それ」

「ま、今までこんなに明確なシチュエーションなかったから、フェザナも嫉妬のしようがなかったのかもしれないけど。夫婦喧嘩したって俺が仕組んだって当たるなよ。俺はフェザナに見せないようにしようとしたんだからなー」


 わざとらしく言うケイガを軽く叩く。っつか夫婦喧嘩って何だよ!

「とりあえず仲直りしとけって。明日の朝、カザキやティアルの前で普通の顔できるんならいいけど」

「俺は平気だよ」

「……絶対平気じゃないと思うけど。まぁでも、フェザナは顔に出る」

 ケイガは人差し指を立てて断言した。

 先の言葉は聞き捨てならないけど、確かにフェザナは意外と顔に出るタイプかも。

「だいたい仲直りって、別に喧嘩してるわけじゃ、」

「あーもう、何でもいいから、行って来い!」

 ケイガはそう言って私をくるりと振り向かせると、力任せに背中を押した。うわあ!


「あ、」

 私は無様にフェザナの前に立った。どうしろってのー……

 そんな私にフェザナは無表情な視線をくれただけで、何事もなかったように私の脇を抜けて行こうとする。私は小さく息をついてから、隣に並んで歩いた。

 ……沈黙が痛い……

「……お前、リエラに来てほしくないのかよ」

 私は沈黙を続けるフェザナに声をかけた。一瞬、反応したのがわかったけど、フェザナは何も言わなかった。

「俺は彼女が来たいなら一緒に行く。彼女が向こうの人間だからだ。そりゃ魂だけの話だろうけど、俺にはそう見えるし」

 少しうつむいたフェザナは、自分のつま先を見ながら歩いているようだった。


「……リエラは、向こうではどんな人なんですか?」

 話をそらそうとしたのか、フェザナは小さな声で言った。それねぇ……私はフェザナの肩をつかんで少し引き寄せると、耳元で言った。

「他の奴には言うなよ。向こうではたき基樹もときっつって、隣のクラスの男子なんだ」

「は?」


 フェザナはビックリしたように私を振り返った。私は体を起こす。

「まさかあんなタイプの女の子に『あなたの魂は男物です』なんて言えねぇじゃん。第一彼女には記憶があるわけじゃないし」

「はぁ……私は、てっきりあなたの恋人かと思いました」

 なんですと? 私は頭をかいて眉間にしわを寄せた。

「……何でそうなるんだよ」


 あー……自慢できないけど年齢=恋人いない暦ですよ。友達と連むのに忙しくて恋人作るヒマもないっていう言い訳でやってきましたが。それに一応向こうでは女の子なんで、リエラの魂が男子と聞いたら本当は安心する所じゃないんですけどね。

 ああ、そう言えば前に、フェザナに似たコと付き合ってるとかって言ったんだっけ? だとしてもなぁ……


「……本気に見えたので……」

「そりゃ本気だよ。本気で一緒に旅に同行してほしいのに、相手は皆向こうでの記憶がないから、話した所ですんなりとはいかねぇし。俺は適当にお願いして乗せられるほど演技が上手いわけじゃない。お前は俺が真剣じゃなくても誘えばすぐついて来るのか?」

「それは……」

 フェザナは言葉に詰まり、少し赤くなって前を向いた。

「俺は旅の仲間になってほしくて誘ってたけど、誤解を受けそうな誘い方しちゃってたのかな。俺だって別に恋人になってほしくて誘ってるんじゃないんだし、そんなセリフは言った覚えはないけど。ケイガが勝手な事企むから悪いんだよ……」


 旅に誘うつもりではいたけど、それ以上の事を言った覚えはないんだし。……次に会う時ってのも、友達ってはっきり言ったよね? それを誤解したのだとしたらリエラには悪いけど。


「あなたは、誤解を受けそうな冗談ばかり言っているから悪いんです」

 フェザナはやっぱり小さな声で言った。あーもう狼少年か、私は。

「冗談と本気の区別くらいしろ」

 私はフェザナの頭を軽くこつんと叩く。叩かれたフェザナは拗ねたような目で私を見上げた。


「あぁお前、俺の胸に飛び込めるヤツが自分以外にもできるのがイヤなんだろ。どうしてもってんなら、お前に優先権やってもいいけどな」

 にやりと笑って付け加える。フェザナは懲りずに赤くなった。

「それが悪いと言うんです。何を考えているんですか、全く……」

 そう言ってぷいっと前を向いた。あはは、ホント単純ですよこの人ー。


 私はいい気になって彼の肩に腕を乗せ、耳元に顔を近づけると、

「今のは冗談か本気か、どっちだと思うんだよ?」

と聞いた。いつもの調子で真っ赤になって怒ると思ったら、意外にもフェザナはゆっくりと振り向いた。私の顔を至近距離で見つめる。

「本気に取ってもよろしいんですか?」

 ……え?

「本気に取ったら困るくせに……」

 そう言いながら彼はそっと視線を外し、私を置いて先に歩いていった。




 宿に帰るとすでにティアルもカザキも寝ていた。

 まぁ何だかんだで長くなっちゃったしね。とは言え問題だったのは、カザキがティアルと同じ部屋のベッドを使っていた事だった。

 多分ティアルにせがまれたかしたのだろうけど、そんなワケで残る二人部屋を誰が使うかで無言の話し合いがあった。もう丸わかりなプレッシャーの掛け合い。もちろんケイガが私とフェザナを同室に押し込もうとしていたからなんだけど。目だけでプレッシャーを与え、わざとらしく俺一人で寝たいからーとか言って、見え見えなんですけど。


 でもその夜は私が一人部屋を使う事を押し切って、結局フェザナとケイガが二人部屋を使う事に落ち着いた。

 どうしても、フェザナと二人にはなれない気分だった。

 部屋に入ると、脱力するようにベッドに寝転がった。宿の天井には太くこげ茶色の梁が渡っていて、天井の白い漆喰とのコントラストがきれいだ。


『本気に取ったら困るくせに』


 本気に取られたら確かに困る……けど。だっていつもの軽口なんだし。本気に取られたら「私はフェザナ以外は抱きしめない」って約束するって事、か? そしたらティアルを抱っこする事もできなくなっちゃうねって、そうじゃなくって。


 それはつまり、フェザナは本気に取る事もできるって事? 私が言ってる事を、受け止める用意があるって事? その告白?

 それじゃ、私はどうなんだろう。

 フェザナの事は、好き。うん、好きだと思う。剣士と魔術師の契約とかをとりあえず脇に置いといても。

 でも私が好きなのか? ヴィアスが好きなのか? それがわからない。


 だってフェザナは男の人でしょ。そこからいくと、私が好きでも別に問題ないように思える。でもフェザナの事、普通に『男の人』として好きなのか?

 ……それは何だか違うように思える。


 並んで帰りたい。いっぱい話したい。毎日メールしたい。逢いたい。声が聞きたい。触れたい。抱きしめてほしい。そういう私にとってわかりやすい『好き』。

 そういう風にフェザナの事を想っているのかって言うと、そんな感じじゃない。なんていうんだろう、守りたい……


 守りたい。それは、女の子である私が男の人を想う気持ちなのだろうか。

 守りたい。傷つかないでほしい。笑っていてほしい。一緒に旅を成就したい。

 そばにいてほしい。


 それは私じゃなくて、『ヴィアス』の気持ちなんじゃない……?


 ヴィアスは私で、私がヴィアスなんだと思った。でも何だかそれでは説明のつかない思いが心の中でせめぎ合う。二つの思いが同時に存在している。そして今の私はそれを同時に感じている。


 この世界に長居をしたら『私』はいつか消える。

 ヴィアスになる。

 私は目を閉じた。

 私がなくなったら、この中途半端なもやもやを見て見ぬ振りをするまでもなく、フェザナを抱きしめる事ができるのだろうか。大好きな気持ちを肌から伝えるように、強く抱きしめる事が。それはとても魅力的に思える。


 それでもそれは『私』が消えたらの話だ。私は、誰かに強く抱きしめてほしいと思ってる。

 抱きしめられた胸で安心したい。誰かの腕に体をゆだね「もう大丈夫」って言ってもらいたい。でもその相手はフェザナじゃない。

 フェザナは、抱きしめたい。抱きしめて、泣きそうな顔に「もう大丈夫」って言ってあげたい。それは、私の思いじゃない……?


「!」


 思わず目を開けた。頬をつたう涙の感触に驚いた。私、泣いてる……?


 誰かを好きになる事、向こうの世界でも確かにあった。でもそれは現在進行形じゃない。今この世界で私のそばにいてくれる人じゃない。

 向こうの世界で私を待っている恋人はいない。今すぐ帰って逢いたいような、そんな『好き』な人はいない。

 でも、ここにはフェザナがいる。


 思わず窓の外を見た。明るい月を、薄闇のような影が隠してる。影から覗く月が、声もなく泣く私をためらいがちに見てるようだ。


 とめどなく流れる涙。こんな風に涙が流れるのは、辛いから?

 私の心にあるヴィアスの想いを、私にとっては間違った反応だと、勝手に押さえ込んで無かった事にしちゃおうとしてるから? ヴィアスのフェザナに対する想いが、涙になって溢れてきてるの?


 抱きしめたい抱きしめたい。強い思いがあふれ出る。それでも、私が残っているうちは、ヴィアスの気持ちを全て出す事はできない。それを、私はきっと許せない。

 いっそこのまま私を失ってしまえば、そうすれば面倒な事考えなくて済む。ここから私がヴィアスになったって、それだけで全ての『私』が消えるわけじゃない事はわかってるんだから。


――― 私が、消えてしまえばいいのに。


 流れる涙を止めるように、両手を握って目を押さえる。

 こんな思いをするのなら、私じゃなくていい。ヴィアスになっちゃえばいい。

 嗚咽が漏れないように体を丸めてシーツを手繰る。

 泣き声を殺しながら眠りに落ちようとする私を、月を隠した黒い影だけが見ていた。

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