第35話『私、承諾してないよ?!』

 その日は結局、あの少年を見つける事はできなかった。

 ケイガと一緒に街を巡って歩いて、だいたいの地理はわかったもののこれといった収穫はなかった。


 現在イルンの港に入っているのは、海を挟んだ東にあるロスレバクという大陸のアランサバルという街からの船で、その船の様式は東洋っぽい趣があった。

 港は街よりも低く、港から眺めると街の南側である左手はレイルサの森に向かって斜面に近く、北側に当たる右手は街の向こうに広がる平野と同じく緩やかな上りだった。


 庁舎など背の高い建物は街の右側に点在し、左側は主に住宅で、真ん中に広場と商店、さらに宗教的な建物があった。

 左手の住宅を見ると、どうやら海に近い方が高級らしい。住宅地には用はないから主に中心部から北側をうろついた事になる。しかもケイガが先立って歩いていくので、着いて行くだけの私には余計に単なる散歩にしか感じられなかった。


 彼は時折、路地を覗いては何かを探しているようだったが、少し小首を傾げたりするだけで何を探しているのかは言わなかった。聞いてみようかと思ったけど、何だか自分が何もわかってないのをひけらかすみたいなのでやめた。悪巧みの事もあるし。


 ケイガの言うところの気になる商店にそれとなく探りを入れてみたりしたが、やはり部外者に対して口も堅く、逆にそういう奴らがいる事は核心できたが、少年に関する情報を得る事はできなかった。

 同じように時空の剣に関する噂も全然聞こえてこなかった。全くの収穫なし。


 疲れて重たい足を引きずって宿に帰ると、フェザナたちは買い物をする前に相場を見るため、やはり同じように街を巡っていたと言った。

「一風呂浴びて今日はもう寝る。すげー歩いた」

 夕食後、とりあえず皆で集まった私の部屋に入るなりベッドに体ごと突っ伏した。 面白がってティアルも私の隣に寝転がる。

「何だよ、それー。報告会もなし?」

 カザキが呆れたように言う。

 旅で体力ついたと思ってたけど、考えてみれば馬車を使っていたから一日歩き詰めってのは初めてかも。しかも大きさが不ぞろいの石畳。影響がもろに膝に来る。


「報告するような事もねぇよ。街の位置関係と交易の相手がわかった位で、あとは何もナシだからなー」

 そう言って体を起こす。ティアルはにこにこしながら私を見上げ、

「うんとねー、黄色のレメル食べたの。ヴィアスにも、はい」

 そう言ってポケットから黄色のキャンディらしき物を取り出した。笑顔で受け取って口に含む。蜂蜜味だ。ありがとうの代わりにティアルの頭をくしゃくしゃ撫でた。

「じゃーとりあえずお開きだな。俺とヴィアスはこの後ちょっと出掛けるから」

 ケイガはそう言うと私に意味ありげな視線をよこした。え? そんな話聞いてないけど?

「また飲むのかよーお前たち、稼いだ分飲んで終わっちゃうんじゃねぇ?」

 カザキが呆れたように言う。もしかしてケイガの悪巧み?


「飲み屋ってのはいい情報源だろうが。飲めねぇお前たちの代わりに情報収集に行ってきてやるんだよ。ヴィアス行くぞ」

 カザキは「屁理屈だっての」と呟いたが、それ以上は突っ込まなかった。私はイマイチ乗れずにベッドに座ったままでケイガを見上げた。……だって悪巧み、絶対してるし。

「フェザナが飲めねぇかどうかは知らねぇぞ」

 私は何とか逃げようと思わず口走った。ティアルを促して部屋へ戻ろうとしていたフェザナは小さく「えっ?」と声をあげて振り返った。


「旅の最初からティアルがいたんだ。一緒に飲みに行った事ないんだから、フェザナが飲めないかどうかは知らねぇよ」

 話の流れで皆フェザナを見る。フェザナは少し驚いたように皆を見回し、

「たしなむ程度でしたら……」

と答えた。よしっ。


「じゃ、フェザナも行こう。ティアルはカザキが見てくれるだろ」

 そう言って立ち上がろうとしたら、ケイガがものすごく怖い顔で両肩を掴むと私を押し戻した。

「それじゃダメなんだよ、お前に拒否権はないっつっただろ。悪いようにしねぇから」

 口をできる限り動かさず、歯軋りするようにギリギリと力を入れて他の二人に聞こえないような小さな声で言う。怖いよ……っつーか怒ってる?

「お前が何狙ってるか言わないからだろ」

 私もケイガに聞こえる程度の小声で答える。


「だーかーら、」

「そうですね、たまには外に出るのもいいかもしれませんね、カザキにお願いできればですが」


 言いかけたケイガの背中に、フェザナの言葉が被さった。やった!

「じゃ、三人で出掛けようぜ。カザキ、悪いけどティアル頼むな」

 私はケイガを横に押しやってにこやかに答えた。カザキはやはり呆れたような顔で苦笑すると、ティアルを促して部屋を出て行った。

 私は恨みを込めて脱力しているケイガの肩を軽く叩いて立ち上がると、フェザナを視線だけで促して外に出た。


 宿の一階も飲み屋になっていたが、情報を集めるのだったら外の港に近い方がいいだろうとフェザナが言うので、三人で港の方に向かって下っていく。

 フェザナは少し頬を紅潮させて、いつもより少し浮き足立ってるっぽい。この旅が始まってからずっとティアルのお世話係で、こんな風に出掛けるのは初めてなんだ。


 しかも今までとは格段に違う大きな街。昼間活気のあった商店街は夜になるとひっそりしているが、港に近い飲み屋が軒を連ねる繁華街は夜の方が一段と活気にあふれ、オレンジ色のランタンが吊るされていて何だか艶やかで幻想的だった。


 オレンジ色の光に照らされた嬉しそうなフェザナ。ティアルなんて言い訳にしてないで、もっと誘えばよかったかな。

『飲ませてみたら? 案外、弱いかもよ?』

 ……いや、違う。そういう意味じゃなくって、もっと一緒にお互いの事を話せたらとかね……


「ヴィアス、どうしました?」

 思わず赤面して片手で顔を押さえた私を、フェザナが覗き込む。うわ……

「……何でもねぇ」

「何、思い出し赤面してんだよ。スケベなヤツ」

 ちっ、違う(多分)っての!

 ケイガに抗議しようとした私の言葉を、悲鳴と嬌声と歓声が混じった声がさえぎった。思わず前方を眺めると、すごい人垣ができている。

「何だ?」


 人垣をかいくぐって輪の中に出ると、真ん中に女性が立っていた。

 女性の足元には、がたいのいい男性が転がっていて、女性は高々と鍵の付いた皮紐を掲げている。

 周りからは歓声が上がっている。彼女が何か勝ち取ったのかな?


「ああ、アレはリエラっつって、この店の一番人気の踊り子さ。自分の部屋の鍵を奪えたヤツだけを客にするんだ。すばしっこくて、いつもこの騒ぎになるんだよ」

「でもリエラはサルガドが身請けするって噂だぜ? サルガドが買っちまったら、この楽しみもなくなるなぁ」

「いや、リエラの事だから、金積まれた位じゃ動かないだろ」

「あのきっぷの良さは天下一品だからなー」

「でもサルガドはほら、力あるから、並みの事じゃ諦めねぇだろ」


 ……騒ぎの内容を聞いただけなのに、彼女がリエラで踊り子で、きっぷが良くて人気者で、どうやらサルガドって権力者が狙っている事までわかった。

 さすが、夜の情報源は違うな。


「そうだな、ここで客取ってるって事は、それなりの情報を得てると考えてもいいかもな」

 いつの間にか隣にいたケイガが呟く。え?

「作戦変更。ヴィアス、彼女と手合わせしてみろよ。彼女の鍵を奪えばいいだけなら簡単じゃん。それで彼女にあの少年か、時空の剣についての情報を聞く」

 は? 何言ってるんですか。

「お前彼女の鍵奪うってどういう事かわかってんのかよ」

 踊り子っつってるけど、部屋の鍵ってことはそういうオシゴトって事だよね? それはそのまま彼女を一晩買うって事じゃない! できるわけないっての!!

「だから、作戦変更だっつってんの。ホントはマッサージ屋でナンパでもしてもらおうと思ってたけど」

 マッサージ屋って、私が知ってるような足ツボとかリフレクソロジーとかじゃない……よね。いや、それもヤバいっての!


「そういう問題じゃないだろ! お前女買うって、どういう事か、」

「わかってるにきまってるだろ。ガキかお前は」

「だったら、」

「お前が素直について来ないのが悪い。なに今更純情ぶってんだよ。フェザナまで連れてきちゃって。マッサージ屋だったらまだ疲れを取ってもらいつつお話してーって簡単な話だったけど、お前が面倒にしちゃったんだからな」

 フェザナがいなければ、私が心置きなくナンパすると思ったって事? いてもいなくても心置きなくナンパなんてしないってば!


「ほら、行けよ」

「できるかよ、女買うなんて」

 できませんできません。ケイガはうんざりして怒ったような顔をする。

 いくら情報のためとはいえ、そこまでする事ないじゃん。飲み屋で気のいいおっさんと話すとかでいいと思うんだけど。さっきも聞きもしない事までしゃべってくれたわけだし。


 フェザナがやっと人垣から抜け出してきた。

「何だったのですか?」

 肩にかけた布がずれるのを押さえながらケイガに聞く。

「ああ、今からヴィアスが彼女を買うのに、あの鍵を奪うんだ。情報が集まるっつったら、やっぱこの手の店が一番だからな」

 わ、私、承諾してないよ?! あまりの事に絶句した。この大うそつきが!

 フェザナは、一瞬きょとんとした後、猛烈な勢いで赤面してうつむいた。

「俺、行くなんて言ってないだろ?!」

「情報の為だよ」

「イヤだ」

「フェザナの前だから?」

 ケイガは小声で返した。

「な、」

 む、かつく!! フェザナは顔を伏せているのでその表情は伺えない。そうじゃなくって、女買うってのが根本的にね、おかしいと思わないの?!

 私が顔を赤くして絶句していると、ケイガはちょっと上目遣いに見てにやりと笑った。うわ、絶対誤解した……


「……そう、ですね。情報が無ければここから先、どこへ向かっていいかわからないわけですし」

 消え入りそうな小さな声が聞こえてきた。フェザナ……?

「情報を得るのが目的ですから、別に……」

 うつむいたまま、言いながらどんどん小さくなっていく。いやそうじゃなくって、っていうかそうだとしても私がイヤなんだってば……


「あら、もう終わり? 最近の男はだらしないのね。もっと手ごたえのある男はいないのかしら? 私が惚れちゃうような」

 明るい声が響いて、輪に集まった人たちが笑った。足元の男が悔しそうに顔をゆがめている。

「ただの筋肉バカじゃイヤよ。強さと知性と気品ある男でなきゃ」

 彼女の言葉に皆笑う。彼女は歩きながら鍵の付いた革紐をくるくると回している。

「筋肉バカほど力任せに騒ぐばっかで、鍵に触れもできないんだから。ただ突進すればいいってもんじゃないのよ、牛じゃあるまいし」

 観客は大爆笑。きっとあの男がそういうタイプだったんだろう。男は片腕を体の下にして、空いた手は地面で堅く握っている。……やばそう。

 彼女が倒れた男に近づいた瞬間、男の隠した手に光るものが見えた。


「おいっ! ヴィアス!」

 走り出した背中に驚いたケイガの声がかかる。

「うわーーーーーーーーーー!!」

 男が大声をあげて立ち上がりざま彼女の片足を掴み、バランスを崩した彼女に振りかぶってナイフを掲げた。

 一瞬早く動き出した私は、彼の立ち上がりかけた膝を蹴り崩し、続いてナイフを握った手を蹴り上げると、そのまま下ろす足で彼女を掴む腕を蹴り落とした。

 バランスを崩して倒れかける彼女を片腕で抱いて支えると、空いた腕で男の首を逆手で掴んで横へなぎ倒す。すでにバランスを失っていた男は、どさりと倒れて仰向けに転がった。

 少し弾む息を整え、男を見下ろす。


「さっさと行けよ。もっと恥かきたいなら別だけど」

 観客は大爆笑した。男は憎憎しげな目線をよこした後、すばやく人垣に突っ込んだ。一瞬人垣が彼を通すように開いたが、また何事もなかったように戻った。

 そんな男を見送って、はたと、彼女を抱いたままなのに気づいた。

「ああ、君大丈夫?」

 ちょっとうつむいていた彼女は、

「平気よ、強いのねあなた」

 そう言って顔を上げた。


――― ウソでしょ……


 ちょ、ちょっと待って、た、瀧くん?!

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