第33話『その強さは、どこからくるのだろう。』
宿の部屋は大きな街にふさわしく清潔でサービスが行き届いている感じがした。ただ高い部屋に泊まる事はできないから部屋は少し狭い。私が一人部屋で、後の四人がいつものように二人部屋に分かれていた。久しぶりに一人っきりの夜。
街は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。開け放った窓から入る月の光。
私はベッドに横になって、何を見るでもなく窓の外を眺めていた。
あの後、ケイガもカザキも、フェザナでさえあの少年を追いかけようとしたけれど、私はそれを止めたのだった。
何故だかわからない。わからないけど、彼の生活を私の手で変えるのがいい事だとは思えなかった。それがこの旅の目的のためとはいえ彼にスリ以外の生活の手段を与えるのは、何故だか傲慢な施しのようでためらわれた。
……彼も一緒に旅をした方がいいとは思う。この混沌が戻る時にどんな作用が起こるか全くわからないのだから、一緒にいた方が安全なんじゃないかと思うのだ。できれば旅に同行してほしい。
彼が本当にスリや、もしかするともっと悪い手段で生活費を稼いでいるのだとしたら、一緒に旅に出る方がずっといい気もする。
誰に後ろ指さされることもなく、後ろめたい事ややましい事からも離れて、胸張って「普通の生活」を生きていく事ができると思うし。
でもそれこそ思い上がった傲慢な考えなのかもしれない。幸せしか知らない人間の押し付けがましい愛情の押し売り。
彼にお金を渡したのだって本当は同じだ。ああでもしなきゃケイガの財布を返してくれなかったもんねって思うけど、それだってただの言い訳。
私は彼にお金を渡す事で、彼らを取り巻くどうしようもない環境から自分を遠ざけたんだ。根本を変える事ができないから手っ取り早い手段で問題をうやむやにしただけだ。それに気づいてしまったから彼を追えなかった。
ベッドの上で体を丸める。
私には何もできない。それがはっきりしているだけに、どうしていいのかわからない。もうわからないまま、気づかなかった振りをして彼を旅に誘おうか?
でも気づいてしまった以上、何かに現れると思う。彼を前にして、嘘をつき通す自信はない。
「どうしろってんだよ……」
不意にドアをノックする音がした。ゆっくりと体を起こすと、フェザナがドアを開けた所だった。けだるげにベッドに腰掛け、見上げる。
「どうした?」
フェザナは何も言わず、少し逡巡してからするりと部屋へ入ってきた。ドアのそばで少し躊躇ってからベッドに近づく。
「……何を、思っているのですか?」
彼は私の隣に腰掛けながら言った。
私は大きく息を吸って、吐き出しながら頭をかいた。
「それを言葉にできたら苦労しない」
彼はそんな私を、少し首を傾げるようにして覗き込む。
「昼間の、あの少年の事ですか?」
「ああ、」
私は体を起こして、ついでに伸びをする。
彼が私の世界では、角田というクラスメイトの女の子だという事はすでに伝えてある。それがわかっていながら彼を追わなかったので皆不思議に思っているのだろう。
「ヴィアス、彼を連れて行くつもりですか?」
「……お前はどう思う?」
「私は、」
フェザナは聞き返されて少し驚いたような顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。
「連れて行った方がいい、とは思います。しかし彼の意思を尊重すべきだと思います。それはヴィアスも同じ考えなのでしょう?」
ケイガとカザキの時も、井戸が壊れたりしなかったら一緒に旅に出なかったかもしれない。無言でフェザナの瞳を見る。
彼は少し笑うと、視線を自分の両手に移した。
「ただ今回の場合は、ちょっと難しいですね。大人の意見としては、無理にでも彼を旅に参加させて今の暮らしから足を洗うきっかけになる方が、彼にとってもいいような気はします」
そこでフェザナは私の顔を見た。
「でも、ヴィアスはそれでいいとは思っていないんでしょう?」
彼は少し辛そうな、それでいて少し嬉しそうな顔をした。私は目を閉じた。
「彼は私たちの旅の仲間になる資格をもっている。だから命がけの冒険であるとはいえ、今の暮らしから抜け出す機会を得られた。でも彼以外の、彼と同じ境遇の子どもたちにはその機会がない。それでは何も変わらない」
その言葉に、私は思わず目を開いた。フェザナはやはり美しい顔で私を見ていた。
「違いますか?」
ああ、そうだ。彼を救おうと思ったら、彼と同じ境遇の子どもたち全員を救わない限り何も変わらない。でもそんな事はできるわけない。だから彼一人を、一人だけ救済するのにためらいがあるのだ。
「……お前、俺の事よくわかってんのな」
私はまたうつむいた。フェザナはそんな私の頭に優しく触れた。
「ヴィアス、人生は過酷です。誰の元にも過酷な運命が待っています。貴方だってその渦中にいる。自分の運命を全うするのが先決です。全てを負う必要はありません」
「それでも、彼を救おうとした俺は傲慢じゃないか……?」
「傲慢かもしれません。でもそれは、貴方が貴方に対してそう見なしているだけです。私には優しさに見えます」
「……俺も、今までは慈善とかって優しさだと思ってた。でもそれは、やってる人間の自己満足なんだ。あんな、子どものあんな目見たことなかったから、」
「ヴィアス、」
フェザナは私の頭をそっと抱いた。私は彼の胸に顔を埋めた。涙は流れていないけど、多分私は泣いているんだ。
「彼らの運命は彼らのものです。貴方の責任じゃない。戯れに施しをするのが傲慢だとしたら、彼らのものである彼らの運命の責任を、貴方が負おうとしているのも傲慢です。彼らは彼らの運命を生きています。貴方は、貴方の運命を生きなくては」
彼の言う言葉は、私の胸に突き刺さった。
――― ああ、自分はなんて浅はかなんだろう。
彼らに施しをするのも傲慢。しかし彼らの運命を負うのも傲慢。
私はいつの間にか、彼らは彼らの力で現状を打破できないと決めてかかっていたのか。そしてその可能性は彼らの見えない運命の中にある。それを私が先に知る事はできないのに。
当たり前の事なのに、そんな事にも気づけなかった。
「貴方の運命に、私は着いて行きます」
私の体を起こさせて、私の目を見て美しい人はそう言った。
「何があるか、わからない」
「承知しています」
「頭が悪くて当たり前の事にすぐ躓く」
「起こして差し上げます」
「口も悪くてバカばっか言う」
「もう慣れました」
「死ぬかもしれない」
「私が守ります」
「……旅が終わったら、いなくなる」
「それまでは、私の運命も貴方の運命に重なっています、ヴィアス」
彼は私を真っ直ぐ見て微笑んだ。
フェザナは強い。カザキの言っていたのはこれなのか? その強さは、どこからくるのだろう。私は彼の頬に触れた。彼の温もり。旅が終われば、感じる事ができなくなる温もり。それでも……
――― ……それでも、何なのだろう?
私はそっと息をついた。自分の運命すらままならない。こんなんではあの少年の分まで負う事なんてできやしない。だったら彼の力を信じるしかないのだろう。
私はフェザナの首筋に顔を埋めた。
「ヴィアス、」
少し驚いたような声を上げる。
彼が私たちを選んだら、その時は一緒に旅をしよう。彼が彼の道を選んだら、その時は彼の前途を祈ろう。
そのためにまず、彼に会わなくては。彼を探さなくては。
「もう少し、このままで、」
私は彼の背中に腕を回した。暖かい彼のぬくもりが、肌を伝わってくる。彼の鼓動を聞きながら、何だか全てが落ち着いていくのを感じた。
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