第27話『消されたりしない。絶対に。』

 その数日後の日が沈む頃に、私たちは森にたどり着いた。

 久しぶりに感じる湿り気を帯びた風。でも六日でレイルサの森までたどり着いたんだから以前よりペースアップしてると思う。

 それか五人でいるのが楽しくて時間の経つのが早く感じられるのかも。


 狭間の森よりも木が大きい。狭間の森は細かい枝が私の頭をはたく位の高さにあるような木がほとんどで、枝と枝が入り組んでいた感じだったが、ここの森は木々の間隔が広く、針葉樹のように幹がまっすぐで背の高い木ばかりなので馬車を走らせるのにちょうど良かった。


 森に入ってしばらくは砂漠のヴィスサイズのが現れたが、それも砂漠を離れると共に次第に減っていった。三日目からは出会うこともまれになった。

 森に入って四日目、もうすっかり日も落ちてしまったというのに今日はまだ一匹もヴィスに遭遇してない。どういう事なんだろう……

 頭上の木々が夜空を覆ってしまっていて、うっすらと月明かりが差し込んでいる。ひっそりとしながらも、息をひそめるような物音が聞こえていた。

 静寂が逆に怖い。


「そろそろ、今日の宿を決めないとな……」

 方角を気にしながら馬車を進めつつ、周りをうかがった。

 高い木の下、地面は平坦で安全そうだが、寸胴に空へ伸びる幹の陰くらいしか隠れる所はない。

 砂漠のヴィスは頭上からの攻撃はなかったけど、森のヴィスは木の上からの攻撃もあるから用心しないと。いくら全く遭わないとはいえ過信してしまうのは怖い。

 馬車の速度を落とし周りを眺める。暗い森の木々の向こうは何が潜んでいてもおかしくない感じだ。


 ふと顔を上げると目の前に湖が広がっていた。

 突然の出来事に驚いて馬車を止める。馬車の左右に目をやりすぎて、森を抜けたのに気づかなかった。これが、ラヴィネロの湖?

 さっきまで暗かったのに、今は二つの月の光が辺り一面に降り注いでまぶしいくらいだ。視界が開けた中にいると、逆に森の中の方が安全に思えてきた。

 変な胸騒ぎがする。


「フェザナ、」

 幌の中を覗き、彼を探す。彼は眠ってしまったティアルにひざを貸したまま振り向いた。何の表情もない顔。どうして?

「視界の開けた湖の近くでキャンプするのは逆に危険な気がするんだ。森に戻るが、どう思う?」

「そう……ですね。森の中の方が安全かもしれません。今のところヴィスに遭遇していないので何とも言えませんが」


 彼の言葉に頷いて馬車を引き戻す。馬に乗って併走していたカザキが、馬車の後ろから着いてきた。

 湖が視界から消えるくらいの所に少し木々の開けた場所を見つけ、馬車を止めて荷物を降ろす。その間にフェザナは結界を敷いた。


 いつものように、彼の座る辺りから暖かい光があふれ、地面に模様を描きながら広がってゆく。光の中で瞳を閉じて座るフェザナは美しかった。

「ヴィアス見惚れてないで、荷物」

 頭上からケイガに冷めた声をかけられ、慌てて荷物を受け取る。うっわー、見惚れてたの、バレバレだよ……赤面……


 でもフェザナ、キレイだよね? 見惚れちゃうほどキレイだと思うんだけど、見惚れちゃうのは私だけなのか? それってやっぱり、契約もあるのかな。

 暖かい光に誘われたのか、ウサギみたいに耳の長い動物が、木々の間から顔を出した。

「この辺には結構動物いるんだなー。肉にありつけるじゃん」

 私の視線の先を見てケイガが笑って言った。

 え、食べるの?!  それって捕まえて殺すって事だよね……? ウサギは木の根の影から少し首を傾げてこちらを伺っている。かわいそうだよーあんなにかわいいのに……


 そう言えば、狩りってした事ないな。いつもフェザナが用意してくれた食料で何とか足りてたから。砂漠じゃちょっとキツイ事にはなったけど、逆に砂漠じゃ食べられそうな生き物は見かけなかったし。

 でもできれば狩りはしたくない……切り身になって出てくるならいいけど、あんなかわいい動物を殺すなんて、ちょっと無理……


「食料はまだ足りてるんだろ、余計な殺生はしたくない」

「捕まえられる時に捕っとかなきゃ、食料尽きてから困るだろー」

 ケイガは背後でわざとらしくブーブー言っている。正論だけど、どうしても食べたいなら私の見えない所でやってください……

 フェザナに荷物を渡すと、私を見て嬉しそうに笑った。何?

「いえ、ヴィアスが生き物に対して優しい心を持っているんだなぁと思って」


 そりゃかわいい動物をその手で殺して食べるって言われたら、ちょっと尻込みしますって。でもそれは、ぎりぎりの状況で生きる冒険者に言わせたら甘いだけなのかもしれない。


「俺はかわいいモノには優しいんだよ」

 軽く言ってウサギを見やる。

 フェザナだって優しそうに微笑んでるけど、ティアルや私がどうしても必要になったら、あのウサギを捕まえて殺す事もできるんだ。多分。

 私には、できるんだろうか。


「遅くなりましたけど、食事の用意をしますね」

 フェザナはすでに荷物を解きにかかっていた。




 食事も済んで、湖から汲んできた水で体を清めると、皆それぞれの寝床に入った。

 ティアルとフェザナは馬車の中、カザキとケイガは結界の達している木の根元に並んで毛布に包まれている。私は最初の見張りだったから、一人起きて火を小さくした焚き火を眺めていた。

 焚き火がはじけて辺りが一瞬明るくなった時、顔を上げるとフェザナが立っていた。


「どうしたんだ?」

 怪訝に思って声をかける。フェザナは、何か思いつめたような表情で私を見ていた。どうしたんだろ。

「ティアルの添い寝じゃつまらないのか? どうしてもってんなら、俺の胸で寝てもいいぜ」


 声量を抑えつつも冗談を飛ばす。それでもフェザナの表情は変わらなかった。そっと近づいてくる。彼が歩いたあとの結界の光が一層強くなった。

 何? なんで光ってるの? 結界の隅々まで見渡してから、フェザナを見る。彼はすでに私の目の前に立っていた。


「お話ししたい事があります」

 彼は座っている私を見下ろすようにして小さな声でそう言うと、左手を差し出した。ここを離れてどこかに行くって事?

「見張りは、」

「大丈夫です。結界を強くしました。全て済むまでは何があっても保ちます」


 全て済むって? 彼は少し屈んで私の手を取ると、そっと立ち上がるのを促した。

 何が起ころうとしているのかわからない私は、つないだ手を引っ張って行くフェザナについて行くしかなかった。


 多分彼が話そうとしてるのは、私がいまだ知らない私の事についてだと思う。ベルガラでの事以後、その時が来たら話してくれるって約束だった。彼の表情を見ても、きっと重要な事に違いない。でも全て済むとは?


 彼はそのまま木々の間を歩いて、湖のほとりに出た。

 広い空間に出た事で感じる風が冷たい。湖を初めて見た時に感じた違和感は水を汲む時もあったが、今は何だか落ち着いている。

 いや、どちらかというと先ほどのように感じられる所にないだけで、もっと深い所で様子を伺っている感じか。


 驚いた事に、湖の湖岸は砂に覆われていた。まるで砂浜のようだ。この辺に砂漠の名残が残ってるのかな。

 足元の柔らかい砂の感触を感じながらなおも彼に引かれて行くと、湖から十メートルほど離れた砂の上で彼は歩みを止めた。ゆっくりと振り返り私を見上げる。

 明るい月の光を浴びて立つ彼は、少し辛そうな表情をしていても美しかった。思わず、彼の頬に触れようと手が伸びる。


――― って、何やってんの自分!


 自分に驚いて上げかけた手を下ろす。無意識の行動に顔が熱くなる。

 いや、いくらムード満点だからってそれはないって……


 そっと彼から視線を外すと、フェザナはゆったりとその場に座り込んだ。彼にならって向かい合って座り、邪魔になる剣を何気なく膝に乗せた。

「話って何だ?」

 うっかり雰囲気に流されそうになるのを防ぐように、単刀直入に聞く。

 彼は少し伏せ目がちに私のひざ辺りを見ていたが、小さく息を吸って顔を上げた。


「貴方の、体の変化についてです」

「体の変化?」


 彼は無言で頷いた。

「貴方の体は、まだ今現在では器でしかありません。それは貴方の魂が異世界の存在で、異世界での記憶しか持たないからです。しかし今はこの世界に存在しています。貴方の体は魂を得た事で、その存在を確固たるものにしようとします」

「体、が?」

 どういう事? ヴィアスという器は、名前こそついていたものの、私という魂が入るための器なんじゃないのか?

 フェザナはまた、少し伏せ目がちにして私の視線を避けた。


「……貴方が前の世界での名前を失ったのは、どちらかにしか存在できないからなんです。それが運命の剣士なんです」


 ……前に話した時は、名前を持たないだけって言ってたよね? 本当は、名前を持たないんじゃない、どちらか片方の世界にしか存在できないって事なのか……


 私は両手で顔を覆った。何て事、確かにあの時教えてもらわなくてよかったかも。

 あの時知ってたら、つまり私には元の世界に帰る意味がないって暴れてたな。そのまま両手を下ろすようにして顔をぬぐう。


 つまり私の魂は、元いた世界とドノスフィアのどちらかにしか存在できない。だから向こうの世界の記憶がある。私がここに存在する時点で向こうの世界に私は存在しないから、存在の証である名前が失われている。


 深いため息をついて、夜空を見上げる。そっと目を閉じてみる。

「まぁ、でも何とかなるんだろ? ちゃんと時空の剣を戻して、向こうの世界に帰れば」

「それは、多分……」

「多分じゃなくて、大丈夫って感じがする。別に大した事じゃねぇよ。っつーかお前が多分なんて言うなよー」


 笑いながら体を戻してフェザナを見る。そりゃ向こうの世界の事まで彼はわからないとはいえ、そんな頼りない事言われたらこっちが困るっての。

 でもそんな風に正直に言ってしまった彼を、責める気持ちは全くなかった。……以前だったら絶対逆ギレしてたよね。


 彼はまだ、何か引っかかっているような顔をしている。

「それで?」

「……はい」

 少し逡巡してから小さく続けた。ここまで連れて来た時の、有無を言わせぬ感じは、どうやらここへ来て揺れているようだ。

「体の、変化と言ったのは月の満ち欠けに反応する事なんです」

 彼の後ろに控えるように浮かぶ、大きな月を見た。二つの月が、今にも重なりそうになっている。

「月で変化するって?」


「貴方の体が、いえ貴方の存在が、貴方をドノスフィアに留めようとするんです。貴方を本当のヴィアスにするために」


 月をバックにして、フェザナが顔を上げた。

 本当の、ヴィアス……?

 それは、中身が私じゃないヴィアス?

 でも私はこの世界でヴィアスでいるか、向こうの世界で女子高生やるか以外に道はないんでしょ? なのに、私じゃヴィアスじゃないって事?


「この世界では定期的に満月が重なり、それを重月と呼びます。月が満月のまま重なる時、貴方の体は、貴方の魂から異世界の記憶を捨てるのです。貴方から異世界の全てを排除した存在が、本当のヴィアスなんです」


 異世界の記憶。それは、つたない今の私が立ち上がるのに支える柱のようなもの。

 多分、単純で考えなしで幼稚な思い切りがなかったら、私は冒険を始めたりしなかった。


 だいたい、ファンタジー好きの女子高生じゃなかったら、うっかりフェザナたちと一緒に冒険したいなんて思うわけないじゃん。わかってる、自分がバカで子どもで消えた所で大した損失にはならないって事は。

 この旅の間、何度も本当のヴィアスになりたいと思った。そう在るべきヴィアスって偶像を重荷に感じた事もあった。それでも、ちゃんとヴィアスと呼ばれるだけの人間になって、きちんと運命を全うするんだって思ってた。


 それなのに、ヴィアスになるためには、私を捨てなきゃならないの?

 私が努力する事もなく、ただ時に任せれば勝手に体が私を追いやってヴィアスにしちゃうの?

 私は、いらないの?


――― そんなの酷すぎるよ……


 それじゃ誰でもいいんじゃない……私じゃなくたって、誰が選ばれたって、消されるために存在するんじゃ何の意味があるっていうの?

 本当は、誰でもよかったの?


「記憶は一度になくなるわけではありません。何度かに分けて、月が重なる度に失われます。貴方から異世界の存在が減れば、もちろんヴィアスとしての力も強まります」

 フェザナは辛そうな顔でそう言った。まるで、私から異世界の存在がなくなるのが耐えられないかのよう。


 ……本当に辛そうな顔。

 変なの、私が本当のヴィアスになって時空を正して、えーと、向こうでの記憶がなくなっちゃってるんだったら帰る気はなくなるのか? でも、本当のヴィアスになった方が冒険ももっと危険が減るかもしれないし、フェザナにとってはそっちの方がいいんじゃない? それなのに、そんな辛そうな顔。


 この人は、ヴィアスの器に入ってる私をきちんと思いやってくれている。

 彼に向こうの世界での私の事を話した事はない。それなのに、目の前の待ち続けた運命の剣士じゃなくて異世界に存在すべき私を、私の存在を認めてくれているんだ。


 私はゆっくりと、深いため息をついた。運命と言ってしまうには、過酷過ぎるよ……今まで培ってきた自分を、そんな風に失う事を強要されるなんて。


 それでも、そんな私を思いやる彼に八つ当たる事はできない。彼が唯一この世界で、異世界の私という存在を思ってくれているのだ。


 つまんない普通の女子高生なんだけどね。


 月を見上げる。もうすぐ、完全に重なろうとしている。

 視線をフェザナに戻すと、やはり彼は許しを請うような表情で私を見ていた。そんな彼を見て思わず微笑む。


「大丈夫だよ、全部の記憶がなくなる前に、冒険を終わらせればいいんだろ? そうすれば、お前の言葉に嘘はなくなる。俺は元の世界に帰るために冒険を終わらせる事ができる」

「でも、」

「大丈夫だって。体が無理やり俺を追いやってヴィアスにしちゃうんだとしても、異世界からの俺自身の存在が完璧なヴィアスになっちゃえば、消しようがないだろ。先にヴィアスになっちゃうから。だいたい、誰もヴィアスがどんなヤツか知らないんだしさ」


 不安そうなフェザナを微笑んだまま見つめる。

 彼がこの冒険にはタイムリミットがあるって言ったのは、この事だったんだ。私が私でなくなるタイムリミット。彼は最初から私を失わせないために、そんな言い方をしたんだな。


「大丈夫、消されたりしないから」


 消されたりしない。絶対に。否応ない力で私の記憶を奪うのだとしたら、その全てを奪われる前に全て終わらせて見せる。それに記憶を奪われる事が、即、私の喪失に繋がるわけじゃない。

 異世界の存在にこだわってるこの運命が後悔するくらい、私を持ったままで完璧なヴィアスになってやる。


「……月が、」

 小さく呟いて目を閉じたフェザナのバックに、完全に重なった月が見えた。


 月が……


 突然、巻き上げられるような強い吸引力を感じる。とてつもない風に吸い上げられるのを耐えていると、眼前に真っ赤な月が迫ってきて視界の全てが赤く染まる。

 余りの力に思わず目を閉じて顔を背けるも、閉じた視界にまで黄色がかった赤は侵入してくる。


「……っく、」

 両手を握り締め目を押さえる。体が浮遊しているような感覚。全身に悪寒が走り、一瞬のうちに汗だくになった。吐き気を感じて体を縮めうずくまると、途端に背中から何かが吸い上げられるような感覚が襲った。


「…………っあぁぁっー……」

 まるで背中を引き剥がされるような痛み。余りの痛さに声が出ない。ただ体を縮めて硬く小さくなっているしかできない。膝の上にあったはずの剣がふと胸に当たり、思わず強く抱きしめる。これが、記憶を失う痛み?


 私を失う痛み?


 痛みの中で、まるで剣が絶対に渡せない記憶であるかのように強く抱きしめたまま、体を縮めていた。

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