第30話『それでもこの気持ちは「好き」なのか?』

「……イルンまでは、まだ遠いのかな」

 私は木の根元に落ちたオルを拾いながら言った。

「俺に聞くなよー」

 ケイガは剣を肩に近づいてくる。いや、今のは単なる独り言なんだけどね。


 森に入ってから、もう何日経ったのか覚えていない。多分フェザナはちゃんとわかってるのかもしれないけど、私はとっくに数えるのをやめてしまった。砂漠よりも時間がかかってる気がする。

 ただこの湿潤な森は野生の獣も多く水も豊富にあるので、食べるのに困るような事はなかった。狩りで獲った肉はケイガとカザキが見えない所で捌いてきてくれる。


「ギリョン山脈がでかすぎるんだよ。あの尾根で方角決めてるってのに、いつまでも近づいた気がしないんだからさー」

 言いながら近づいてきたケイガにオルを渡す。私の方が派手に動くので、オルはケイガが持つ事になっていた。

 ケイガは肩に載せていた剣を鞘にしまうと、オルを腰の袋に丁寧に入れた。


「イルンとの交易ってホントにあるのか? 全然商隊と会わねーじゃん」

 私はケイガを見ながら馬車が走って行った方へ向かう。

「当たり前だろ。でなきゃ砂漠の真ん中であんな街がやってけるわけないじゃんか」

 ケイガは不服そうに言った。

「会わないのは時期じゃないからだろ。旅に適した時期と適さない時期はあるからな。もうすぐ四つ月になるから、旅には適さないんだ」

「四つ月?」

「一ヶ月に四回、月が重なる月。月の片方『ヴェステル』にある印が一周するのが一ヶ月。その間にもう片方の月『フェルト』と何回重なるかで、二つ月と三つ月と四つ月があって、周期的に繰り返してる。で、月が重なるほど、ヴィスも出やすくなる」


 ……ちょっと待って、一ヶ月に四回月が重なるって事は、この先一ヶ月で四回記憶を失うって事?


「……あっ……えー、と……」

 ケイガが慌てたそぶりを見せた後、気まずそうに顔を背けた。

「いいよ、気にすんなって」

 私はとりあえず、問題を先送りにする事にした。

 満月が重なる度に記憶を失う事はカザキもケイガもすでに知っている。だから月に関する事はあまり話した事がなかった。ドノスフィアへ来て結構経つってのに、一ヶ月の数え方なんて初めて知ったわ。

「一ヶ月っても八十四日あるし、まだ四つ月にも入ってないから、まだまだ余裕あると思うけど、」

 一ヶ月に八十四日もあるの?! つまり三ヶ月じゃない。それならちょっとは気が楽になったかも。

「フェザナはそういう事とか、教えてなかったわけ?」

 う、痛いところを突く……そりゃ一ヶ月が何日あるかなんて、住むには必要かも知れないけど。旅を終わらせて別の世界に帰るだけだったら、時間がかからないようにすればいいんだから特に必要なかったし。


「意外と基本的な事は知らない……かも。この冒険に必要な事は、順に教えてくれてるとは思うんだけど」

「まぁ、何でもかんでも教えてたら、どうしたって月やら何やら、今は知らせないでいたい事まで話さなきゃならなくなるかもしれないしなー」


 ケイガはそう言ってまた歩き出した。

 先回りして要点をきちんと理解している。そしてさりげなくフォローする。ケイガはこういう所がすごい。

「もし商隊に会って、お前にその剣をくれたヤツがいたら自慢できたのにな」

 私は笑ってあごでケイガの剣を指した。ケイガは満足そうに微笑んで、そっと剣に視線を落とした。

 ケイガは剣を成長させる事ができたのだ。


 うっすらと光を帯びたままの剣に不安そうにしていたケイガも、しばらく剣を見つめていたらやり方がわかったようだった。黙ってオルを袋から取り出すと地面にばら撒き、その上に剣を寝かせて両手で押さえ剣の反応を待った。

 彼と彼の剣を中心にしてふわりと柔らかな風が吹いたかと思うと、散らばったオルが剣に吸い込まれていき、彼の手の下で剣は形を変えていた。


「ヴィアスみたいにオルをたくさん使ったりしないし、あんな風に自分の力を解放して、しかもそれをコントロールするなんてできないけどさ。それでも俺なりによくできた方だと思うよ」


 私が言うのもなんだけど、私がやる時ほどの派手さはなかった。

 それでも冒険者だった前の持ち主が成長させる事ができなかった剣を、ケイガが自分の力で成長させる事ができたのは事実だ。それを私も嬉しく感じた。


「でもイルンじゃきっと色々オルが必要になるハズだし、ティアルたちの防御にだって必要なのに、俺の剣まで成長するのに使う余裕ないんじゃないのか?」

 ケイガはちょっと不安そうに言う。

「お前の剣が成長するのに使うオルなんて、俺のに比べりゃ大した事ねーよ。それに剣を成長させるのは必要経費。俺たちがで戦ったって稼げねぇだろ」

 笑って言うと、安心したようにケイガも笑った。


「ああ、それはそうと、フェザナ最近どうしちゃったんだ? なんか、お前より男らしくねぇ?」

 ……また来たか……

 ケイガは戦いの後という数少ない私と二人っきりのタイミングで、必ずその話を持ち出す。

「俺にどうしろってんだよ、そんな事」

「どうしろとは言わねぇけどさー、でも何つーか、『今までヴィアスが受け止めやすいように誘う攻め方してたけど、どうにもなびかないからこれからは押しの一手で攻める』って感じかー」

 な、何ですかそれは!!

「……お前、何でそんな風に考えられんの?」

「いや、どう見たってそんな感じだって。フェザナがあぁなったのは、絶対ヴィアスのせいだね」


 共に冒険を全うするつもりが、そうじゃなくて完全なフォローに回るって意識改革しちゃったのは私のせいかもしれないけど、それとこれとは話が別でしょう……

「お前、他人事だと思って無責任な事言うなよな」

「無責任かもしれないけどさ、でも自分だって責任放棄してんじゃん。フェザナはどんな気持ちで一緒にいるんだかわかんねーよ。こんなの相手に」

 今度は「こんなの」扱いですか……ああもう、だから人の恋路に入って来ないでよー……


――― 恋路?


「お、何一人で赤面してんの? 何かいい事思い出しちゃった?」

 ケイガはニヤニヤ笑いながら私の顔を覗く。私がその頭を叩こうとしたら、ケイガは逃げるようにして笑いながら先に行った。


 ……恋路って、私、フェザナの事……

 ……今更だよね。いや、好きではある。好きだけど、でもそれは普通に「好き」なのか?


 ドノスフィアに迷い込んだ後初めて世界の事を教えてくれ、ずっと一緒に旅をして、しかも好意を抱いてくれているのが丸わかりの彼。吃驚するほど超美形で、常に私の事を第一に思ってくれている。

 そんな風にされたら誰だって気になるじゃん。でもそれって、本当に「好き」なのかな?


 あとドノスフィアに存在する剣士と魔術師の契約。あれだってきっと影響しているはず。それでもこの気持ちは「好き」なのか?

 それを「好き」としてもいいの?


「……何だか、全部がお膳立てされてるみたいでイヤなんだよ。俺の思いとは関係なく、全部でき上がってるみたいで。俺がどう感じようと関係ないみたいで。俺がドノスフィアに来たのだって、いや、この世界に来る事から全部決まってて、その上での単なるミニイベントみたいでさ。そんなモンに自分の感情まで振り回されるなんて」


 ケイガは数歩先で振り返って私の言葉を聞いていた。

「それに俺が帰っちゃったら、フェザナどうするんだよ? 別に旅の間だけのつもりでいるんだったらそれでもいいけどさ、俺はそういう風に適当にしたくないし」

 もしこれが本当に「好き」なのだとしたら、私はどうするんだろう。

 ケイガはちょっと意外そうな表情を見せた後、大きく息を吸って、それからまた明るい笑顔を見せると、

「……ま、色々考え方はあるわなー」

 そう言って、伸びをしながらまた歩き出した。


 私は何だか、彼が飲み込んだ言葉がとても重要だったような気がしていた。今、何を言おうとしたんだろう。


 先に行く彼を見やると、その向こうに馬に乗ってこちらに向かってくるカザキが見えた。

「ケイガー! ヴィアスー!」

 近づきながら私たちの名を呼ぶ。カザキは私たちの傍らまで来て馬を止めた。

「何かあったのか?」

 馬上から微笑んだカザキは、

「うーん、あったと言えばあった、かな」

 と言葉を濁した。

「何だよ、ハッキリ言えっての」

 ケイガはわざとらしくふてくされてカザキの足を叩いた。

「えーだって、何も言わないで見た方がきっといいよ。黙って着いて来いって」


 そう言うと彼は乗ってきた馬を方向転換し、それからゆっくりと歩き出した。

 私とケイガは何の事だかさっぱりわからず、顔を見合わせてからその後に続いた。


「お前、何か最近もったいぶるようになったなったよな~。昔はかわいかったのに」

 馬に乗るカザキの隣に並んでケイガが言う。

「昔って何だよー」

「昔は昔だろ。いっつも俺の後ついてまわって『ケイガーケイガー』って。素直ないい子だったのに最近は生意気になっちゃって。あのかわいいカザキは一体どこへ……」

 わざとらしくため息をついたケイガを、カザキはあぶみを外して軽く蹴りを入れた。


「お前なー、俺の事なんだと思ってんだよ。塔に五年もいたんだ。それなりに社会も知るさ」

 ケイガは蹴りをまともに食らいながらにやにや笑う。

「学校の中の社会なんてちっちゃいちっちゃい。そんなモンはホントの社会に出る為の予行演習だっての。あーそんな仮想世界でムダに年老いてかわい気なくすなんて、まだまだカザキも子どもだよなー」

「お前と同じ年だっての!」

 私は彼らのやり取りを笑いながら聞いていた。ホント、仲いいなぁ。


「それでも、ケイガを身請けしたのはカザキだろ? その点ではカザキのが一歩上いってんじゃねぇの?」

「そうだよ。俺がお前の事身請けしたんだ。俺のが偉いんだぞ」

 ふてくされながらそういうカザキ。もちろん本気じゃないのはその言い方でわかる。

「あーそうかー、じゃ俺の体はカザキのモンって事か……」

「気持ち悪い言い方すんなっつーの!!」

 真っ赤な顔をして馬上から体を伸ばして思いっきりケイガを叩く。勢いでバランスを崩し慌てて体勢を戻した。ケイガはそんなカザキを見て笑う。


 いいよな、こんな関係。幼馴染でずっと一緒で、冗談で笑いあったりケンカしながらも、お互いを認めている。ああ、そうか。何か見た事あると思ったら、こんな関係は私と……

――― 思い出せない……

 私にもそんな友達が、いた……よね?

 いた、とは思う。でも誰だったかどんな人だったのか、イメージする事ができない。女の子? 男の子? 近所住まいだった? それともクラスメイト?


――― 大事な友達の事を、私は失くしてしまったんだ。


 二人に気づかれないくらいそっと息を吸い、目をとじて吐き出した。その事実を目の当たりにして、私は自分の反応に驚いた。

 意外と冷静に受け止めている。今までだったら狼狽えるか、愕然として何も手に付かなくなっていただろう。

 確かに寂しさは感じる。それでもしょうがない。それが私が失ったモノだとしても、その人のお陰もあって今の私が形成されている。そこにその人は生きている。だから前を向いていかなくては。


「ま、お子様のカザキには俺が必要だからな、どこまでも一緒に行ってやるから安心しろよ」

 ケイガは笑いながらカザキの足を軽く叩いた。カザキは赤面したままふてくされて真っ直ぐ前を向いたまま、ケイガを見ようとしない。

 そんなカザキの視線が何かを見つけたように動いた。

「ほら、あれ」

 視線だけで促す。私とケイガも彼の視線を追って前方を眺めた。

「ぅわ……」

 木々の向こうにうっすらと見えてきた、眩しく明るく、広がる青い景色。


――― 海だ。


「す、」

 ケイガは言葉を飲み込んで立ち止まった。目は青い海に釘付けになっている。

「すげー!! すげー!!」

 ケイガはいきなり走り出した。カザキはびっくりして私を見る。

「どっちがお子様だよ」

 同時に噴きだして、ケイガの後を追った。私も走り出す。


 木々を抜けるとそこは断崖絶壁で、その向こうには果てしない海が広がっていた。明るい日差しを反射してきらきら光る海原が、どこまでも続いている。

 断崖に立つ私たちの元にティアルとフェザナも近寄ってきた。

「森を港町に向かって斜めに抜けるつもりが、どうやら思ったよりも海に近づいていたようで」

 私の隣に立ちフェザナが言った。

「ヴィアス、海だよ、海!」

 満面の笑みで嬉しそうに言って抱きついてくるティアル。ここ最近ふさぎ込んでいたのを、吹き飛ばすほどの笑顔。二人の顔を見て、それからまた海に視線を戻す。


 向こうの世界では、海に近い町に暮らしていた。毎朝海を見ながら通学していた。それは覚えてる。だから海はそんなに珍しいものではないのだけど、砂漠や森を何日も彷徨った後に見る海は、全く違うものに見えた。


「すげー……」

 ケイガはさっきから同じ言葉しか言ってない。無理もない。雨ですらあんなにはしゃいでしまった彼が、砂漠と同じくらい広く視界を覆ってしまう程の水を、目前にしているのだ。

「知らないと思うから教えてやるけど、これは海っていうんだぞ」

 馬から降りたカザキがケイガに耳打ちする。ケイガは胡散臭そうに見て、

「その位知ってるっての」

と言った。カザキは更ににやりとして、

「じゃ、海は塩辛くて飲めないって、知ってたか?」

「えーっ!! 飲めないのか?!」

 ケイガは心底驚いたような顔で言った。その顔がおかしくて皆で笑う。

「何だよー、それじゃ使えねぇじゃん」

「お前、飲み水から頭離れないのなー。海には魚とかたくさんいるんだよ。使えてるって」

 笑いながらカザキも言う。

 日の光を眩しく反射しながら、白い波を絶え間なく繰り返す。規則的で、永遠の営み。


「でも使えなくても、これだけ綺麗ならいいだろ」

「……うん」


 私の言葉に、また視線を海に戻してケイガが頷いた。

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