第26話『女心を理解しない方が悪いんだし。』

 ベルガラ出発後、旅の四日目にして地平線の向こうにぼんやりと緑色が見えてきた。

 街の西ほどではないが、この辺のヴィスもなかなか大物だ。でも遺跡の十メートル級を倒した後では大した敵ではなかった。

 それに成長した剣。以前の剣は片手で扱うサイズだったのが、今では両手で扱うような大きな物になっていた。しかし見かけほどの重さはなく、振れば重さを発揮するのに持つ手にはとても軽く感じる。


「いいコンビネーションだと思わねぇ?」

 ケイガは少し肩で息をしながら近づいてくる。私は砂の上に落ちたオルを拾ってもてあそんだ。

「まぁな」

 オルをケイガに放り投げる。


 砂の下から襲ってくるヴィスを、まずケイガが攻撃し砂の上に出させる。そこをすかさず私が攻撃し仕留める。もちろん複数で攻撃してきた時は二人散って戦うのだけど、ケイガは大物相手になると怪我をする確立のが高くなるので馬車を防御する方にまわる。

 二人で一緒に戦うと、ヴィスの動きは察知できてもケイガの動きまで予測して戦わなきゃならないから、逆に危険でもあるのだ。まさか勢い余ってケイガを傷つけるような事にはなりたくないし。


 ケイガの剣は、私が最初に持っていた時の剣より少し地味だ。ケイガのように突然冒険をはじめた人間も、剣を成長させる事ができるんだろうか。

 そう言ったらフェザナに、「剣を振れる事が剣士の証」と言われた。いや剣なら誰でも振れると思うんだけどね。


「そのオルが、お前の剣を成長させるのに使われるかもしれないぞ」

 そう言うと、ケイガはキャッチしたオルをしみじみと眺めた。

「……どうかな。ホント言うとこの剣、前に冒険者から貰ったもんなんだ。『なまくら』だからって。俺の稼ぎじゃ剣なんて買えなかったし、買ったところでこいつと大差ないからな」


「……そういえば、前にすげー腕のいい武器屋に聞いたんだけど、剣ってのは成長させられる人間が持たないと、成長しないんだと。だからその剣がなまくらなんじゃない、その冒険者がなまくらだったんだろ。お前が成長させられないかどうかは、まだわかんねぇよ」


 要は人間だ。成長するのは道具じゃない。練習し、鍛錬してはじめて強い剣を持つ事ができる。

 しかもその剣は持ち主に応じて成長しようとするから、確実に剣より強い人間しか剣を成長させることができないんだ。


「俺はドノスフィアに来て三日目に剣が成長した。始めてヴィスを見たし、始めて剣を握ったし、始めて戦ったからな。狭間の森だったから小物の大群で、安全と言えば安全だったけど」

 あの時はまだヴィス自体も小さく、森の中で神出鬼没だったとはいえ攻撃が致命傷になるような事もなかった。旅の始まりがあそこだったのは運が良かったのだろう。


「でも俺だって水売りしてる時にヴィスに当たった事はあるぜ。ダルコ砂漠のヴィスは狭間の森のより強いんだろ?」

 ケイガは剣を鞘にしまうとオルをポケットに入れ、馬車に向かって歩き出す。

「お前は初めて戦うわけじゃないだろうけど、もしかしていつも基本的にカザキが気の流れをコントロールしてたんじゃないか?」

「それはもちろん。あんなのにマジでぶつかってったら、俺なんかじゃ殺られちゃうって」

 彼と一緒に歩きながら考える。やっぱりね。


「多分必要なのは、自力で倒す事なんじゃないか? 気の流れをコントロールして戦えば確かにヴィスは倒せるかもしれない。でもそれだと経験値が二人に分けられちゃうんだよ。これからお前が一人でヴィスを倒すようになったらポイントは全部お前のもんだ。そしたらすぐだよ」

 何となくこの考えには自信がある。ゲームの知識とはいえ同じような気がする。

 しばらく黙っていたケイガは怪訝そうに顔を上げた。


「それってヴィアスは魔術師と旅してるってのに、今までフェザナの力を借りずに戦ってきたって事?」


 確かに一人で戦ってたな。フェザナの結界に転がり込んで休憩って手は使った事はあるけど、フェザナが直接ヴィスを倒したのはあの武器が発動した一回だけだ。遺跡の時はイマイチ効かなかったし。


「フェザナの魔法は癒し系なんだよ。だから俺が戦って、あいつが治す。攻撃魔法なんか使った事ないんじゃないかー」

 するとケイガはがっくりと脱力してみせた。

「何だよそれー、そんなパーティー見たことねぇよ。大概冒険に出てる魔術師ってのは、攻撃防御治癒と全般に働けるモンだって」


 え、そうなの? ってか、フェザナしか知らないから比べようもなかったんだけど。確かに、攻撃も防御もできる魔術師だったら楽だったかも。

「そっか、何かわかった気がする。いくら運命の剣士とはいえ何でヴィアスが異常に早い成長してるのか」

 呆れたような顔でケイガはそう言った。それは器のヴィアスが強いからなんじゃない?


「とにかく経験って事か。まぁやれるだけやってみるかー」

 もう一度剣に視線を落としてから顔を上げて笑った。しかし一瞬で笑顔を引っ込めると、「おい、あれ……」と言ってあごで私の背後を示した。

 怪訝に思って振り返ると、視線の先にはフェザナたちの馬車があり、そこに見慣れない二人組が立っていた。

 ケイガを見、頷いて走り出す。

「おい! フェザナ!」

 馬車の外から声をかけると、馬車からフェザナが顔を出した。

「誰なんだ、そいつら!」

「誰なんだとは失礼ね。そっちの剣士はマナーを知らないの?」

 女性の声。

「ヴィスガヤ!」

 背後からケイガが叫んだ。ヴィスガヤ? そこには剣を携えた女性と、大柄な男性が立っていた。

「久しぶりね、ケイガ」


 多分、彼女の名前がヴィスガヤなんだろう。ケイガの名前を知っているって事は、以前水売りをしていた時の客なのかもしれない。

 私の肩くらいの背丈、赤に近い茶色の短い髪、はっきりとした目鼻立ちでいかにも気が強そうだ。ケイガに向かって微笑みかけた彼女は、その視線を私に向けた。

「あなたがヴィアス?」

 挑戦的な目。美人だけに迫力がある。

「そうだけど」

 私は何と言っていいのかわからなくて適当に答えた。

 マナー知らずとか言ってたくせに、自分は先にカザキにでも話を聞いて自己紹介もせずにぶしつけな態度とってるじゃないか。

「ふぅん……」

 ヴィスガヤは私に近づいて値踏みするように視線を絡めた。何かムカつくなー。


 視線を感じて顔を上げると、同行の男性がすごい顔で睨んでた。……何でそんなに睨まれなきゃならないの。

 男性は私と同じくらいの背丈で、私とは違ってがっしりとした体つき。髪が短いので微妙に板前風。額にオルがはまったリングをつけている。ぱっと見は無口だろうと思わせる風貌。とにかくすごい形相で睨んでるんで、お世辞にも人がよさそうには見えない。


「結構いいセンね。あの魔術師にはもったいないんじゃない?」

 そう言って面白そうにケイガを見る。

「え、フェザナだっていいセンじゃねぇの?」

 とぼけた答えを返すケイガに、人差し指を立てて振る。

「要は私の好み。あの彼は弱すぎるわ」

 何なんだこの女! その発言が失礼だと思ってなかったら、人としてどうしようもないぞ! しかも何なんだあの睨み続ける男性は!

 心では罵倒しながら顔に出さないように努める。礼儀がなってないのはそっちじゃん! 絶対、この初対面の女に付け入るスキを与えたくない。


「でもあなたが、」

 振り返って私を見、振っていた人差し指を私の胸に指した。

「あなたの好みで彼を変えちゃったんだったら、しょうがないケ・ド」

 そう言って人差し指で私の胸を突いた。


――― 爆発するぞ、ごるぁ!

「ヴィスガヤ、その辺にしろよ。ヴィアス怒るとマジ怖いって」

 ケイガがおかしそうに口を挟んだ。心配そうな顔でカザキも覗いている。多分、表情だけは冷ややかな私が、怒っているのかどうかすらわからないのだろう。怒りすぎて口も利けないっての。

「ヴィアス、この人はヴィスガヤ、あっちの彼はレンダ。見てわかるかもしんないけど、彼女が剣士で彼が魔術師。水売りしてた時の客でね、」

 ケイガはそう言って私に近づくと、いまだ一言も発せずにいた私の肩に手をかけた。


「ヴィスガヤの趣味は、好みの男性を怒らせて忘れられない存在になる事なんだ」


 ……は? 何ですかそれは?

「ムカつく女は忘れがたいからねー」

 憎んでも忘れないでいてってヤツ? いや、それだと再会した時に印象悪くなっちゃうじゃないか。

「いやなコね、そんな事バラさないでよ。何か私、かっこ悪いじゃない」

 ヴィスガヤはつまんなそうに口を尖らせた。あれ、さっきまでと印象が違う。もしかして素はこっち?

「俺だって名前の紹介だけで済めば簡単だけど、そうはいかないんだよ。一緒に旅してる仲間なんだから、フェザナとの仲が拗れたら気まずいだろー」

 うーん、この場合フェザナが私に妬いたりするって事か?

 そして顔を上げると、いまだに睨み続ける彼。マジそっちのが怖いってば……


 魔術師と契約で結ばれると心のやり取りをするから好きになっちゃうってケイガも言ってたのに、何で彼女はそんな事続けてるんだろう。

 彼の事が好きじゃないのかなぁ? 当のレンダはあんな顔で睨むのに、なんで彼女はそんな趣味をやめないんだ……?


――― ああ、なるほど。


「そうだな、」

 私はケイガに向いていたヴィスガヤの肩をつかむと、強引に引き寄せた。背中から抱きしめたまま人差し指であごのラインをなぞる。

「フェザナは最初からあんな感じだよ、俺の好みとは関係なくね。同行者としては役に立ってるけど、ちょっと飽きてきたかな……まだ契約して少ししかたってないから、肩入れするつもりもないし」

 それから彼女を自分の正面に向かせ、彼女の肩に両腕を預けて顔に触れ合うくらい近くに迫ると、吐息のような声で囁く。

「それに俺としては、ちゃんと付き合ってくれる女の子のがいいんだけど……昼も、夜もね」


 そこまで言うと彼女の肩に乗せた腕をつかまれた。

 ヴィスガヤの肩越しに覗くと、レンダが更に厳しい顔で私の腕をつかんでいた。よしよし。余裕っぷりを発揮してにやりと笑ってみせる。


「何だよ、邪魔する気?」

「ヴィスガヤのは本気じゃない。その辺にしとかないと恥かくのはお前だぞ」


 初めて聞いたレンダの声は感情を押し殺す事に慣れているような、なかなか低めの声だった。でもその声が少し動揺しているのがわかる。

「それはどうかわかんねぇじゃん。彼女が本気になるかもしんねーし」

 腕を振りほどいてわざと彼女を振り向かせないように、そのまま胸に押し付け抱きしめる。

 レンダは一瞬ひるんだが、意を決したように顔を上げると一歩近づいた。


「ヴィスガヤは本気にならない。俺がそうさせない」

 よし、よく言った! でももう一押し。

「ふーん、できんの? 契約なんて大した事ないぜ」

「当たり前だ。契約なんか関係ない」


 レンダは私から目をそらさずに言った。胸元に抱いたヴィスガヤが少し震えているのがわかる。まぁ、こんなトコかな。

「なーんだ。つまんねぇの」

 両手を挙げて彼女を離すと、開放された彼女は少し呆然としながら赤面していた。


 ほらね、やっぱり。

 彼女はいい男に憶えてほしくてそんな事してたんじゃない。契約でしょうがなく好きになっちゃったんじゃなくて、レンダがホントに好きなんだ。

 でもレンダに契約抜きで彼女をどう思ってるかわからなくて、それで毎回いい男にちょっかいだしてはレンダの反応を見てたんだろう。直接誘惑するわけじゃないのはホントに乗ってこられても困るからかな。

 でもアレが彼女の趣味と認識されちゃってるところを見ると、レンダはいつも無言で耐え、ヴィスガヤは相手を怒らせるのに成功するだけだったんだろう。


 これでやっとレンダの本心が聞けたね。ちらりとヴィスガヤに視線を送って微笑むと、私は一人満足して馬車に乗り込んだ。


「それじゃ出発するか」

 御者台についた私の隣にナビ役のカザキが出てくる。馬を走らせようとした瞬間、ヴィスガヤが御者台に飛び乗ってきた。驚いている私に顔を近づける。

「あなたにはまた会いたいわ」

 そう言ってすばやく私の唇近くにキスをした。そして耳元に口を寄せて、

「ありがとう」

と小さく囁くと、私と目を合わせて微笑んでからひらりと身を翻して御者台を降りた。私はそんな彼女を見送ってから、向き直って馬を出発させた。


「……口だけかと思ったけど、ホントに手が早いんだな」

 カザキを見ると呆れたように私を見ていた。いやそうじゃないってば。

「でもヴィスガヤに好かれるヤツって貴重だよ。ヴィスガヤを好きなヤツは多いけど」

 そうなの? ケンカ売るのが趣味なのに?

「冒険者は気が強い女性って好きだからねー。最初は皆腹立てたりするけど、結局忘れられなくなっちゃうらしいよ。美人だし。ヴィスガヤに初対面で好かれたのはヴィアスとケイガだけだよ」

「じゃ、俺だけじゃなくてケイガも手が早いって事じゃん」

「違うよー。だってあいつはケンカ売られたのを、混ぜっ返してうやむやにしちゃっただけだもん。ヴィアスみたいに口説いて落とせたのは多分一人もいないよ」


 いや、口説いて落としたつもりは全くないんですけど……っていうより、この誤解は解いた方がいいのか?

 でも今まで誰も気づかなかったんだとすると、ドノスフィアの男性たちに説明するのは容易ではない気が……かといって女心のエキスパートみたいに説明するのもどうかと思うし。

 ……面倒だからほっとくか? 女心を理解しない方が悪いんだし。


「お前は? 腹立てたクチ?」

「俺は言ってみれば、今回のフェザナ役。比較されただけで眼中になかったよ」


 ああ、そうかフェザナ……って、そうだ、フェザナ妬いてるかな? ちょっと期待して……るね、私。


 ……ってか、ヴィスガヤにキスされたのに動じなかった自分ってどうよ! 

 女の子とキスなんか初めてなのに……ヴィスガヤを口説いた時は大義名分があるから平気だったとは言え、ちょっと行動が男らし過ぎません? 女子高生としてどうなんでしょう、暴走が過ぎますよ……でもヴィスガヤの純愛(?)は無視できなかったし……


「フェザナが弱いって、意外と見えてねぇのな、女って」

 カザキがふと言葉を漏らした。え?

「見た目とか、そういうんじゃなくて?」

 見た目は弱そうだろう。ヴィスガヤと違って攻撃的な美人ってワケじゃないし。どちらかと言うと儚げな美人で、しかも男なんだから余計に弱いと思わせちゃう。

 中身は? うーん、私が怪我して泣いたりする所しか思い出せない……


「フェザナ、強いだろ。普通、ああはできないよ」

 カザキはそれだけ言うと、視線を緑色の地平線に向けた。

 久しぶりに見る褐色以外の地平線の向こうに、カザキが何を見ているのか、私にはわからなかった。

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