第9話『肉体労働者って、結構稼ぐよねぇ……』

 そう言えば、まだホームシックになってない。なんでだろ?

 しょうがないって諦めちゃったから? 旅が終われば、帰れるから?

――― 帰れるのかな……


 どうしよう、すごい事に気づいちゃった。帰れるのかな?


 ◆ ◆ ◆


「はぁああああああああああ!!!」


 剣を振り下ろすと少し重い感触を残して黒い霧が四散して行く。

 目の前に落ちてきたオルをキャッチして、そのまま木々の間を走る。

 走りながらオルを胸元に投げ入れ、勢いをつけて木の根を使ってジャンプし、片腕だけで枝に飛びつくとその勢いで枝へ飛び移る。

 まだいる。どこから来る?

 枝の上から辺りを用心深く探る。風が一瞬止んで、気配がする。後ろ、左!


「はぁっ!!」


 枝から飛び降りながら両手で剣を握り、地面に突き刺すように降ろす。枝の下を風のようにすり抜けようとした黒い影が、甲高い音を立てて盛り上がる。まだか。

「くっ!」

 突き刺した剣を抜き、左に振ってから真横一文字に切り裂く。

 影は一瞬耐えたようにも見えたが、堪えきれず四散して行く。そしてキラキラと光るオルを落とす。

 少し弾んだ息を整えながら、地面に落ちたオルを拾う。


「とりあえず終了」


 振り返って、先程までいた方向を望む。結構入り込んじゃった感じ。

「あー……なんつーか、肉体労働……」

 首を左右に鳴らしながら馬車に戻ろうと歩き出した。


 街で二泊した後、次の日にそのまま反対側の森に入ったのだ。

 しかしこの森がまた難所と言われるだけの事はあって、次から次へとヴィスが襲ってくる。襲ってくるヴィスも前の森とは違って剣で一蹴、という訳にはいかなくなっていた。しかもなかなか動きが早い。大きさも結構ある。

 とは言えこの森を抜けなくては、噂の真相を確かめるための砂漠の遺跡へは行けない。でもヴィスに襲われる度にいちいち道を外れるから、もう五日も森を彷徨っていた。


 その上、当たり前だけど野宿。夜だって危険は伴うので、もちろん交代で見張りをしなくてはならない。睡眠不足もかなりのものだ。

 それに言わせて貰えば、何かあった時にヴィスを何とかするのは私なのだ。フェザナの結界魔法だってそれなりの労力を使ってしまうので、全員が安眠できるほどの強力なのを毎晩朝までやってる訳にもいかず(って言うか、私が疲れまくってたらやっぱりフェザナの魔法も弱くなっちゃうわけで)、しょうがないから目くらまし程度に抑え、うっかり強いヴィスに襲われたら結局私が引っぱり出される事になる。


 少し、いやかなり限界。


 もうちょっと部活でもやって体力つけとくべきだったかな……やっぱ帰宅部はダメね。毎日寄り道してお茶してばっかじゃよくないのはわかってたけどさ。って、今はヴィアスなんだから関係ないか?

 帰りがけに目に付いた枝を思いっきり叩いたら、同じ勢いで返ってきた。何か無様に避けて、しゃくな枝を右手で折り、だらだらと振り回しながら馬車へ戻った。


「おかえりなさーい」

 ティアルが元気に手を振っている。元気なのはティアルだけだよ……

「ごくろうさまです」

 フェザナはにっこりと笑って迎えた。ほんと、ご苦労です。

「さて、先を急ぐか……」

 手にしていたオルをフェザナに渡し、ため息をつきつつ御者台に乗り込む。ああ、ホントため息しか出ない。

「お疲れのようですね、大丈夫ですか? ムリをすると、あとが大変ですよ?」

 フェザナは私を気遣ってそう言った。うん、それはわかってるんだけどね……この森を抜けなくちゃ結局同じじゃない……

「早く抜けるにこした事ないだろ」

 私は言葉少なにそう答えて、馬を進めた。


 今日でドノスフィアに来て十日。何だか初日のおろおろしてた頃を思い出すとウソみたいに時間が早い。

 ヴィスと戦う事にも慣れたし、結局冒険っても地味なレベルアップが基本だもんね。そりゃ要所要所にちっちゃいイベントがあったりするもんだけどさ。まだ……ゲーム開始1時間ってとこか。


 イベントって言うと、まぁ剣の成長はイベントに含まれるかな……でもあれからもうちょっとレベルの高いヴィスを相手してると思うのだけど、まだ剣は成長する気配を見せない。

 確かにあの後、森に入って初めてヴィスを倒した時は、剣が軽く一撃が強くなっているように思えたのだけど、あれから五日たった今はもうそれも感じなくなってしまった。

 それはヴィスが強いって事なのか、それとも私が衰えたって事なのか……


 ヴィスと戦い初めて間もない私が剣を成長させられたのは、やっぱり初めてヴィスに当たった事で私も成長したって事なんだよね。

 ドノスフィアに来て何が何だかわかってなかった私が、その気配を感じる事もできるようになってたし剣の扱いも体になじんで来てた。

 だんだん、ヴィアスに近づいてるのかな。


「この地図だと、もうすぐ砂漠だよー」

 ティアルが幌の中で古い地図を広げて指さした。それが本当ならいいんだけどねー。

「多分、今この辺りでしょうから……」

 フェザナが幌の中へ体をひねって、ティアルが広げている地図を丹念に見ている。街で買い物した際に古道具屋で購入したものだ。書店で買った方が確実だったんじゃないかなぁ……普通、地図は書店で買うよね?


 私がその事を口にすると、フェザナは説明口調で言った。

「地図というのは基本的に口伝なんです。ですから新しく地図を作る人間というのはいなくて、だいたいがヴィスを倒して諸国を回る冒険者などから、記録として聞き出して別の人間が作るんですよ。見聞録などは書店にあるのですが、地図だけとなると価値が下がるので書店では取り扱わないんです」

 でも旅に出る人は困るよね? そういう人はどうするの?

「ドノスフィアでは、好きこのんで旅に出る人はあまり居ません。身を守る術を持つ冒険者だけが旅に出るのですから。そしてそういう人たちは基本的に自分の足を信じて行くので、他人の口伝の地図を当てにしないのです」

 ……そういうもんなんだ。あくまで冒険がいいのね。私は攻略サイトがないと、クリアした事もないってのに。

「それじゃ、その地図も誰かの口伝ってワケか? 信用できるのか?」

「一応、実際に歩いた人のものですから……」

 ちょっと、その力なさ気な言い方が気になるんですけど。これは……楽観的に行かないと、正直しんどくなりそう。


 森はいまだ深い。

 道と言っても、けもの道が広くなった程度で舗装されているわけじゃないから、馬車はいつも不安定に揺れている状態だ。でもこの位の昼間だったら、木々の間から光が射し込んでいて意外と平和そうに見える。見えるだけだけど。

 旅を好まないって事は、街や村間の交流も余りないのかな。だから噂が一番の情報源なんだ……そしてそのお陰で余り道が良くないと。


「俺がヴィスを追ってていない間、大丈夫だったのか?」

「ええ、それは大丈夫です。どうもヴィスの方も貴方を追っていくようで、こちらにはまだ何の損傷も与えてはいません」

 ……私、そんなに好かれちゃってるの? あー、ここまで来ると、前にフェザナが言ってた「私が呼ぶ」ってのも、あながち間違いじゃないのかも。やだなぁ。


「武器は?」

 私はフェザナが左腕につけているであろう腕輪を、あごで指した。

「それが、やっぱり使い方がわからないのです。一応つけてはいるのですが、振った所で何が出る訳でもなし、きちんと使い方を聞いてくるべきでした」


 街を出る日にもう一度クヴァルメの家に行ってみたのだが、彼は留守にしていて、その後古道具屋に行ったり買い忘れた日用品を調達したりと忙しくしているうちに忘れて出てきてしまったのだ。


 明るい光の下で見ると、その腕輪は細工が細かく美しかった。

 手の甲部分に取り付けられているガラスはオルか何かで作られているのだろうか、光の加減で色んな色に見えるからはっきり何色とは言い難い。腕の部分の細工が、文字のようにも見える。


「それ、文字か何かじゃねぇのか?」

 私は前を気にしながら、右手でフェザナの左腕をつかみ少し上げさせる。

「ほら、この辺」

 指さすとフェザナも覗き込んだ。

「古い……魔法文字のようにも思えますけど……私の勉強不足です、わかりません」


 魔法文字ってありがちだよね、古くて読めないとなると更に。読めたとたんにスゴイ威力を発揮しちゃったりするヤツ。でも勉強が必要なんだったら、そんなヒマはなさそうだなぁ。

「この先どこかでわかるヤツがいるかも知れないし、何とかなるだろ」

 私は楽観的に言った。楽観的になるのだ。でなきゃ凹んじゃう。


 何か胸に感触を感じ右手を突っ込んでみると、先程のオルだった。最初の森の時より少し大きめになった気がする。色も少し深い。

「悪ぃ、こっちにもあった」

 フェザナに手渡すと、そのままティアルに渡った。

「またお金持ちだよ。ヴィアスがいると、お金いっぱいになるね」

 ティアルが無邪気にそう言った。私はそのお金でマッサージに行きたい気分よ……今なら三十分五千円でも出せそうな勢い……

 そんな気をよそに、何かが動く気配がした。

 ……またですか? もう、ちょっとくらい移動させてよ、さっきからまだ一キロと進んでないってのに。


 フェザナとティアルはまだ気づいてない。私は集中して気配を探る。

 ……上、か。森だと上って可能性があるから面倒なんだよね、砂漠になったら、立体的な攻撃って無くなるのかな。

 余裕にもそんな事を考えながら、一瞬を逃さずに御者台に立ち、幌の端に手を掛けて上に後方宙返りで飛び乗る。馬は手綱を引く人間を失っても同じ速度で走っていた。


「ヴィアス!」

 一瞬遅れてフェザナが気づく。多分、手綱を持ってくれたと思うけど。

「静かにしてろよ」

 私は木々の上から覆い被さってくるような黒い影を見据え、剣を抜いてその襲撃を押さえる。

「くっ!」

 ダメだ、ここじゃ馬車が危険だ。


 影を押し返すと、通り過ぎる枝にジャンプして飛び移る。

 でもこの体勢だと片手が使えない。ヴィスは容赦なく攻めてくる。広がった影がまるで口を開けて襲いかかってくるよう。


 勢いをつけて蹴上がりの要領で枝に上がり、何とか両手で剣を構える。襲いかかるヴィスを真っ向から突き刺す、が、その勢いに負けてバランスを崩して枝から落ちた。

「う、わ!」

 背中をしたたかに打ってしまい、一瞬呼吸ができなくなる。

「……っつー……」

 ヴィスの気配! 顔をしかめていたのだがその気配に目を開くと、間近に迫っていた。

 剣を支えにしてすんでの所で避ける。立ち上がった勢いで、今度はヴィスに向かって立ち剣を構えた。


 ヴィスは流れるように木々の間をすり抜け、こっちへ向かってくる。

「……あーもう、いつまでもバカにしてんじゃねぇ・よっ!」

 声と共にヴィスに向かって走り出す。

「うりゃあーーーーーーーー!!」

 両手で握った剣を、力の限り振って向かってくるヴィスを切り裂いた。そして間をおかずに右に抜いた剣を更に上から振り下ろす。その勢いで地面にまで切っ先がめり込んだ。


 ヴィスは甲高い音を上げて四散して行った。

 肩で息をしながら落ちてきたオルを手に取る。剣を地面に突き刺して寄りかかり、その輝きを確かめるように光にかざしてみた。


 肉体労働者って、結構稼ぐよねぇ……その位はいけるかな……


 息を整えながら剣を抜き、鞘に納めてからオルを投げてはキャッチしながら、馬車が走っていってしまった方向へ歩き出した。


 こんな時、戻ってこられても危険があるから、安全な所まで先に行けと言っておいたのだ。でも、ちょっと後悔。

 まぁ、ヴィアスは私と違って体力あるみたいだけど。それでも疲れるもんは疲れる。って、あれだけアクロバットしてれば誰だって疲れるよねぇ……


 クールにかっこよくヴィスを倒した後にいつもこんな事考えてるなんて、フェザナが知ったら笑うかな……フェザナには運命の剣士で、まだまだ成長していくとはいえ強いと思われてるみたいだし。


 でも実際中身は、普通の女子高生で意外と平凡なのだ。

 SFやファンタジーが好きで、数学が嫌いで、留学を夢見ちゃったりして、学校の帰りに寄り道してお茶したり、バカな事で大盛り上がりしたり下らないネタで友達を笑わせたり、たまには笑いを取る為に下ネタまで披露。

 目下興味のある事は、SF続き物の映画の次回作と好きなバンドのニューアルバム。スクールカーストの上位には関わらない、平々凡々、絵に描いたような平和な女子高生なんだから。


 木々の間から、見慣れない侵入者を覗くように小さな生き物が顔を出した。リスのようだけど、ちゃんと見る前に洞の中に潜り込んでしまった。頭上を派手な黄緑色の鳥が、甲高い声を上げて通り過ぎる。

 ふと、道ばたに咲いた小さな花に気づいた。

 あー、今向こうにいる私、忘れずに観葉植物に水やってるかなぁ……私は時々忘れてたんだよね……

 小さな花を二つ摘んで、指でくるくる回しながらまた歩き出す。

 そう言えば、まだ帰りたいと思ってないな……


 そう言えば、まだホームシックになってない。なんでだろ?

 しょうがないって諦めちゃったから? 旅が終われば、帰れるから?


――― 帰れるのかな……


 どうしよう、すごい事に気づいちゃった。帰れるのかな? だって、結局その混沌を正す剣ってのを、守護者の元で何とかしないとならないんでしょ?

 その剣の場所だって、まだわかんないんでしょ? そこまで行き着けるかだって、わかんないんでしょ?


 ちょっと、ファンタジーに浸ってる場合じゃないよ、マジで。帰れるの? 私。

 愕然として立ち止まる。だって気がついたら、ここにいたんだもん。運命とか何とか言われて、それでしょうがなく、


―――しょうがなく?


 ……違う違う、しょうがなくじゃない。この世界に迷い込んだのは私の意図じゃないけど、説明はちゃんと受けたじゃない。それで私は納得(は、ちょっとしてないかもしれないけど)して、冒険に出るって決めたんじゃない。


 冒険ってのは、ラスボス倒してクリアになるのよ。途中でほったらかしにできないんだから、これは。

 終わらせるんだ、きちんと。冒険を終わらせて、向こうの世界に帰るんだ。

 私はまた歩き出した。

 少し木々の開けた所に、フェザナたちの乗った馬車が止まっているのが見えた。

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