第37話『諦めるのは、私たちのする事じゃない。』

「……それ、ホントの話?」


 一通りの説明を私がフェザナの補足を受けながら話し、要所要所でケイガが絶妙な突っ込みを入れつつイルンまでの旅を話し終えると、リエラはしばらく黙った後にこう言った。


 人気も高く、それなりに高嶺の花でもあるリエラが今夜の客と一緒に飲み屋にいるだけだと知れたらそれはそれで問題だというので、結局私たちは彼女の部屋へ上がる事になった。

 もちろん客は私一人だというのにフェザナとケイガがついてくるのは認められないハズなのだが、気前よくオルをはずんだら店の人間はあっという間に態度を変えた。わかりやすいなぁ……


 彼女の部屋に酒やつまみが持ち込まれ、赤を基調にした部屋の机についていた。机と言っても小さなものが一つあるきり。椅子に至っては一つきり。その事を言うとリエラは「ここへ来る客には普通、そんなもの必要ないのよ」と呆れたように返された。

 しょうがないのでフェザナが椅子に座り、ケイガは物入れらしき修飾された箱に座り、私とリエラは並んでベッドに座った。彼女が私の腕を離さなかったからしょうがなくなのだけど、ベッドの天蓋にかかる薄手の赤いオーガンジーが落ちてきて邪魔なんですけどね……

 疲れた体に機敏な運動を強いられ、さらに長い説明をしたので妙に喉が渇いて、いつもよりハイペースで酒を流し込んだ。


「ちょっと信じられないよね。でもホントらしいんだ。俺もびっくりしたけど、まぁそんな事もあるかなーって」

「それだけで一緒に旅をしてるの? だって命の危険があるかもしれないんでしょ?」

「冒険ってのは、普通危険なもんだよ。それにヴィアスはビックリするほど強いから大丈夫」


 ケイガはやっぱり人懐っこい笑顔で、気づいたら彼女と主に話すのはケイガの役になっていた。

「それで……」

 彼女は何だか恐る恐るといった風に私を上目遣いで見た。

「向こうでは君は俺の……知り合いなんだ」


 私は自然と彼女が男の瀧くんである事を隠した。まぁ瀧くんはがっしりした男らしいタイプじゃなくて、どっちかっていうと綺麗な顔立ちの華奢なタイプの男子だけど、それでもこんなに女の子っぽい女の子に対してそれは、侮辱っぽい気がするんだよな。

 だいたい、私が気にしなければ誰もわからない事なんだし。でもリエラが向こうでどんな人間かを言わない私にフェザナは気づいたようだった。


「すごい! それって運命的じゃない!」

 そう言って彼女は私にもたれかかった。もたれるというほど優しくはないな、突っ込んできたという方が正しいか……でも華奢なリエラの体がぶつかって来ても、私はただ胸で受け止めるだけで済んでしまった。

 何か、今更だけど私、男らしいんだね……今まで鏡がない生活であまり意識してなかったけど、鏡がなくても比較対象が間近にいると、やっぱりちょっと……


「それで、やっぱり同じく向こうの魂を持つんだったら、君も一緒に旅ができたらいいんだけど」

 ケイガはつまみを口に運びながら単刀直入に、しかもさりげなく彼女を誘った。

 するとリエラは私の胸から顔を上げてケイガを見、それから少しうつむいて私から離れた。


「……それは、無理よ。だって私この店にいなきゃならないし、私が店を出るにはそれなりにお金も必要だし、それに……」

「そう言えば、サルガドって奴が買うって話があるみたいだな」

 私がそう言うと彼女は私を真っ直ぐ見つめた。


「お金だけじゃ私は買えないわ。絶対に」


 その顔は真剣で、私は何だか居心地悪くなった。

 なんてバカな事言っちゃったんだろ……体売る許せないとか思ってたくせに、結局は他人事だと思ってるからこんな事言っちゃうんだ。

 パパ活だとかそんなのは自分とは違う世界の話で、今更純愛だとか清純ぶってるつもりはないけど、それでも見ず知らずの人となんて考えられないし、第一やろうとしたって私程度の「地味で並み」が売れるとは思えない。だから結局、他人事としか思えない。


 そのくせ嫌悪感だけは人並みにあって、リエラが腕に取り付いて誘ってきた時は、彼女が瀧くんだという事実がなければ本気で逃げたいところだった。

 彼女がこういう生活を送らなければならない理由とかは、全部無視して。

 パパ活のコたちとは違う、お金だけが目的で気軽にやってる訳じゃないんだ。


「……悪かった、別に君がそんなに安い女だとは思ってないよ」

 私がそう言うと、その言葉を聞いて彼女は少し驚いた顔をして、それから嬉しそうにふんわりと微笑んだ。それからいたずらっぽく笑って、

「でもヴィアスなら大丈夫よ。だって私が愛しちゃってるんだもの」

 冗談めかして言うと、また私の腕に絡みついた。その体勢のままケイガとフェザナに向き直り、

「でもサルガドはダメ。あいつ、ちょっと金も権力もあるからっていい気になっちゃって。表向きは港一番の大商人だけど、そんなのについてくほど趣味悪くないわ」

「表向き?」

「そうよ」


 ケイガの言葉にリエラはするりと私の腕を離し、グラスを取ると一口含んだ。ワインのように赤い酒はこの地方独特のもので、サルークというらしい。甘くて飲みやすいが、シャングと比べてちょっとアルコールは強い感じ。


「サルガドはイルンの港を牛耳ってる大商人なの。でもどうやってそこまでの店にしたかは皆わかってて口に出さないだけ。この街はとても繁栄してるけど、お金が動く大きな街だからこそ、そこを狙う人間も少なくない。善い方にも悪い方にもね。正攻法だけじゃどうにもならない事だってある。そんな時に上手く人を使えたかどうかが、その後の結果に繋がるのよ」


「つまり、サルガドは上手い事人を使って、上手い事ライバルを蹴落としたわけだ」

 ケイガがとぼけたように眉毛を上げて、つまみを口に放り込んだ。

「やっかいなのに惚れられてるな」

「関係ないわ。だって私は好きじゃないもの。それにサルガドだって、ここで一番人気の私が買いたいだけで私自身に興味があるわけじゃないわ」


 簡単にそう言ったけど、彼女は自分の言葉に自信を持っているようにも、深く傷ついているようにも見えた。店の一番人気になったのは彼女の努力の賜物だろう、でも本当はそんな事をしたかった訳じゃないみたいな。


 私も鶏肉のから揚げっぽい食べ物に手を伸ばす。カラオケで出される居酒屋メニューみたいなつまみだな。

「それでは、スリの少年なんかご存知じゃないですか? 十二、三歳くらいの」

 フェザナはリエラを見ながら言った。そうそう、それが目的なんじゃない。

「スリ? ……この街には沢山いるよ。少年なんかも山ほど。でも……そうね、心当たりはあるかな。でも何でそんな事聞くの? 何か盗まれたんだったら、取り返すのはムリよ。金目のものなら特に」

「いや、そうじゃないんだ」

 私が遮ると彼女は上目遣いで私を見た。

「その少年も、同じなんだ」


 彼女はまじまじと私を見て、それからゆっくり手元のグラスに視線を移した。

「……忘れかけてたわ。それじゃ、ホントにホントの話なのね」

「これだけ長い話聞いといて、信じたんじゃなかったのか?」

 ケイガが呆れたように言う。そんな彼を少しムッとした目で睨む。

「私が信じたのはヴィアスとは運命的な出会いだって事よ。第一信じがたいって自分で言ってたじゃない。それに話はここにいるあなたたちからしか聞いてないんだから、口裏合わせる事だって可能だし。でも、」

 彼女はまた両手の中のグラスを見た。紅い液体の表面に何かが浮かんでいるかのように、じっと目を凝らしている。


「何の関係もない居場所さえ知らないスリの子まで関わってくるんなら……そんな子の運命まで変わっていくんなら……ねぇ、その子も旅に誘うの?」


 私は肩をすくめた。

「彼が来たければ」

「彼が、来たければ……」

 リエラは私の言葉を呟くように繰り返した。何だか寂しそうにグラスのサルークを眺めている。

「……リエラも来たければ来ればいい」

 私はそんな彼女に言葉をかけた。

「ムリよ」


 グラスから目線を外さないまま、そっと微笑んで即答する。

 私は体を倒し後ろ手に体を支えた。シーツは絹のようにさらりとした肌触りだ。

「そうでもないだろ。俺について来る気はあるんだから、あとは金の問題だろ?」

 彼女は驚いたように顔を上げ私を振り返った。そのまま片手で乱暴に机にグラスを置く。

「でもそんな簡単に出せるようなお金じゃないし、それに店だって簡単に手放してくれないわ。自慢じゃないけど私結構人気あるんだから。それにサルガドが何してくるかわかんないし、」

「店が提示する金が払えれば誰も文句はないだろ。サルガドより先に」

 彼女の言葉はまるで自分を納得させようとしているような響きがあった。私から視線を外す。


「ムリよ、すごい金額なんだから」

「俺、意外と金は持ってると思うんだけどな」

「でも、サルガドが許さないわ。私が誰のモノにもならなければ、それでも黙ってるだろうけど、」

「リエラはリエラのもんだろ。リエラがしたいようにするんだから、俺について来たいならそうすればいい」

「だけど……」

「問題がリエラの気持ち一つだったんなら、金がなんとかなれば大丈夫じゃん。サルガドは関係ないんだろ」

「簡単に言わないでよ!! そんなに簡単な事じゃないの! やめてよ気休め言うのは!」


 私の言葉に激しく食ってかかると彼女は両手で顔を覆ってうつむいた。彼女の叫びは悲壮な響きを帯びていた。

 突然の彼女の激昂にケイガもフェザナも驚いたが、何だか辛そうな顔で見ている。


 リエラは何か大変な思いをして、そしてこの仕事に否応なくついたのだろう。いやだと思っても逃げる事はできない何かを背負っていて、それでいて逃げないために色んな思いを殺してきたんだ。

 まだ十代と思われる彼女が、その年で全てを諦めてるなんて。


――― そんなのはイヤだ。


 十代ってのは明るい未来が開けてるもんなんだから。現実がどんなに厳しくても、この先待ちきれない程の楽しい人生に向かって歩いていけなきゃいけないんだから。諦めるのは、私たちのする事じゃない。


 誰かの助けがなければ逃げ出せないのだったら、誰かの助けがあれば逃げ出せるかもしれない。それだったら私が助けになればいい。スリの少年同様、私が差し伸べた手を彼女が掴むのなら、私はその手を引っ張ってあげる事ができる。


「簡単に言うさ。リエラを奪って、皆で旅をする」

 私は片手でそっと、彼女の顔を覆っている手を引き剥がした。彼女はゆっくりと顔を上げる。

「一緒に行こう」

 彼女はまるで今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「……変よ、だってさっき知り合ったばかりで、ただその別の世界の魂を持つからって、それだけで私の事信用するの? 私、あなたたちのお金全部盗んで逃げるかもしれないじゃない。私の事何も知らないのに何でそんな事言えるのよ。私ここで体売ってるような女なのよ?」


 彼女の言葉に私は思わず微笑んだ。

 そんな事、初対面の人間に言えるコに、悪いコがいるわけないじゃない。そういえば、ケイガも初めて会った時に似たような事言ってたっけ。つくづく私はこの世界で恵まれてる。


「盗みたければ盗めばいいさ。別に金は重要じゃない。元に戻る時に何が起こるかわからないから一緒にいた方がいいと思うだけだ。リエラにどんな過去があっても、それはやっぱり関係ない。ただ君じゃなきゃ意味がない。魂を宿してるのは君なんだから」

「私が……」

 私はにっこり笑ってリエラの頭を軽くぽんぽんと叩いた。


 すると唐突に今日の疲れとアルコールの効果が一気に出てきた。何か、全身が重くて持ち上がらない感じ。

「あーやべぇ、もうめちゃくちゃ眠い」

 そう言ってそのままずるずるとベッドに仰向けになると、

「泊まらないっつってたじゃんかよ」

 ケイガが可笑しそうにそう言った。


「そのつもりはないけど、スゲー眠いんだよ……一日歩き通しだったし、」

「サルークはいきなりくるから、ちょっと酔っちゃったんじゃない? そのまま寝ちゃっていいわよ。元々、あなたはお客なんだし」

「リエラはどこで寝るんだ?」

「ヴィアスに添い寝するわ」

 リエラは当たり前のように、かわいく言い添えた。え?


「それじゃ、とりあえず俺たちは帰る?」

 ケイガがそう言ってフェザナに声をかける。

 いや、ちょっと待って、その展開は不本意だ。いくら中身が女子だっつっても、ヴィアスの体でやるのはよろしくない。

 だるい体をムリに起こしてフェザナを手招きする。フェザナは何だか無表情を装って近づいてきた。彼の片腕を取ってその手を胸にあてる。

「ちょっと貸して。宿に帰れるくらい」

「無理しなくていいのよ、ただ眠るだけだってできるんだから」


 リエラが私の肩に触れたが、私はフェザナの顔を見ながら目だけで「早く」と急かした。

 フェザナはそれを見て、まるでいたずらを見つけた寛容な大人みたいに少し微笑んで、そっと目を閉じて静かに魔法を発動させた。体に暖かい何かが満ちていく。

「……サンキュ。ついでに起こして」

 そう言って手を伸ばすと、フェザナは呆れたように苦笑して私を引っ張り起こした。その勢いで立ち上がる。


「それじゃ、俺たち帰るから。リエラの身請けの金額は店のヤツに聞いてみるよ」

 リエラを振り返って言う。彼女はベッドに座ったまま見上げる。

「客を一晩引き止められなかったってわかったら、一番を下ろされちゃうわ」

 私は屈んで彼女の顔を覗き込み、

「そんな仕事は辞めちゃうんだから、気にすんな」

 そう言って軽く彼女の額を指先で突く。

「次は友達として会えるんだろ」

 彼女は少し真剣な眼差しで私を見つめた。


「本当に、できると思うの? 私がヴィアスを選んだら、一緒に旅に出ることが」

「できるさ。絶対に。でももし一緒に行く気がなくなったら、この店を辞めた後でも、その時はやめてもいい」

「そんな事したら、あなたは損じゃない!」

「損じゃないさ。来てほしいからそうするだけだから。ただちょっと俺の魅力が足りなかったって凹むかもな」

 私は冗談めかして笑って見せ、それから体を起こしフェザナに向き直った。


「スリの少年の事は調べてみるわ。それが今日の支払い分なんだから。この店の裏に、二階部分が渡り廊下で繋がってる建物があるの。私たちの個人の部屋よ。普段はそっちで暮らしてる。私と連絡を取りたかったら一階の青い鎧戸のついた窓に手紙を入れておいて」

 リエラは座ったまま声をかけた。


 私は肩越しに彼女を振り返って少し微笑み、それからフェザナの肩に腕を預けて何となく支えてもらいながら部屋のドアに向かった。

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