第32話『私が彼に同情するのは、間違っている。』

 まだ日も落ちる前にたどり着けたので今日の宿を決め、それからオルを両替して街を散策する事にした。オルはそのままでもお金として使えるが、持ち歩くには荷物になってしまう。だから持ち歩きやすい通貨に換金する事ができるのだ。


 ただ、オルそのもので持っていた方が魔法にも使えるし、剣の成長にも必要だから、全てを換金してしまうのではなく、布袋に二つ分ほどは残しておいた。


「でかい街にそぐわない冒険者のままでたどり着くかと思ってたけど、そうでもないなー」

 ケイガはその金額を見て笑った。お金はケイガとカザキにも同じように分けて渡すつもりだったが、二人は頑として受け取らなかった。

「別に金持ちになりたい訳じゃないし、旅はまだまだ続くんだ。それに、そんなに持ってたら誘惑に負けちゃうよ」

 ケイガは笑ってそう言った。だから結局、彼らのいう金額を渡すに留まった。きっと身の回りのものを買う程度なんだろう。


 私自身そんな大金を持つ事はなかったから、少し緊張していた。

 向こうの世界でこれだけ持ってたら、結構楽しめるよね……セールを待たずに服を買う事もできるし、図書館に通わなくても本は好きなだけ買えるし、かわいい雑貨を片っ端から買うこともできる。

 間違いなく私が働いて稼いだお金だから、誰に気兼ねする事もない。


 でもこの中には食べる物や着る物、その他日々暮らしていくために必要な物を買うお金も入っているんだ。そのためには、好き勝手に欲しいものばかり買う訳にはいかない。いくら自分で稼いだお金だとは言え。

 ……本当だったらお小遣いを貰って、欲しい物のうちどれを買うかで悩むような年代なんだけど。でもここには私の欲しい服も本も無いから誘惑は少ないかな。


 賑やかな街の中心部に広場があった。何となく宗教っぽい感じのする建物を中心に、左右に一際大きな建物が並んでいる。でもその一階部分はほとんどが軽食屋で、カフェのように石畳の広場にイスと机が出ていた。


 広場の真ん中は市場がたっていた。小さなとしたテントが軒を連ね、食べ物や飲み物、お菓子や雑貨、ありとあらゆる物が売っている。その路地では、大道芸人が人々を集めている。

「ヴィアス! あの人、火をたべちゃったよ!! おなかだいじょうぶなの?」

 ティアルは必死になって私の服を引っ張った。街に入ってからはしゃいでいたが、市場を見て更にテンションが上がったみたいだ。

「平気さ。火は彼のご飯なんだよ」


 そう言って市場に近づくと、目の前で駆けて来た男の子が思い切りよく転んだ。

「大丈夫か?」

 手を貸して立ち上がらせる。男の子はティアルを見てから、涙と痛みを堪えて頷いて見せた。まだ小さいのにもう女の子を気にしてるんだ。かわいいなぁ。

「さて、パパとママはどこかな?」

 私がそう言うと、彼はきょとんとした顔で首を振った。

「パパはいないよ。ママだけ」

 うわ、やばいトコ突いちゃったよ……

「ああ、そうなんだ。ママはどこに行っちゃったんだ?」

 すると彼はきょろきょろと辺りを見回し、誰かを見つけたように顔に笑顔を浮かべると、

「ママーー!」

と言って走って行った。何だ、意外と近くにいたんだ。


 彼は二十代後半くらいの女性の足元に抱きついて、何か私たちの方を見ながら話している。するとそこへもう一人女性が現れ男の子を抱き上げた。

 抱き上げた女性と、男の子と話していた女性が二人でこちらにやって来た。

「どうも。うちの子がお世話になったみたいで」

 にっこり笑って話し掛けてきた。

「いや、お世話なんて別に」

「この子ったら、どうやらおたくのお嬢さんを気に入っちゃったみたい」

 男の子を抱いていない方の女性が、面白そうに笑ってこっそり耳打ちした。え? おたくのお嬢さん?! ちょっと待って、私は子持ちに見えるの?

「いやティアルは、」

 慌てて弁明しようとする私を、男の子の言葉が遮った。

「ぼくのママとママだよー」

 ま、ママとママ??

 男の子はティアルに教えているのだ。でもティアルは恥ずかしそうに私の背後に隠れて出てこない。

「恥ずかしがり屋さんなのね。まだこの街にいるんだったら、また会った時に遊んでちょうだいね」

 女性はかがんで私の背後のティアルに優しく話し掛け、ティアルが小さく頷くのを見て「それじゃ」と言って手を振って離れていった。男の子は抱かれたままずっとこっちを見ている。


「ママとママって……」

 いや、自分が子持ちに見えたってのも驚きなんだけど。

「そりゃ、ママとママだろ」

 ケイガが当たり前のようにそう答えた。え?

「……女同士で結婚してるって事か?」

「お前なー、自分が異性のが好きだからってそんなもん、ただのお前の好みだろうが。お前が黒ばっか着るのを、他のヤツにとやかく言われる筋合いはないのと一緒だろ」

 ケイガはそう言って私の肩を叩いた。

 確かにそりゃそうだろうけど……とりあえずドノスフィアでは同性同士ってのは広く認められた、っていうか、この言い方じゃもともと偏見も無いんだな。それじゃケイガが異様に私とフェザナをくっつけたがるのも納得がいくか。


「でもそれじゃさっきの子どもは……」

 もしかして養子とかなのかな。なんかデリケートなとこ突っ込んじゃったな。

「お前、どうやって子ども授かるか知らねぇの?」

 ケイガは私の顔を覗き込む。ええええ! ……いや、知らないとは言わないけど、そんな事どストレートに聞く?

「じゃ、見せてやるよ。この街にもあるだろうし」

 そう言って広場を横切って先に行く。


 みみみ、見せるって?? いや、そこにこのままティアルなんかを連れて行っていいもんなのか?


 私の戸惑いをよそにティアルはケイガの後を追って駆けていった。その後にをカザキも着いて行く。

「たいてい街の中心にありますから、この近くでしょう」

 フェザナはそう言って私を促した。私は促されるまま歩き出したものの、彼らがどこへ向かっているのかさっぱりわからなかった。


 もしかして繁華街とか? そんないかがわしい所にティアルとか連れてっちゃったら、教育上よくないんじゃないか? でもフェザナが平気な顔でいるって事は、そういうんじゃないのかも……


 彼らについて広場から離れ、何となく大通りに沿って歩く。大通りは人も多く、その肌や髪の色も多種多様だ。

 ケイガとカザキはティアルを真ん中に歩いている。そういえば、子持ちに見られちゃったんだった。そんなに老けてみえるのかな。いくらなんでも実年齢とのそんな年齢差は、精神的に追いつけないかも……

「あったよ」

 カザキが振り返って言った。あったって……

「ほら、あれ」


 そう言って指差した先には、少し狭い広場の真ん中に位置する不思議な色の木があった。

 角度によって様々な色に輝く、まるでオルでできたような木。日の光を浴びて、キラキラと光っている。近づいて見てみると、幹が人の頭ほどの高さで何かを抱くように広がっている。細く堅そうな枝が広がり、その幹の空間には青く透き通った、ラグビーボール大のオルらしき鉱石が浮かんでいた。


「これ……」

「やっぱ知らなかったんだ。コルシャの木。子どもがほしい二人はそのオルを取って、四つ月を二回繰り返す間、家でその思いをオルに込めるんだ。そして思いが届けられたら、子どもを授かることができる。どちらかの思いが本心じゃなかったら届けられる事はない」

「オルから生まれるのか?!」

「そうだよ。どこから生まれると思ったんだよ」

「でもオルってヴィスを倒して出るヤツだろ?」

「ああ、それはちょっと違う。子どもが生まれるのはコルシャの木に生るオルだけだよ。っつっても、コルシャの木になるのがオルかどうかはわかんないんだけど。似てるからオルだと思われてるだけかもしれないって」


 うわ、ドノスフィアの人は言ってみれば卵生みたいなもんなんだ……でも、今の話だと同性だと子どもが作れないって迫害は受けないわけだ。それに若いから子どもを持たないだろうって偏見もない。

 だったら私がティアルの親と思われたのもありえるのかもしれないな。まぁそれでも、ちょっと老けて見えたってのは間違いないけど。


 しかも、双方が本心から望まない限り授かることができないのだったら、ドノスフィアの子どもたちは全て、心から愛されて生まれてきた子どもたちなんだ。


「コルシャのオルを祝福し子どもを授ける事ができるのは、特別な力を持った魔術師です。その魔術師『ヴァレリ』はコルシャの木がある所に転生を続け、一本のコルシャの木に必ず一人いるのです。彼らは前任のヴァレリが亡くなると、その記憶を受け継ぎ次のヴァレリになります」


 フェザナは私の隣に立ち、その輝く木を見上げた。

 私の世界とは決定的に違う。ともすれば暴力の果てに望まれない子どもができてしまうような事は、ドノスフィアじゃありえないんだ。誰もが、愛されていると自信を持って生まれてくる事ができる。

 私はコルシャの木を見上げ、その神々しさに圧倒されていた。


「それじゃ、市場に戻るか。港の方にも行ってみたいけど、まずは情報収集しないとなー」

 そう言ってケイガは、コルシャの木から離れた。来た道を戻ろうと振り返った私たちに、うつむいて走ってきた少年が突っ込んできた。

「うわっ!」

 勢いでケイガが転ぶ。ぶつかった当の少年は一瞬鋭い目線を私に向け、そのまま走り去ろうとした。今……

「なんだよ、あれ……って、おい、ヴィアス!!」


 私は少年を追って走り出した。人ごみをすり抜けて走る少年はさすがに速いが、速さだけなら私の方が上だ。

「待てよ、おい!」

 二ブロックほど走ったところで少年の腕を捕まえた。少年も息を切らしている。腕を掴まれたまま顔を背けて上げようとしない。背後からケイガたちが追いついてきたのがわかった。


「ヴィアス、なんだよ一体……」

「盗んだもの、返せよ」


 顔を上げずにいる少年に言う。ケイガは一瞬何の事かわからなかったようだが、あ! と大声を上げて懐をまさぐり、財布がない事に気づいたようだった。

「返せば、それでいいから」

 少年は息を整えうつむいたままでいたが、ゆっくりと顔を上げた。


――― つ、角田……?


 うそ……この少年、クラスメイトの角田じゃん。

 年齢が違うのはティアルの例であるとはいえ、性別まで違うなんて……いや、魂だけが入ってるんだったら、性別だって関係ないのか?


 くせのある少し長めの茶髪、同じく茶色の大きな瞳。年はティアルよりも上か。どちらかと言うと西洋風の面立ち。肌の色は日に焼けて褐色に近いが、汚れとくすみで暗く見える。子どもらしく頬が少し紅潮しているがその視線は険しく、何かに追われる小動物のようだ。厳しい目で私を睨む。


「じゃ、その財布とこっちと交換。それならいいだろ?」

 私は彼を離さないまま、自分の財布からオルを取り出した。これだってそれなりの金額になる。

「何やってんだよ! スリに金渡してどうするよ!」

 ケイガが責めるが私は彼から目を離さなかった。


「……同情?」


 初めて聞いた彼の声は、少しかすれて憎しみに似た響きを帯びていた。私は彼の腕を掴んだまま、彼の目線と同じになるようにひざを折って座った。


「さぁ、どうだろ。今さっきまでコルシャの木見てて、ドノスフィアの子どもたちは全員愛されて望まれて生まれてきたんだってしみじみ思ってたから、いきなりこの展開でどうしていいのかわかんねぇんだ」


 生まれてきた瞬間は、確実に両親の愛情を受けて生まれてきたはず。二人の一心の思いが込められた子どもが、どうしてスリなんか? しかもこんな年端も行かないうちに。

 ただのスリルを求めた悪戯なんかじゃないって事は、彼の目を見ればわかる。彼はこれで生活している。


 生まれてきた事に何の問題もないのだとしたら、育った環境がいけないのか? 一体何が、彼をそうさせてしまったのだろう。本心から彼の誕生を求めた両親がいて……いや、いなくなったのかもしれない。彼を置いて?


 彼は私から視線を外さずにいる。その目には、およそ幸せな子どもが瞳に映さないものが映っていた。恐怖、絶望、憎しみ、恨み、そして懇願。その目を見ていて、唐突に気がついた。


 私が彼に同情するのは、間違っている。


「……そんなの、知らねぇよ」

 彼は少し私から視線を外した。


 間違っている。私は、彼に同情できるような人間じゃない。私は彼の事なんてこれっぽっちも知らない。彼の苦しみも、彼の痛みも何も知らない。何も知らないのに、勝手に彼の心情を想像して同情するなんて、私はなんて傲慢なことをしていたのだろう。


 私は彼の肩に額をあててため息をついた。

「……だよな。お前の知った事じゃねぇよな……俺がどう思おうかなんて。多分俺が何もわかってない、能天気なだけなんだろうな」


 角田の魂を体に秘めたこの少年が、私には思い知ることができない環境にあって、それがどうしようもないものなんだと思っても、悲しさがこみ上げる。


 私は向こうの世界でだって、幸せに暮らしていた。

 些細な不満はあったけれど、それは幸せだからくる不満で、それで不幸だとは言い切れない。いや、もしかしたらそんな事で自分を不幸だと言ってしまえるほど幸せだったのかもしれない。人並み、標準、そんな言葉でまとめられてしまうけど、本当はそれだってかけがえのない幸せなのだ。


 そんな環境にいた自分には、この年でスリをして暮らす子どもの気持ちを推し量ることはできない。いや、しちゃいけないのかもしれない。

 可哀想だの不憫だの言ってしまったら、それは自分が彼らよりも恵まれたところにいるという見下した態度だと言われても、文句は言えないのだ。


「同情なのか何なのか、俺にもわかんねぇ。ただ悲しいから、お前に俺の金はやるよ。だから友達の財布は返してくれ。お前が盗んだ金じゃなくて、俺があげる金を持って行ってくれ」


 私は彼を離し、手のひらにオルを乗せて彼に勧めた。少し笑おうと思ったけど、全然上手くいかなかった。彼は私の顔をじっと見て、それから手のひらのオルを見、しばらく考えた後ポケットからケイガの財布を出すと私に向かって差し出した。

「ありがとう」

 言った言葉はかすれていて、自分の声じゃないみたいだった。やっぱり上手く笑えなかった。

 彼は黙って私の手のひらからオルを取り、もう一度私の顔を見てから走り去った。


「何だよ、どうしちゃったんだよ?」

 立ち上がる私にケイガが戸惑ったように声をかける。私は彼に財布を渡した。

「あいつ、俺たちと同じ、向こうの人間だよ」

 私の声は、やはり少しかすれていた。

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