第15話『泣きたいんだ、多分私は。』

「だから、どういう事だってんだよ!!」


 ケイガたちのナビゲートで日暮れ前に砂漠の街「ベルガラ」に着いた私たちはその日の宿をとった。もう街の近くまで来ていたのだ。

 街は最初にフェザナが住んでいた街に少し似た感じで粘土作りの家々が並んでいたが、あの街ほど活気に溢れているとは言えなかった。

 砂漠のヴィスのせいで人の足が遠のいているのかもしれない。でも一通りの店などは揃っていて、どんな僻地でも人が集まるとそれなりの形になるもんだなと思った。


 宿もやはり粘土作りだったが、その割に二階建てだった。壁も天井もすごく厚い。窓は丸く小さくて日差しが極力入らないようになっている。

 填め殺しと思われた窓ガラスは、扇型のガラスが少しずつスライドして換気ができるようになっていた。でも風で涼しくするというよりは、完全に外界の熱をシャットアウトして涼しくしているという感じ。

 夜の寒さを昼の間も少しずつ利用してるようで、夜は昼の間に暖まってしまった空気でしのぐ。自然の冷暖房だった。


 そして厚い壁は私の度を超した大声も吸い込んで、まるでなかった事のようにしてくれていた。

 多分、隣のカザキとケイガには聞こえていないはず。私はティアルを寝かしつけたフェザナを自分の部屋に呼んで、私の名前の喪失について聞いていた。


「思い出そうにも、全然出てこねぇ。まるで全く知らない事を思い出そうとしてるみたいだ。お前、こんな事一言もいわなかっただろ!」


 初めはとぼけようとしていたフェザナも、元来嘘が下手な質らしく、どうみても見え見えのとぼけ方に私の怒りは頂点に達していた。

「ど忘れとかじゃないんだよ。完全に失われてる。それがはっきりとわかるんだ」

 私はいらいらと彼の返事を待ったが、彼はまだ何も言わない。


 私は、彼には何の非もないのがわかっているのに、どうしても止められなかった。フェザナはドアの近くに立って悲しそうに目を伏せている。私はいらついた足取りでフェザナに近づき、息がかかる位近くに立った。

 触れそうな程近くで彼の顔を覗き込むと彼は顔を上げたが、その美しい顔にははっきりと悲しみが刻まれていた。


「お前が知ってる事を、全部話してないのはわかってる。それが俺に対するお前の評価だと思う」

 私は冷たくそう言った。彼はほとんど泣きそうな顔になった。

「ヴィアス、」

 すがるように言いかけたフェザナを無視するように体を翻すと、フェザナが腕にとりついてきたので思わずふりほどいてしまった。

「……!」

 背後でものすごい音がした。彼はすごい勢いでドアにぶつかってその場に座り込んだ。痛さに声も出ないようだった。


 私とフェザナの腕力の違いは、こんなにあるんだ……私は中身が女子だから、うっかりするとフェザナとさして変わらないように思いがちだけど、今の私はヴィアスの体を持っているんだ。

 ヒドイ事をした、とは思ったけど、大事なことを話して貰えない事でないがしろにされたような気分になっていたから、そのままベッドに向かって歩いた。


「……剣士は、二つの世界の運命を握っています。ですから、名前を持たないのです。便宜上その時存在する世界の名前を持ちますが、基本的には名前は失われています」

 座ったままのフェザナは、小さな声でそう答えた。

「お前に、」

 ベッド脇に立ったままフェザナを見ないで私は言った。

「お前に、名前が失われる事がどんな気分かわかるか?!」


 どんな記憶が残っていても、名前がないだけで何て希薄な存在なんだろう。

 クセも趣味も行動もみんな覚えてるのに、名前がないだけで全てが否定されたような気がする。両親のつけてくれた名前があんまり好きじゃなかった事も覚えてるのに、どうしてその名前が思い出せないの?

 しかもそれは運命の剣士になった時に決められていた事で、好きじゃないと思っても変えられなかった名前が、何の断りもなく勝手に、こんなに簡単に奪われてしまうなんて。


 フェザナは痛みを堪えて立ち上がり、そっと私の側まで来て、少し手を挙げたが触れるのをためらうかのようにそのまま下ろした。

「……名前がなくても、貴方は貴方です」

 小さく呟くように言った言葉に反応したように、私は彼の方を見もせず肩を掴んでベッドに押し倒した。


 フェザナは驚いていた。その表情は悲しさと少しの畏怖が含まれていて、フェザナが私の事を心のどこかで怖がっているのがわかった。

 私は、どうにかしてこの気持ちを伝えたいのに言葉にできず、そんな自分がもどかしくて、押し倒したフェザナの肩を強く掴むしかできなかった。


「……お前は、何も失っていない……」


 痛みに堪えるようにそう言った。

 事実、心がすごく痛かった。怒りたいのか泣きたいのかわからない表情で、フェザナから目をそらした。


 フェザナは辛い勉強や訓練を積んできたかもしれないけど、それでも運命の剣士を待って、その剣士が目の前に現れて一緒に旅を始めたんだ。待っていた物を得ることはしたけど、失ってはいない。


 でも私はどう? 気づいたらこの世界にいて、否応なく名前を奪われている。多分、この旅を承諾しなくても名前は失われていたと思う。どうしていいかわからない。泣きたいんだ、多分私は。


 この旅を始めて、初めて怖いと思った。

 何の力かわからないものに流されて、ただ流されてここにいるんだ。それがわかったので、ものすごく怖かった。怖くて泣きたかった。

 でも泣けない。なぜって、私はヴィアスだから。

 向こうの世界のつまんない女子高生だったら、いくらでも泣いていいんだと思う。いくらでも弱音吐いて逃げたいって本気で考えても許される気がする。でも今の私はヴィアスだから、そうできない。しちゃいけない。


 私は、何なの?


 フェザナに目を戻すと、辛そうな顔で私を見ていた。

 私、この人を傷つけちゃったのかな……こんなに辛そうな顔させて、もっといつも幸せそうに、あの綺麗な顔で笑っててほしいのに。


 その時、ノックの音が聞こえて、こちらが答える前にドアが開いた。

 驚いてベッドから体を起こすと、開いたドアにはケイガとその後ろにカザキが立っていた。ケイガは私を見た後、そっと体を起こしたフェザナにちらりと視線を送った。

「ちょっと、話がある」

 そう言って体で部屋の外を示した。

 私はのろのろとベッドを降りると、フェザナを見ずにケイガについて部屋を出た。私とすれ違いに、カザキが部屋に入っていった。


 ケイガはそのまま自分の部屋に入ろうとして、少し逡巡してから、

「外へ出よう。飲みながら話す」

 そう言って先に立って階段を下りていった。

 私は何の異も唱えずに、そのまま彼に従って階下に降りていった。

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